何年目かの正直

私の過去の認識はどうもちょっと「変わって」いるらしい。
でもたいしたことない。みんな違うものだから。
しかし違っていることは嬉しいことや。…たぶん
 
過去をぜんぶ踏み締めて今はあるが、今のなかで過去をぜんぶ引っ張り出し、いっぺんやり直しだす、ところが私にはある。
 
しかし、いかんせんスピードが伴わない。
生きれば生きるほど私の過去は増えるものだから、やり直すべき過去がどんどん、膨大な量になっていく。
足りない、時間が全然足りない。
山となった過去をたまに引きずりだしているうち、いまに追い立てられるように、アワアワしながら、私のいまが、過去になってゆく。
 
辛くはない。幸いである。
生きることが退屈だと思ったことは …確か… 無い、と思う。
 
人生は、ドラマだと思う。
私はそう思う。私の人生がドラマだった、から。
過去形にするのは間違っているかな?
生きて感じるすべて。
 
休日にやることが無くて困ってる人がたまに羨ましいが、
私は意味がよくわからな
…いこともないか
 
わかんない
 
わかんない、わかんないばかりや。
でも求めるものはわかる。心がたった今さけぶ望みはわかる。
 
ネエ、わたし、死にたいんじゃないの。
願う姿で、生きていたいのよ。
あなたに、ただあなたに、
「いっしょに死んでもよかった」って、
そう思ってほしいだけなのよ。
 
六年と三ヶ月。
流れたのは歳月と、涙と、血液だけだったろうか。
 
私はここにいる。
過去もぜんぶひっくるめて、今の私が立っている。

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