2012年5月31日

職場のちかくの定食屋さんへ。
今日の日替わりは 外の看板に書いてあるんですが、
今日は
「トルコライス!」
って書いてあった。
 
トルコライス!
 
思わず入った。
わたしはイヤホン爆音中で、このまま音楽聴いてたいねんけど今日は トルコライス! 食べるから、
どちらかしかできねいかな。
 
いな!
 
イヤホンそのままでトルコライス! 食べた。
おひとり様やしええでしょう。
 
タコライスじゃないねんな。
 
イヤホンしながらトルコライス! 食べたら、咀嚼する音がとてもよく聴こえてへんな気分なった
すごかった。特にキャベツを食べたあたりが
 
 
週末は神戸三ノ宮いきます
あとあわよくば広島。
7月は東京にいく予定。あと富山にもいけたら。
 
って金ないわー!
トルコライス! ¥650  なんてエエもん食べとる場合ちゃう。
 
 
 
どうでもよくなくなくないことは ほとんどないでしょ、そうでしょう。
 
 
 
この歌を、私は初めてあの日にマイスペースかなんかで聴いた。
そしてなんだかとても救われた。
なんて優しい歌なんだろうと思った。
恥ずかしいことも、肩肘はっちゃう自分自身ですらも、そのまんま歌ってしまっているような。
 
私、泣いてたのに、いつのまにかパソコンの画面のまえで笑っていた。
 
とてもうらやましいな、と思った。
 
音楽は、世界を救ったりはけしてできないと思うけど、
ひとつのステージが、ひとつの歌が、一人の人間を救うことがある。ぜったいにある。
 
私は生きている。
 
あなたを見ていると、いい人になりたい。
 
 

2011年7月 2日 「無かったこと」
 
僕は思う うれしい時
君に会いたい
(夢見るストロベリー/SHERBETS より。歌詞はてきとう)
 
 
生きててよかったな、って思うことは沢山ありました。
これからも沢山あるでしょう。
 
それだけのことです。
 
でも、何も望むことがないならば、
どうすればいいか、わからなくなりました。
 
鴨川で一時間、座ってただ 水面を眺めてみました。
いつかそれが心の風景になるときが来るのだそうです。
 
私には友達がいます。 きっと、います。
かれらを友達と呼びたいなと私は思っています。
しかし私には他人しか ないくせに、私は他人が、信用なりません。
信じられたらどんなにいいかと思いました。
ただ愛せたら、どんなにいいかと思いました。
 
一時間を耐えて、一瞬だけ笑うために、全ての力を使い果たしました。
 
何も望むことがないならば、
どうすればいいか、わからなくなりました。
この湧き上がる感情を、何かにたとえて吐き出す力も 見ずにやり過ごす力も
私にはもう、残っておりません。
 
神様にお祈りをしました。
もう欲しがりません。もう関わりません。
だからどうか、私を助けてください。
けれど私はこうも思いました。
欲しがらず、関わらないのであれば、
これから私に何の望みが残されているでしょうか?

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