たちのわるい性質(たち)

悪意のある広告というのがある、と思う。それはポスターなりCMなりwebなり、なにかしらのメディアにおいて。
見た人に勘違いさせるような文句で誘導して、よくよく調べてみたりするとああなんだそういうことか、それって、あの文句とはちょっと違う意味じゃないか?というあれ。

そりゃあ、とにかく興味を持ってもらうことができれば広告として成功だから別にちょっとの語弊は構わない、とするのは、商業的にはありの考え方なんだろうけど、
やっぱり、そういう広告の打ち方をしているのをみると、この企業、この広告を作った人は、そーいう人なんだろうかなあ、って思うのが私である。

注目してもらうように作るのと、勘違いしてしまうように作るのは、ちがう、
なんとしても成功したいって思う気持ち以前に、根本的な人間性。

受け取る人の立場から。

ぼくは考えたい、
なにもかも 下手くそなりに。

お昼休みに食べた冷製トマトパスタというのが
本気でお口にあわなくて
すっごい頑張って 半分まで食べたけど
どう考えてもまずくて
でも
「おれはいつから、食べ物を、口に合わないという理由で、腹がみたされてもいないのに捨てられるほどの身分になったんだ?」
って何度も心んなかで自分に言い聞かせて
どうにかこうにか 3分の2 食べたところで、
あかん気持ち悪い、吐きそー

となって けっきょく残してまいました。
もったいない でも、ぎもぢわるうー

孤独ゆえに 自由ゆえの 平穏、
だなんて僕には必要ないのだー
いがみあったとしても、隣人のいない世界なんて、とんでもなくつまんないでしょう、

でも、
僕と君はちがう、のだな?

ごめんちゃい

誰かにとってはヤな人も
誰かにとって大事なひと、

嘘つきで 意地っ張りで、
ひたむきな愚か者

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください