それでも腹は減る

起きてからずっとギターをひいてた
お腹が空いたけど何かを食べたいと思うけど
食べたく ないと思った、
食べることは 選ぶことである、
知ってた、
ぼくは知ってたけど、眼をそむけつづけていることだった。
 
いな、食べなくたって パソコンをこうして使うことが、
アイフォンを使っているということが、
お店で服を買うということが、
スタジオに入って練習するということが、
 
・・・うん、色々たぶん考えすぎているけれど。
腹は減る。ぼくはたぶん、鶏肉を食べるだろう。
ぼくは大量消費の社会に一票を投じ続けているだろう。
 
石器時代へ戻れといっているわけではないのです。
マーケットを再びコントロールする必要があるといっているのです。
 
・・・うん。
 
ホセ=ムヒカ、あなたに、会いたい、
あなたの言葉を知りたい。あなたの国を見てみたい。
そこはどんなところだ?
 
僕はもともと外国に興味はない。
英語を読み解くことが好きで、学ぶために外大へ入ったけど全くもって留学したいと思えなかったぐらいには、べつだん興味がない。日本が好きだというよりかは、まだまだ日本を知らないからまずは日本を知りたいしそれは一生かけて終わる気がしないと思ってる。外に何かを求める気がおきないだけで。
でも昨今、どうも、この国に住みつづけることで、この国を選んでいる自分、というものに疑問を持ちはじめた。
わかってる。逃げることでは、変えることはできない。わかってる。
 
でも「選択」、
暮らすことは、それ自体が選択である。
 
買い物をするということは、どういう社会に一票を投じるか、ということである。
 
わかりますか。
誰も100均でものを買いにゆかなければ、100均は、この世から、なくなるんです。(もちろん100均の商品が悪いっていう意味では決してないですよ)
誰も、生きた熊の肝臓から拷問で採取されつづけている「胆汁」からつくられる二日酔いの薬を、
買わなければ、それは生産されることは、なくなるんです。
 
誰かが求めるから、そこに生まれ、
誰かが提供するから、そのためにマーケットが回る。
そしてより安く、より利益を生んで提供するために、大量生産化はおこなわれる。
そしてそれらが実質「人々によって選ばれ」「生き残り」今のこの社会に浸透しつくしている。
「手段」は問われていないのです。だれも気になんかしない。そうしてマーケットは回りつづけてきた。
 
でも、「手段」を、いよいよ問わなければならない。
その時代がきている。ぼくらの世界に、限界がきている。
われわれ消費者は、自分が手に取った商品が、一体世界中のなにを犠牲にして、
だれを殺して、なにを殺して、この場に届いて、
そしてそれら過程の罪を全て生み出していることが「自分」にあるということを、
自分で、考えなければならない時代になってきているんだと思う。
 
ぼくはウルグアイへ行ってみたい。
わかってる。本当はムヒカ氏が悪者であっても全然かまわない、
ぼくあ知りたい。なにかを、自分の眼で、たしかに、見つけたい。見つけたと、そう思いたい。
だって、わからないのだ。
 
わからないまま、いくのもいいけど、
わからないまま、おわる、
それもおれの、選択なのだから。
 
 
なあ、地獄はあると思うかい?
 
科学が発展して、死んだらおわり、そんなものはないのだろうと私も思ったりする、だろうけれど、
死んだら終わりだからって、
いのちがあと少しだからって、
他のいのちを無下に扱ってもいいのかい。
ほかの動物たちは、そんなふうにしてきたかい・・・
 
地獄はあると思うかい、
悪魔というものが存在するとしたら、それはわれわれ人類のことではないのか、
 
 
人間の「倫理観」からいうなれば、わたしは、
腹が減るということは、罪だと思う。
人間が増え、生きるということはそれ自体で罪だと思う。
よそのいきものを退けてまで、場所をとる。
 
おまえがいなければ、どれだけの生き物が死なずにすんだと思う?
 
たいへん迷惑なはなしなのだ。
僕がずっと、自分が死ねばいいと、思ってきたのはそういう理屈なのだ。
誰かのために、自分がゆずれば、間接的に誰かは、生きるだろう。当たり前のことだと思う。
「そうしてまで生きていたいのかお前は?」
ずっと自分に問いかけてきたし、それは自分にとって、普通のことだと思ってる。
 
でも僕は、生きてきた。それが全てだ。何を言い訳しようとそれで全部チャラだ。
死にたくないのだ。
そして自分にとって、生きるということは、心臓が動き、
呼吸ができ、自分で自分の体が動かせるというだけでは、
だめなのだ。
 
これが僕の欲望だ。人間の欲望だ。贅沢だ。
 
それは食肉として生まれ、虐待を受けて平然と殺される動物たちからすれば、
ふざけんな、なんて傲慢だ。なんてわがままだ。
 
 
わかってる、それでもぼくはやめないだろう。
おまえたちを虐げ続けることを、やめられないだろう。
ただ最低限、それを意識して、考え、それでも、生きていたいと言いつづけなければならない。
僕が生きることで 何かを、誰かを殺し、拷問しつづけているということを、
忘れてはならないと思うし、
それでも俺は生きる、わるいか、だって人間様だからな。って
言いつづけなければならない。
 
なあ、ちゃんと世界中のいきものたちを、おのれと「対等に」扱い、
考えられる「良心」が、もしもわれわれにあったならば、
とっくに皆、自殺していると思うよ。
 
地獄はあると思うかい、
 
僕はそれを信じたいと思う。
 
 
 
・・・

2013/01/06 チチハハ新居に来る
父と母を、まとめて チチハハ いうんが好きです。響きよし。
でも本人たちには言うてないのです。
まとめるとおこる。たぶん。
 
お父さんとお母さんが新居の様子見に来てくれました。
今年は新年、久しぶりに1日から3日まで帰省してたので、
久しぶりではない。
 
追加のお布団とか持ってきてもらったー!
これでお客さんが泊まれます、なんとか場所あければ。
おもてなし下手くそなんでわからんけど、お宿くらいにはできます。
かむ!客!!ギヴミー友だち!!2013!!
 
おとーさんは、ベランダに出て、
「神田川みたいでええなー!」を連発しました。
そうでした、父は南こうせつ(かぐや姫)が好きでした。
私はそれを知った中学校ぐらいに アルバム買って聴いてみて
神田川はええ曲やなあと思いました。あと 妹の嫁入りの歌。なんだっけか…
 
お母さんは山ほどの食材と、バリエーション豊かなお鍋のつゆ達を持ってきた。
どんだけ食わせる気やねん!
ちょっと絶対食べきれないと思われるものは返したけれど、
使いきれるか心配。さっそく鍋にしようー
 
鉄ちゃんが喜ぶ最寄り駅と、鉄ちゃんが喜ぶ部屋に住んでます。
カム!鉄ちゃん!!ギヴミーマニアック友だち!!2013

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