自分のバックアップは存在するのだろうか

関東から帰ります。
いわゆる世間一般にいうゴールデンウイーク四日間のうち、一日目はライブでしたが
二日目早朝から関東へ向かい、
 
趣味:人んちでだらだら過ごす
をやりまくれて充実してました。
だいたい寝てました
 
今度はシモキもダラダラ回れるくらい時間とりたいなす。できればライブもしたいなす。むずかしー!
最終日は、みきおの東京バンドの皆さんのなかへお邪魔した!
わっけえ!
あんなに知らない人に対して気さくに接してもらえるのん珍しいのでみきお界隈はええなあーっておもいましたや。
 
夜行バスに乗るため渋谷のまちを一人で歩き、駅へ向かうときに、駅がすぐそこだと思っていたら、色々な路線の駅があって、案外目的のJR山手線の乗り場まで時間がかかり焦ったけれども、
もうこの感じも何度も経験を重ねてきているものです。取り返しのつかないほど怖いことなど、いまのわたしに何も直面していないのだと思いますので、何も恐れることはありませんでした。
 
まちのなか、交差点の点滅に従いうねってゆく人混みの、ひとつぶひとつぶを、じっと眺めてみたのです。
関東だからといって、都会だからといって、何が違うとも思えませんでした。
 
私にとってもしかすると、初めて大学受験に出てきた当時から、もはや人類に対峙する感覚というのは、そうだったかもしれません。
 
 
ああ背中を見続ける勇気すら、ない、
何かにつかまらないように
夜の道を ぐいぐいと、歩き出す、
 
そんなうたが頭のなかで 爆音でなりました。
東京
 
無事に夜行バスの乗り場へ着き、以前、二回ほど前に乗ったときに大きな荷物を抱えて道に迷った時のことを思い出しました。そういう道を通りました。
 
それを思えば、今の私は、全然確信はありませんでしたが、方角と雰囲気だけで、なんだかわからないのですが、この道で間違いなくたどり着けるだろう。という、身も蓋もない直感と経験による、自信というか、感覚があることに気づきました。
 
ほどなくバスの発車場所を案内されて、持ち込みが少しだけ不安だったミニギターをかかえ、バスへ乗り込みました。
係りの方は大変親切で、今日は空いているせいか、ひとり2席使えると思いますので。と案内をくれ、わたしの背中のギターを一瞥し、それは上に持っていったほうが良いでしょう、と言いました。
 
よるのまちを、排気ガスを吐き捨てて
バスははしる
 
カーテンのそとがわに首をつっこませて、とんでゆく景色をながめていました。
ふと思い立って、ビデオカメラを取り出し、その景色を収めました。
それはピントがあわないせいで、肉眼で見るのとちがう、面白い映像となったので私は嬉しかった。
暫くして、ふと思い出して、電子書籍ですこし本を読むことにしました。
 
太宰治の「人間失格」。
これは夏目漱石の「こころ」と同じように、わたしの心に深く根をおろしている文学作品のひとつです。
とはいっても、誤解してほしくはないのは、これらの作品が、私に影響を与えたということでは、ないのです。
これらの作品に出会ったとき、私は、それまでさっぱりわからなかったこと、自分自身について、「ああ、これだったんだ」と理解することができたんです。
 
私はわたしの中にあるピースを、これまでに出会った数々の作品のうち、いくつかのなかから 見つけ出してきました。
私にとって、音楽もそういうものかもしれません。
ずっとずっと探していた自分自身の大切なピースに、出会った気がするのでした。「これだ」って、心が叫ぶのでした。
そしてそうしてしまえば、そのようなものは、他には別にいらないのです。
 

“つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです”

 
また暫くしてカーテンの間に首をすべりこませ外の景色を見てみると、JR横浜を通過したところでした。
 
横浜駅でも人を乗せてゆくバスなのですから当然なのだけれど、なんだかこのたびのたびは、神奈川、横浜に、運命めいた、縁めいたものを感じました。
 

“自分には、禍いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか?エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか?それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金?まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。”

 
目を閉じた、
私の席はとても運が良く、バスの最後尾の列で、
しかも明け方に気づいたのだけれど誰も他に座る人がいなかったようで
私はその広くあいた席を多めにとって、横になって眠ることができたのです。
 
途中で外人のお客さんが半分場所を使いにきてた気がするけど朦朧として覚えていません。
 
朝は果たしてやって来ました。
僕には怖いものがありません。
恐れるとすれば病です。
ただ身体を悪くしてまで生きながらえることが、
何としても耐え難いでしょう。
 
自分のバックアップは存在するのでしょうか。
 
これは何のための問いなのでしょうか。
愚問でしかないでしょうか。
それでも口に出さずにはいられなかったのです。
それでもここに、あなたに、問いかけずにはいられなかったのです。
どうか覚えておいてくれればと思います。でも強制はとてもできません。
私も、あるひとりの人間なのです。
 
 
 
・・・

2013/01/21 そゆこと書いてしまうからいけない
また風邪をひいた。
薬がきかないなあ
少しずつ、昨日は出ていなかった咳が出始めて、鼻水がひどくって、熱がガガガガーッと上がってる感覚。
咳をした喉から血の味が、する
 
体調管理は仕事のうち、しかも基本中の基本、らしいので、
私はよっぽど仕事ができへんのやろうなあ。
 
ちゃんと毎日食べてるし、休みも、ねむいって感じたら寝てたぐらいなんだけど、どうしたらええのか!
 
帰り道、奥歯がガチガチ言うほどに寒気が、くる。
さむ。