社会生活不適合者

ほんじつは エンペラーめだかN.S.G. Office(えねぇすじーおふぃす) ライブでした。
始発を少しすぎた電車に乗って だだんだんだん、 おうちへかえる。
今日、きてくれたかたがた、ありがとおございます。
 

◆2014/11/30@京都 二条nano
 
ハコイリムスコ
Spacetime and streams
atuiso
エンペラーめだかN.S.G.office
my letter
ハリネコ
 
17時半スタート
前売2300/当日2500えん(ぺらー)※1ドリンク込

 
my letter、まえも対バンさせてもらったことがあるのだけれど
こんなバンドだっけ?
ってぐらい印象がちがっていた。
いい意味に。
 
とてもよかった ぼくはうれしかった。
 
あ、えらそうですか?
 
持ち時間30分が窮屈だ、
たしかーに。
しかし適切なタイムというのはどうだろうね。
色んなタイムバージョンがあっていい気がする。そしてそれはバンドによってもかなり振れ幅があるものだろうし
見る人によってもかなり振れ幅はあるだろう。
 
グボボボボ、グボ、グボ
 
 
従え、さもなくば去れ、
おまえなぞいらん、
というメッセージ
しゃかいさまはきびしいっすからね。
やえさんはそうつぶやいた、
だからぼくは別れを選ぶしかない、
いな、選ぶことをしたくなくて 確定したくなくて 目をそらしつづけても、
えらばれて  しまうのは、
しかたのないことさ、
 
「求めても手に入らん物はたくさんあるよ
 生きていていいことなんて半分もないよ
 生きるか死ぬかの選択肢は
 自分が最善を尽くしたあとに、決めな、」

レナス

ベッドから頭ずっるーて落ちてビク!て起きた、
あれ?あかん、ねてた。
ねよう
 
ゆめのぜんらせいかつ
 

君は死んだ方がいい
外の世界はどんな風?
後悔や 四季や あと流星の
キラめく世界

 
どんな努力しても嵐にあっけなく吹き飛ばされてしまうようなこともあるのが現実、
わるい意味だけでなく、逆もしかりで嘘みたいなラッキーというものもたくさんあって面白いとおもうんだ
その痛さや刺激はやめられないね
だなんて僕は果たして言えただろうか、
 
ぼくがなんつうか、うまくいけばいくほど、なんかおかしいかもと思ったり、誰かが作った、用意された幸福感というものにさっぱり喜べないところがあったりするのは、どんなしんどくてもあくまで現実にいたいから、
それが無理なら死ぬだけさ、
 
と思ってるのかどうか自分でわからなくなりました。だってやっぱり報われたいもの!
 
でも、報われるからやる、褒められるからやる、は絶対いやなんだ、
 
はうす
 
絶対いやなんだハウス
 
うたっていたら1.5時間あんはあっとゆうまだった、まさかー
 
 
魅力的な出演者いっぱい、なのにお客があつまらないのは、なぜか??
ぼくはなんだかその答えをもってる気がした、
 
201411292250_IMG_8054
これ見るたび、スーパーファミコンの「レナス」とゆうあらゆる意味で難解で不気味な世界観のゲームを思い出す。あれはぼくにどんな影響をあたえてるんだろうなー
確かゲームスタートして一番近くにいるのが世界の異変でおかしくなった家畜で話しかけたときのせりふ「グボボボ、グボ、グボ」とかやからな
 
ぼくはあなたがテニスで
このよがたまにレナス
 
なんつってうひゃ
 
意味?意味なんてなくていいんだ、
あなたがたが倫理のなのもとに これだけ大切にしている いのちにさえあんまり意味は無い

にっきをたしたーう

おいついた!
 
過去のにっきたしたやつ
2014/11/18 きろく:エンペラーめだか N.S.G.Office ライブ@京都 三条VOXhall
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2014/11/28 まいびょう3かいてんper0ど

まいびょう3かいてんper0ど

にっきをいろいろ足す作業をした
やっと今日に追いついた。
 
どうして僕がこんなに必死かわかるかしら?
わかんないだろーね。
でもね僕もあなたのことがわかんないんだよー
なんでそんなに冷徹に、平然としていられるの?
ってききたいの
 

めをみてちょーだい、
おしえてちょーだい
こわいことなど
なんにもないって、
めをみてちょーだい、
きかせてちょーだい
わるいひとなど
どこにもいないって、
 
めをみてちょーだい、
おしえてちょーだい
かなしいことなど
なにもなかったと、
めをみてちょーだい、
きかせてちょーだい
やさしいめをした
あのこのことを、
 
(タイトル未定/なさげ)

 
雨があがったら日付変わった気がした、
どっかのおっさんのくしゃみがきこえて♪
 
良い子にするとゆう定義が難しいこんな世の中じゃ〜♪
おっおー
 
体調の悪さはまだ少しひきずっており
寝坊しました。むちゃくちゃなヘアースタイルで会社へいきました。でも遅刻。
しかも電車乗り過ごす。
反省
 
ぷりぷりおしごとー!
 
overflow: 秘伝、
もりさわふぉんと欲しい欲しい詐欺
 
会社の外へ出たらば
空気が、なんだかちがったんだー。
 
真冬のようにきんきんからからに乾いてつめたいわけではない、
でも、いつもと、ぜんぜんちがう。
そんなことをただ事実として突きつけられるようなかんじだった。
 
すこしさみしいかった。
きみは、いってしまうのね。
空をみあげて、しぜんとそうおもえた。
 
 
よるやあさがつたえてくれるヒントを
けっしてみのがさないで おくれ、
 
  
おうちに食材があるのはわかっていてもあまり何があったか思い出せず
まあ何があったとしてもカレーにぶちこむだけよと思ったのでひきにくだけ買うて帰宅。
ほいー!
 
 
なんちゃってパレードをくりかえす、
 
日々、毎日を振り返ってかみしめる時間とゆうのが僕には必要で
忙しいと、積み重なったものを取り戻すのに ものすごく ものすごく時間がかかるけれど、
それでも 少しずつ、やれば、おわる。
これは、すごいことだと僕は思っている。
人間は日々のあたりまえに慣れる生き物で、忘れる生き物で、
怠けてしまいがちだから、なかなかできないことだと思うんだー。
 
生活を愛している

もとくらしー

同じよな曲ばっかかきやがって、とぼくはぼくにゆー
 
ライブというものが音楽体験のなかでCDを聴くよりも特別で貴重で贅沢な体験であるということをふまえると、
ライブを聴く、空間すべてをまるごとプロデュースする・される必要があると思う気がしてきた。
 
借り物のPA、借り物のハコ、そこで演奏される30分40分のブッキングライブ(対バンも自分が選んでないわけだから借り物といえよう)で、つくられる音と空間、人、それに対してすべての来客が、2000円だか3000円(ライブハウスの一般的な最低価格はこのぐらいかなと思う)の価値がある、と思えるものを提供しつづけなければ、と思う。
一度来てもらえたとしても、はーこの内容にしては高かったなーとか、はーこれなら来なきゃよかったなーって思われたら、むしろ後々かんがえたらマイナスなわけなのだーがっかり。
 
まあ一般的なライブ好きやその世界の人にはこれが相場だからしょうがない、といって諦めがつく価格なのかもせえへんけど、
相場??
相場なんてかんけいないだろ、とぼくは思うのだ。
 
たとえば矯正下着や浄水器の訪問販売が家にきたとしましょう、
うん万円しますと言われて、相場はこのぐらいですとか、それよりかは安いです!って言われたとして、
あなたがそれを買うかどうか、とは関係なくないですか。
たとえ「あればいいなあ、ほしいなあ」と思えたとしても、むちゃ高かったら、支払い能力があったとしても、「そのものに、それほどのお金を支払う価値を見出せるか」かどうかじゃないですか?
 
「自分にとって必要ないもの、あるいはそのぐらいの価値を見い出せないものにお金は支払いたくもない」でしょう。
なんならその話を聞く時間すら、もったいない、営業行為されていい迷惑だ、とさえ思うでしょう。
 
もう一つたとえると、宗教の勧誘訪問がやってきたとしましょう。
なんとこっちは、お金はいらない、タダだというのです。
「タダで、振る舞いのお菓子も出て、ありがたーいお話が聞ける、無理な勧誘はしないし一度くるだけでいいから」
なのに、あなたは行きたいと思うだろーか??
 
ぼくは、そういうことと、同じだと思ってる。
 
タダでも、価値のないことに足を運んだり時間をついやすのは、
たとえ誘う側がものすごくオススメしたとしたって、どんだけ熱心に説明したとしたって、
すごく利己的で すごくいや  なのだ、、
 
お客さん一人一人が、たいせつな時間、体力、お金、他の予定、
などなど、この一夜に、それ相応の価値を見出してくれて支払ってもらえるというハードルはぼくが想像するに、思った以上にむちゃくちゃ高いんじゃないかと思ってる。
 
もちろんこれはライブハウスへの批判でもなんでもなくって、
ライブというものの価格は最低限そのぐらい取るべき、あるいはそのぐらい単価とらなきゃ運営できないとゆう、営業目標、信念をもってやっていることなのだと思うから、
 
つまり僕が言いたいのは、
この高級品、内容はさまざま。
それを選ぶ選ばないは、あとはお客さんの自由なだけでしょう!
なのだ。
 
そして、その自由なだけ! の部分について、
こんだけライブ好きな私ですら、リアルにハードルたけえよ、と考えるからこそ、
ぼくはやり方を変えたい、変えなければ未来がないのでは、と思っている。
 
ちなみにライブハウスが値段を下げろみたいな話ではけっしてないのです。
それは持続不可能だ。だれかが無理をしてはいけない。
 
ぼくは好きなことがやれればそれでいい、
そしてその方法をずっと探しているだけなんだ。

そしゃくのふぇいず

そうか、ぼくは冷たいのだろうと思った。
あまり他人を信用していないのだろう。そもそも他人のことがさっぱりと言っていいほどわからないのだから、信用というものがよくわからないのだろう。
だから全ての話は自分の個人的な気もちの説明でしかない気がしてくるし
誰かに少しでも理解してもらうために何かを話す というのは一生懸命やれても
誰かに相談して意見をもらう とか 誰かを説得して意見を変えてもらう というのは
ものすごく億劫なのだ。
というか
不可能だとさえ思っている。
いつだってドアが閉じられていて、それをこじ開ける気はぼくには全くなかったのだ。
 
それが必要だと思わないしやりたいと思わなかったからだ。
 
でも君が直接関わってくれるなら話はべつだったのだから、
ぼくはただ めんどーくさがっているだけだったのかもしれない。
 
ありがとう。
 
だれかの一人のよると
だれかの一人のよるを
つなぐ力が音楽にはある、
それを信じ続けていられるから
また重いとびらをこじあけて
ぼくらはつぎのステージに立つんだと思う、
それを信じ続けていられるのは
きみが、きみだけは、
ぼくという人間をたいせつにしてくれたから!
 
おなじ夜を食べるあなたへ。
 
 
持続可能ということについて考えているんだ、
自分の居場所について考えているんだ、
ぼくはいつでも自分の立場っからだ、
なぜって人のことが、わからんのだ、
 
けれど必要なことだ、はなせばわかる、
ぼくはたぶんその答えをもう知っている。
 
 
ところで文化の入り口、とゆうものについて考えています。
 
音楽を聴いているとき、どうやって心のどあーあけてます?
体の状態はいつもとどう違うスイッチがはいっとりますか?
 
ぼくは、ライブをお客として見るということは、それすなわち、バンドとのセッションだと思っとるんです。
お客がなきゃライブは成り立ちません。
お客一人のためだけにバンドがライブしてもいいなあという考えに、
ここ数日でたどりついたものなんですが、
そういうことなんです。
 
あなたのためだけにライブをします!
というとき、
人は その人がどういう人で、どういう曲がすきで、どういうシチュエーションを好むかをとても考えると思います。
 
そうあっていい むしろ、人を楽しませること、というのは
それが原点であってほしいと僕は望みさえしました。
 
ですからその原点は、お客さんとのセッションです。
というかぼくは自分がお客であるときに バンドとセッションしようと試みているので
そうなるんですが
 
まあセッションというのはぼくの場合
好きなようにやれるように心をもっていく、でもなるべく相手のリズムもかんじとれるようにがんばる、
というかんじで
まーどうしてもリズムがあわなかったり 気がむかなかったら
演奏をやめちゃってもそれはそれでセッションだとおもうんですよ。
 
ステージ上のバンドと、お客としての自分のセッションにもそういうところはあります。
 
自分がバンドにあわせれなくなるときもあるし
バンドが自分にあわせてくれないときもあります。
それはそれで  自然です。
 
 
ネガポジへいった。
体調がすこぶる悪かったのでお腹もすいていたし晩飯カレーを食べてから、途中で下痢のため下車しながら向かったらおそすぎた。テヘペロ
 
あんな、スパイスてな、一種類だけでもけっこう貴重品やとおもうねん、それを、何種類も調合してうまれる、カレーとゆう存在は、最高に贅沢な食べ物やとおもうねん、
すぱいすほじゅうかんりょーしたなー
チャイがええ季節ですねゆ。
ラムチャイのラムはお酒、ラムキーマのラムはお肉、考えたことなかったけど関係性はあーるのかな
 
0時ごろ家に帰る。
すぐにギターがひきたくなった。というと語弊があるのはうーん。
 
 
ただ目の前できみが歌ってくれるだけで、ぼくはいいんだよ、
ただ目の前で誰かに対して自分のちからで歌えるだけで、ぼくはいいんだ、
ねー、それ以上のことって、あるのか、
目の前の、だれか一人のためにバンドマンがあっても、いいんじゃないのか。
 
 

そう21世紀今日現在、この東京じゃ
さほど俺の出番望んじゃないようだが
構わねー俺はまだ生きている、
そーさ俺は、そうまだ生きている!

ハロー人生!!
俺這いつくばって、
この脳髄の隅々に知恵を詰め込め、
ハロー人生!!
この身体ひとつ、
弱々しい俺の魂におれは火をともすぜ

 
俺はなんなんだ一体何者なんだ、
そうさ、俺はそう、一体何者なんだ?
 
 
やぱあ移動の時間は好きだ。
たくさん音楽が聴けるし
聴かなくてもたくさんゆっくり考えることができる、
移動しながらの音楽はものすごく格別な体験だと思う、
ほかにもいろんな場所で いろんな音楽のききかたがある。
 
そうさ、俺は、
まだ生きている、

夜が/ぼくに/なにを

誰もが誰より美しくありたいと思っている、のだろーか、
街に馴染めないぼくを、だめな奴だとしかっておくれ
 

(熊取町HP)
http://www.town.kumatori.lg.jp/kakuka/kikaku/seisakukikaku/kurashi/ouenkifu/1412138664734.html

なかなか作れないこのフッターのだるさである
 
 
約4年、一般企業てきな場所での仕事をしていて、思うのは、
長文を読めるやつというのはかなり少ないなということ。
 
これは自分が長文を読めますとかまわりが長文が読めないことを貶めているとかでは全くなく、
むしろ逆で ちょっと自分が恥ずかしい、ぐらいのことなのだけれど。
本来ビジネスで使う文章というものは短く・簡潔に伝えなければならないと思われるからねー
でも自分はそれがくそ苦手なのだ
なげーのだ、、
 
 
ということを色々理解してもらおうと長々と書いたが
長いので省略
 
 

さよならなんて、
しなくていいんだ、
さよならなんて、

 
と、くちずさんで気がついた。
 
ここ二年間で、沢山のバンドと出会った、
たくさんの音楽と出会った。
たくさんのライブに行った。
たくさんのライブ好きに出会った。
 
おはようって、ええですね。
 
時間は確実に、着実に、ながれているのだ。
そう、一年前はできなかったコーディングが、よゆうでできるようになってる。自由になっとる
もっと知らない、あーなんだそんなことだったんだ。っていう技術があるんだろうなー。
ぼくにはあんまりコーディングもデザインも先輩がいないから、ゆーっくりだなー
 
 
家かえってもう我慢できなくってギター
こんなに楽しいことがありますかと思いました。
ご飯を準備するのを後回しにしてしまい、そのせいで
ご飯をチンする→その間にギターをもってしまう、しばらく弾いてしまう→ご飯さめる→ご飯をチンする→ってなってる。
3回めの正直、おなかがすいた、
おなかがすいているけれど食べるまでいけないー
 
 
たのしいことがあった。
愉快なことばかりではないが
僕はそれがとてもうれしい。
いや大体愉快だったけど。
 
 
だからさよならなんて、
しなくていいんだ、
さよならなんて、

あきだったあきちゃった

201411251158_IMG_8019
うわー!きれえー
雨すげーいい!
 
201411251228_DSC04460 201411251230_DSC04465 201411251229_DSC04462201411251229_DSC04463 201411251230_DSC04466
 
大気とゆうものについて考えています。

almost of point of no return,
 
Burn baby burn,
 
Look into my tired eyes, see someone make me recognize.

 
原点へもどりたいと考えています。
ぼくは、まあ長いととらえるか短いととらえるかはわかりませんが、この二年ほど、
タワーレコードやツタヤ、その他CDを取り扱っている好きなお店へほとんど足を運んでいません。
別にそうしたくなかったわけではなくて そうもしたかったけれど
おもにいる場所、使うお金、使う時間が違っていたんだろうなーって今は振り返るとおもいます。
バンドをやって、バンドをみにいって、そこで欲しいCDを買って。
そしてそれが、僕の活動限界でした。資金という意味でも時間という意味でも。
それ以上の余裕がありませんでした、
 
CDを売っているお店へ遊びにいき、気になるジャケットだけでCDを衝動買いしてみたり、名前だけ知ってるアーティストの音源をかたっぱしから視聴して借りまくる、とゆうことに、時間とお金を使えませんでした。
それだけの余裕がなかったから。
 
これは自分のバンド活動のためのお金と時間が大きな比重を持って行ったために起きたこと、という部分を除いたとしても完全に使い方の自由なのでもちろん自分が望んで選んだことなのですが、
 
まあ近日、色々かんがえました。
 
いい音楽にであいたい、
ぼくの知らない世界にであいたい、
その原点を、バンドマンとして、ライブハウスの客として過ごしてきた二年間をかえりみて、
もう一度自分のリソース、キャパシティを見直して、なににお金と時間を使うか、どういった社会モデルや企業や個人のありかたに一票を投じるかを、
僕ていどの身分から 身の丈から   考え直したいと思いました。
 
ぼくの収入は一般的なこの年齢の方々が稼ぐ平均よりかなり低いんじゃあないかなと思っていますが、
でも、ライブハウスへ行ってほしいなとぼくら音楽をやる側が(おそらく)考える、音楽好きの若者たちの収入よりかは、少しは多いか、あるいは同程度ではないかなと考えます。
実家ぐらしではないのでその点自由になるお金というのは少ないかもしれませんが、まあ正社員として働けているので、アルバイトや派遣で働く若者よりかは収入としては多いのではないかと想定しています。
 
この話が何を意味しているかといいますと、
ぼく程度に音楽が好きで、ライブハウスが好きで、新しいアーティストをどんどん聴きたくて応援したくて、ライブハウスへいける時間があって、
かつその中で出会ったアーティストのライブ、ライブハウスで出会った友達のバンドマンのライブ、ライブハウスのスタッフと話して得たこういうアーティストがいいんだよっていう情報、それらをそれなりに追いかけ、実際にお金を払って、通い続けられる人間が
どれぐらいいるんだろうなあって
 
考えたわけなんです。
 
そしてぼくにはもう、ライブハウスへ通いつづけることは、贅沢な遊びですのでできないなあと思いました。
 
ぼくはバンドマンですので、
ライブをやりたいです。
ライブをやるには、お客さんがいないといけません。
ライブハウスでライブをやるには、お金が必要です。
 
ぼくはリスナーですので、
無料でもいい音楽にたくさん出会えることは知っています。
レンタルでもいい音楽にたくさん出会えることは知っています。
 
ぼくにはわからなくなりました、、
 
ぼくはバンドマンです、
自分が「高い」と思ってしまうものに対して、
・・・だれかを、気軽に誘うことが、もうできません。
たとえ自分がチャージを全ておごってあげたとしても、
果たして聴いたことのないアーティストを「一度見てみる」ために足を運ぶ人は、多いでしょうか?
そしてそのように聴いてもらうことっていうのは、その人にとって、果たして いい体験でしょうか?
 
また、自分が納得して支払えないお金を、
誰かに支払えといえるでしょうか。
 
いいたくないです、
 
ぼくにはわからなくなりました、
 
大気とゆうものについて考えています、
エアーです、
呼吸をさせてくれるやつです、あと全ての変化の源としてのエアー、
全生物酸化型えーあー
 

なにをうしなったのだろー
なにももたずにうまれてきたのに
おとはなくひがしずむ

なさげライブ予定 <2014/11/25更新>

そいえば来月、2014/12/30、お友達にっSUNのお誘いいただいて、
なさげ(わたし弾き語り)でごはんのすごくおいしそうなお店で忘年会ライブやります!いっ、いいのかな、、
なんにせよ自分のうたを好きというてくれる人に声をかけてもらえるの、すーごく、すーごくうれしいね。というか最高のことじゃなかろうか。
「聴いてみたい」とか「メンツ足りないし出てみない?」っていう感じもいいと思うんだけど、本来、基本はやっぱ、ライブを見て好きだからとか、曲を聴いて好きだから呼びたい、っていう気持ちだといいな、って、おもうんです、
あああ企画がやりたい、お金がない、、
 
なんし嬉しいです。
生きとる、ゆうかんじします!
がるばんぞー(ひよこ豆)
 
こんごとも どうぞよろしゅう。

追加にっき

きじたしたやーつ
 
2014/11/10 沖縄最終日からの帰還
2014/11/11 おんでまんど・ふぁすと・かるちゅあー
2014/11/12 エンドレスサマーのおわり
2014/11/13 gesewa
2014/11/14 ソーコアファクトリーでサノヒトミ(viridian)
2014/11/15 ブラボージャックパーティー 2014
2014/11/16 MEETS七甲目
2014/11/17 うたわれよう、わしゃはやす