nattok納豆食う

ここしばらくの間、毎日のように頭痛がひどい。息も苦しいかんじがあって、首とかの血流からきてるのかしらん、とか推測するがあまりそれにかまっていられる心の余裕はない。
 
なんとなく今日わかったことがある。
怒りにも、悲しみにも、まっすぐ真摯に向き合いたい、そういう力も、時には必要だろうということだ。
それはいつか、受け流すだけではなく、戦い抜いて解決する、粉々に吹き飛ばす、みたいな、そういう方法の選択肢、力になるかもしれないって思った。
 
ぼくは喧嘩ができない。
口論もぜんぜんだめだ。
なぜ話を聞いてくれようとしないのだろう、なぜ理解しあえないのだろう、
そういうことがやっぱり根底にあって、怒るということは、悲しみであり、感情があふれて、涙が出てしまうから。
 
どうしようもないことをどうにかする必要なんてないのにね。
 
でも、
どんな出来事も学べる側面がある
どんな人間からも学べることが必ずあるように、
今回ぼくの通ったしょうもない一連のイライラ腹の立つ出来事は、喧嘩のできない僕が、理路整然と喧嘩をするために、ひどく勉強になったのだな、と、
いつか言おう。
 
そのぐらい、何でもかんでも、肥やしにしていければなあなんて思う。
正直、めちゃくちゃ疲れているし腹が立っているし、とてもじゃないけど全然体験したくない。できれば避けて通りたい。
それを避けるためにならもう家から出たくない、何もしたくない、と思うほどに。
面倒くさい、納得のいかない不利益。
 
でも、これすら乗り越えて肥やしにできれば。
喧嘩のできないぼくは少しは強くなれるだろか?
経験をつめるかな?
 
そんなふうに考えました。