2012年5月3日

そこをでたら、そこは「なし」の場所になる。
借りものの言葉だけれど意味は違うよ。
「なし」は誰にも侵食されない。
「なし」では、誰にも触れられない。
だから誰も私を傷つけないし、私も誰も傷つけない。
 
ほんとに?
 
答えが知りたいわけじゃないといったら嘘になるけれど、
今はなににも触れずに、触れられずにいたい
 
ただ誰しもが言う意味は
わかりました。
 
わかりました仕切り直しです。
 
 
順再生の現実は
夜の地下鉄を逆行するごとに再開されます。
 
あの日がそこにいて、
一年前と四年前の私がじぐざぐに歩いているのが見える。
そこに誰かの現実が交差してい た。
 
それは私のいない世界、
私のいなくなった世界。
 
三カラ四ヌケ五ヘカヘル。
 
この世を行き交うのはやはり人間で、
あの時漕いでいたペダルはもう足元にはない。
かわりに足がはえちゃったから、
じょうずにカスダンスがおどれるもんねえ。
 
えーと
いや…だな
 
でもやっぱセンスいいなあ単純に
 
あんねー陰でネチネチ言うてるやつが何よりきらい。
それに立ち向かえない自分の弱さが何よりわるい
ただ団体ってあまりに液体すぎて戦えない、どこ叩いたらいいのかなあ
 
向かってこいよレスポンスするよ、といいたいけど
それほど自分に価値もないからなあ ってわかっていて、
すこし、悲しい
いやすごく悲しい
ざんねん
 
戦うことも、逃げることすらもできない。えらべない。
張り付けたうすら笑いにただただ吐き気がこみあげてきて
あー嫌いやわ。
いらんわ
ってなるけど、向こうもきっとそうなのよね。
 
爪も針も牙も持ってないのだから、
傷つけるとしたらもっとリキッドな なにか だよ。
 
明日死んでも構わないように生きてるつもり。
みえない未来や 自分じゃない何かに一切期待できなくて、
いま、たったいま。
 
これでよかったんだよな。
 
悔いはないです。仕方のないこと。
でも仕方のないことのなかに、どうしようもなく、信じてきたことが、
ぜんぶウソやったことが、
ただただ悲しいし、憎いです。
もうかかわりたくないしもう許したくない。
 
まだ生きてるのか。
 
まだ耐えられるのか。
 
おれは、高いところにぶら下がってる気がしているよ。
 
 
 

2011年3月 1日 三カラ四ヌケ五ヘカヘル
 

 
 

2011年5月 4日 夜かな。
 
何かを探しているのだけれど、
何を探しているのか自分でわかってないことに気づきました。
ただ何となく、探していただけです。何かないかな、って。
もしかして、あるものを探すのではなくて、
自分で作りださないといけないのかもしれないなあ、と思いました。
 
いつもと違うバスで帰宅。
バスに乗る前に牛乳を買っていたのですが、
それ持ってバスに乗った瞬間に、横にいたカップルに
「牛乳!」 って小声で言われて、何だかニヤケてしまう。
何だ、何かおかしいか。いや、おかしくてもいいけど。
 
そのバス、京都駅で暫く停車。私は死にたくになった。
目を閉じて体をかがめて、その瞬間、瞬間をやり過ごす。
一瞬ずつが非常に重たい
泣きたくても泣けないときが一番辛いです。
 
ここ最近、ずっと同じ夢ばかりで明け方に目が覚めていたんですけど
昨日、久しぶりに違う内容の夢を見たのを覚えています。
誰かが私を見つめている、女の人。どこかの部屋の、隅っこにいる。
私は彼女と目が合う。その笑顔が本当に不気味で ぞわって、した瞬間、目が覚める。
それが二回。あとはいつもの嫌な夢が一回。
 
あれは…私か?
なぜかそう思った、瞬間から、私は、
体をかがめていたところで、この暗闇は、やり過ごすことができないのじゃなかろうか、
すぐにここから出ていかなければならないのじゃなかろうか、
自分を守るということは?そもそもそれが必要なのか?それが正しいのか?
そういうふうに考え出しました。だしました。
 
うその自分を持ちなさいと誰かが教えてくれました。
強くて、かっこうよくて、誰にも負けることない、折れない、うつくしい自分を。

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