白だしてんさい

須磨海岸へ向かう道のりを調べていたところで、私のブラウザーセッションは終了していたのです。
フユの・・・うみ
 
やてもた。
睡眠不足ひどすぎるとは思っていたけど
まだぎりいけるやろ と思っていたら
うわー 朝、一回アラームで起きた記憶あるけれど
気づいたら始業後一時間もたってる。。
なんていうかほんまにあかん
 
ちこく
 
業務的には全然大丈夫ではあるのですが
それ、たとえそーだとしても私が言うセリフじゃない
あかん
 
 
パーティーとも戦いともいえる私の中でのおこないは、依然続いているのであるが
たりない、ぜんぜんったりない、、
一週間がすげーはやい くやしい。
やってきたこと やってること やったぶんだけが全てだ
 
ひたむき
いかにも。
 
ぜえったいちょっとずつ片してやーるーかーらーなー、、まーとれー、、
 
 
本当にいいものに淘汰されていけばいいなんて当たり前のはずなのに
みんなそれを選べない 本当にいい機能に絞っていけない のは なぜなのか
 
やっぱり私は仕事に対しても ライフワークと思ってることに対しても
いっつも立ち返ってくるのですが
資本主義社会だけど お金になるかどうかで色々な判断基準や ものづくりや 競争で決められてゆくけれど
いいものっていうのは 愛がなければ できないよ!
 
とおもうのです
いや、愛だけでも飯は食えないけど。
でも、愛がなかったら、私は飯を食える立場にいないのじゃないかなあとも、すごく確信的に思ってるんです。
そうゆうの全部ひっくるめて 極論じゃなくて とても曖昧でファジーなんだなあと 思いはじめたのでした、ここ数年
完全に個人的な話でしかなくなってしまうけど。
 
でも 自分が飯をくえる、安心してくらせる
それも必要な愛のなかのひとつではないのかなとか
こねくり回していつもてきとうに おわるのでした
 
愛しかない、それが世界を動かしている
それなしでは何も出来ない
だから全ての愛を与えてくれる人がいたら
心して受け取り
逃がしてはいけない
 
 
白だしは天才だ、お鍋のあじになった、ちゃんとなった!
そかーこの味はーこんぶだしなのかーへーへー

“白だしてんさい” への1件の返信

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