むちゃだる

体がむちゃくちゃに重い、咳が出始めている、まじでヤバイ

すごく眠る時間だけはとっている つもりなのだけれど
ぜんぜん眠れてない  体が起きている、のだろか、

そりゃあ深夜まで作業してる日もあって それを取り戻す感じだからだめなのだろうなとも

わかっていて でも改善策は、
できないだろうな、

僕にはもう時間がないだろう、

焦ると私はろくなことがない
わかっているけれど
やりたいことをやる ために正しい道(この場合は成功するための効率的で転ばない道  という意味ではない)を 方法をみつけたくて、

別に急がなくてもいいのだけれど やりたいのだ、
やり続けたいのだ、、
いてもたってもいられんのだ。

そのために 努力って ひつようだから。

これ、むかし好きだった人が言ってくれた ことば。

働きはじめて何か変わったかい、
世界の見え方変わったかい、
けれどいずれ気づくだろう、
きみに元はあった大切なもの、
とっくに戻れなくなってから気づく、
取り返せないもの、

別にどっちだっていいのよと
決断をせかせる目の前の商売人間、駆け引き人間、に

あーそうか、表面の言葉だけじゃなく  ちゃんとこっちの言おうとしてること  を受け取ってもらえることすら
わたしの思う「いっこの人間、人格」として扱ってもらえることすら

この世界のふつうでは奇跡なんだな、と
思いました。
だから私は自分のいまそばにいてくれる人たち、わたしのことばを聞こうとしてくれる人たち、を、大切にしなければなあと思いました。

あなたが私の言葉を聞こうとしないし私の個のことばを理解してくれないのは、あなたにとって私がどうでもいいからでしょう、
そのくせこういう商売人間たちは、表面だけは取り繕うとするので私は腹が立つというより呆れたもんだと思う、

ああそうさ、自分にもね、
利益、利益、利益、利益、か。トーゼン、か。ふつう、か。

生きる世界がちがう、とはこのようなときに思うもんです。

うまいことやろう、相手を気持ち良く騙してあげよう、そうすれば自分の利益にもなるし、ウィン・ウィンだわ。
営業マンとしては優秀ね。
でも、

押し売りの幸福なんいらんのです。
ぼくはけして何もすることがなくて暇を持て余してるわけではないし、
ぼくは誰かに決断の責任をおわせて得た幸福になんの興味もありません。
そしてそれを不幸だと言われる筋合いもないと思います。

みんな私をみて「荷物多いですね」とよく言うものだけれど
私には  あなたがたの方がよっぽど荷物がおおく見えるわよ。

けれどそういう取り繕いの人たちも 現実世界にはうまくいっているようだから笑けてくるなあ、
人間、

ぼくは別に自分が正しい道をいっているとも思わないし
自分が人間らしいとも 自分が人間を大切にしているとも思ってない。

そうやって生きてきた、
享受を当たり前と思えば思うほどひとは慣れ、
本来大切なものを大切にせず、もっと、もっとと、驕り高ぶっていく、
まさに、人間、
それこそまさに人間のすがただよ。

ここ最近まじで寝れないのとまじで起きれないのと咳が出始めてる、しかもやっぱ風邪じゃないっぽく症状は咳だけ、だのでやぱあなんかのアレルギーかなこらあーと思ったりもする。大体ずっとねむい。つらい

ただ、いのちの使い方をわかったのだから、充実はしてるんだろうな、と思う。
いい意味でも悪い意味でもないので語弊があるんだけど

それにいのちをそそぐだけ、迷っていない。

迷うならそのための方法。知識を探し集めるとき、そして行動して鍛錬を積むときの方向くらいだ、そしてそれはやりたい向きがぶれなければ、おのずと決まる。とかなんとか。

もちろん

君だって  僕だって  優秀じゃないから、
たまにはこうやって  涙もでるし、
一人きりのちからより  誰かの力を借りようと、みんなでつくれたらいいなと、

今は、おもうのよ。
 
 
 
・・・

2013/02/18 ふゆのあめ
ふゆのあめ
わたしを遠くへ連れてゆく
 
過去やいまにあらじ。
生き、与うつづける。
 
水滴が、今いる空間をみたす、
ぽっかりあいた距離をうめる。

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