きろく GROUPエンペラーめだか ライブ@三重 四日市 ドレミファといろは

ライブでござました。
 

◆2017/2/18(土)@三重 四日市ドレミファといろは
『心の森に花の咲く』37話目
 
GROUPエンペラーめだか(京都)
堀田ショチ夫
杉野明日香(大阪)
佐藤守晃(愛知)
 
18時開場/19時スタート
1800えん(ぺらー)+要ワンオーダー

 
四日市ドレミファといろは ありがとおございましたっ。
最後の打ち上げんときの印象が強すぎて、今回のライブの印象自体が「堀田三兄弟」になってしまってエンドだった・・・。
三兄弟めっちゃええな〜、でも、これ育てんの、まぢ大変やったやろな〜って思った
 
ライブをおえて、終電で無事に実家に帰宅。
 

きょうとても嬉しかったことは、これまでも実は壊れてたんだけど ライブで使っている、めだか木魚 をやっとこさ修理できたこと。
いっぴき逃げ(外れ)かけてたんだけど、接着!!
ゴウさんのアドバイスのおかげでやっと固まってきたよ!!!いけそう!!!
後でやすりかけたほうがよさそうだな〜
 

なんか終電のため駅に向かってる時になってとつぜん、四日市の気になる部分がいろいろ発見された。
これは大通りにある、「なんで?」って言いたくなるオブジェ(鉢植え)
これが大通り沿いに等間隔に登場するかんじ。
四日市の文化かな??
 
あと駅の方でライトアップとかやってるんだね〜。駅のホーム上から見たらすごく規模小さかったけど、いいとおもいました。
 
そして帰りの電車で、同級生に声を掛けられる事案発生しました。おどろいた。でもうれしいかった!!
 
男子ふたり、小学生ぐらいしか喋ったことない 気がする ような人たちなんだけど、
飲み会の帰りらしくて、酔っ払ってたおかげか声かけてくれてうれしかった。
みな立派になっていたし、めっちゃ身長小さかってギャーギャー騒いで遊んでたような子が
ハイパー長身になってて、おとなになる、ってすばらしいと思えた。。
ナイスガイたちでした。
 
わたし、マジで地元に友達いねえし、連絡とらねえし、
ただフェースブックは気が向くと余裕で友達申請しまくるほうなので(ネットのちからを利用)
繋がってはいるけど全然遠目にたま〜に見てるぐらいで、本当に関わりないんすよ!!!
地元にも一切貢献してないしなーそんな人間に対して、ありがたいぜ~
てゆうか、私って一瞬で気づいてくれたらしく、それもうれしかった。
 
でもやっぱ飲むとかになると四日市まで出ないとお店ないんだなあ。笑
名古屋はさすがに帰ってこれんくなるからいかない〜って言ってた。うん、たしかに。
ぜんぜん地元に関する自負とかないし、ふだん 三重の人〜って言われることもないんだけど
四日市に帰ってくると楠の人〜って言われてカースト感じるのおもろい
 
帰り道があいかわらず電灯少なすぎて真っ暗で、ぎゃくに安心しました。
駅もまじ人いねえわ。安定しているわ。
 
自分が整えた部屋に自分で帰ってきて寝れるの、すごくいいなあ。うれしいな
キープしてくれてるのは母だけどさ。頑張ってよかったって思える。
家に帰り、落ち着いたところで、深夜に腹が減ってしまった。やばい。
もっとドレミファのおでん食べたかったな…タイムリミットちかすぎた〜
 


今回はひさっ ぶりにライブ映像撮ってみました。あんましライブしてる自分の状態、意識してねえし、あんまし反省もできていない昨今。参考にできたらな、と思います
なんか、思ったより録音された自分の声、ふつうに自分の声やわ。違和感ないわ
慣れたのかな、録音された声に
 

ぷにょんの話してるくだり
 
とりあいず、帰宅してすぐ弟にミニギターさんを借りてきて、少しだけ弾いた。
我々姉弟は、持ってるギターもきょうだいです。ほぼおなじー
すこしずつ、できた曲を身体に馴染ませていく。
この曲にはすごくバイオリンいれたい。バイオリン興味持ったのも、弟がバイオリン持ってたからもあるけど、
いくえみ綾の漫画にそういう話があって面白かったからだし、この曲のモトも、この人の漫画からだから、まさに、だなあ…
っていう曲。
 
今日はリハ終わりの時間にチェロとコントラバス二重奏聴いたりしていたな。ひさしぶりにユーチューブを活用した瞬間だった。
朝、なにかのパクリかもしれないけど、ピアノとその他の弦楽器(中音と低音ってかんじ。)の曲がものすごく鮮やかに頭に浮かんで、これ、形にしたい…!でもどうやって…!って思ってるうちに家を出る時間でわすれちゃった……打ち込みできる環境とか、ほしい。笑
とりあえず頭の中で鳴ってる音がなんの楽器でどう再現できるのか?っていうのを知っておきたいし叩き込んでいきたいと思ってる。
 
今日、ライブを見に来てくれた母のお友達(というより 良くしてくださるご夫婦)より差し入れでもらったお菓子を
少しかじってお腹が満たされた。
よくねむれるだろー。

eumorass(とする としたい)

いーえるこーとは何にも無い!(無い!)
いいたいこーとも ほとんど無い!(無い!)
 

ユーザ辞書をひさしぶりに追加した。あんまり数なかった。
 
気候が完全に春に傾いてきている。これまでは家に帰るとすぐに暖房を付けないと気が休まらなかったが、
最近は上着を脱いで、長袖でそのままベランダへ出て洗濯物を取り込めるぐらいの暖かさである。
春ってこんなに近かったっけ?2月ってこんなものだったかしら。
経験上、もう1度ぐらいはすごい寒波が戻ってくる気がしている。
3月に雪が降った、枚方での暮らしを思い出すからだ。
 
この日本社会において、だけかもしれないけど、持って生まれたあるいは幼少期に形成された能力のうち、
「他人の期待に応える能力」がどれぐらいあるか、というのは
その後の人生の判断をどうやって下していくか、ひとつひとつの分岐点に対して大きな影響がある気がした。つまり人生全体に影響する。
 
私は幼少期から、他人の期待に応えるのが極端に苦手だった気がする。
今思うと、でしかないので記憶の補正されてるかもしんないけど。
(自分の持っている過去の記憶イメージというのは相当曖昧だと自分は思っている)
 
自分の場合、他人を喜ばせよう!期待に応えよう!と思うと、なぜだか心身がいつも通りにうまく動かず、変な力の入った失敗を、小さい頃からしつづけてきた、ようなきがする。
そもそも、他人はこうしたら喜ぶんじゃないかな!?という想像力の及ぶ先が、他人と全然違っていて的を外れていたと思う。これが原因
だから長いこと、自分が何をすれば他人が喜んでくれ、どう振る舞い、何を話せば、友達になれるのかわからなかった。今もあんまわかんない。だいたいのテンプレートは覚えた?のかもしれんけど。
もちろんテンプレート覚えたところでそれがナチュラルに自分らしく実践できるかどうか、となると話が全く別になってくる。残念!!!
 
だから人を喜ばせるのはうまくいかなかった。ある程度の年齢から、自然にそれをやめた。向いてないから諦めた。
力まず、自分らしく振る舞うことでたまに、ピンときた人が遊んでくれるようになった。話しかけてくれるようになった。それが何より幸運だったかもと思う。
よって私は、ときに冷徹なまでに、他人を喜ばせない。そのために動くことを小さい頃から諦めているから。期待に応えない。そう動くことでうまくいった試しが少ないから。
 
だから他人がこうするから、私もこうしよう、と思えない。そもそも、喜ぶポイントが全然違うんだから、そっちを選んだ先に自分の望む結果があると思えない。
だから自分で選ぶしかないんだなーって思っている。
 
他人の期待という価値観の輪から、ぼくはいつもけっこう外されている。
だから勝手に決めるし勝手に動くんだと思ってる。
ぼくはあんまり他人を幸せにしないと思う。でも想像したいと思う。
何が君の幸せで、何をして喜ぶ?ってやつである。
アソパソマソーーーーーーっっ!!!
 
あれなんすよね、、こういう時なんて言ったらいいんだろう?って思うじゃん。
あの時にまずぼかあ、こういう時、どんな気持ちになるものなのだろう?から想像してみるんす……
想像力っす……必要なのは想像力……想像力にがてだーーーー3D思い描くのとか、もおいちばんにがてーーー
 
ひとのために心血を注ぐこと、ひとのために悩めるということ(他人というものが関わるので悩みというものは生まれる)、ひとの気持ちを動かそうと頑張れること、
それがきみのハッピーなら、それでいいんだと思う。心からうらやましいと思うときもある。自分には選べない道である
 
諦めてはないですけどね!
つまりたとえ一度諦めてもたぶん、好きだったらいつでも何度でも戻ってこれると思う。
ここ3、4年間は違う方法を試しにいってるので 頑張るっす。うっす
 

今度の弾丸は別府いきます。祭りを潰していきます。
(伝統的な祭りではなく、観光のために開催されてる祭り系ばっかになっちゃってるけど、祭りは祭りだ〜)
祭りを潰す っていうと 街が滅茶苦茶になってるところを想像しますねゆ。しません
この本のシリーズちゃくちゃくと集めてます。でもだいたい買い物しろとか グルメしろとかしか書いてない
 
 
今日は結局21時ごろまで仕事するはめになってしまった。できれば、明日土曜が四日市でライブなので、
前乗りで実家に帰ろうと思っていたんだけど。
まあでも終電がはやいので、余裕を持つと、20時ごろには家を出なきゃ~ってなっちゃうのもあるし、
結構セカセカしちゃうな~とも思っていたし、できれば ぐらいで考えてたので、その点でいうとまあいっかと思う。
 
でも、一日の繰り返しを24時間で割るとすると、
睡眠9時間、身支度1時間、仕事11時間、食事×3回で3時間、で24時間終わってしまってるんで、
やっぱり仕事をしすぎだと思います。
 
正直、働いたぶん、自由時間欲しいんですけどだめっすかね?
比重おかしい!!納得いかない!!グオーーーー
 
つまり一日の中で残ってる11時間を、自由時間と仕事で半分に平等に割ると自分的にはベストだと思う。5.5時間はたらいて、5.5時間自由時間とする。
とするーーーーーーーーーー!!!!したいーーーーーー!!!!
なので今日のように、残ってる11時間をぜんぶ100%労働につぎ込んでる場合ではないーーーーーっ!!!ウワーーーーっ!!
 
とゆう、今日の反省でした

ふむ、自分はぜんぜん、宝くじあたらないかなぁ〜なんてことを夢見るようなタイプではないんだよね。
っていうか現実的に調整すれば近づける気がしてきた。近づこうと思います。
 
ゼイゼイいいながら夜遅くに帰宅したところ、
およめ様が今日はついに……
寿司をにぎってくださりました………
まじか………
寿司好きとは知ってたけど
その域にいっちゃいましたか………
(わたしも何が食べたい?って言われると寿司って言うやつ)
 
とてもおいしいかった~~
 
 
音楽聴けるアプリがあるじゃないすか。
これまで、お試し期間あり!ってやつはだいたい試していて、
有料期間に入るまでに確実にその役目をそっと終えてる。
そんな月額払うほど、新しいの聴かないのだよな。
でも無料期間が終わる頃、せっかくだから、ちょっとぐらいは試しに聴いてみようかなって思って、しばらく新しい音楽を聴いてみてる。
自分にとってはこのぐらいの感覚がちょうどよい。
 
今回はちょうどキャンペーン的なやつをやってた、LINE MUSICを試してみてたんだけど、案の定ぜんぜん聴けなかった。
でも終わりそうだったので お風呂場でちょっと聴いてみれて、よかった。
 
今回、なんとなく好きな曲があったアーティスト
SHE’S
Brian the sun
大森靖子
れをる
 
でした。
 
SHE’S の「Tonight」とゆう曲はめっちゃきいたことがあった。
なんかのCMソングかなあ。ぜんぜん歌詞は入ってこないけどそれを凌駕しまくっていい曲だなあって思う。
 
 
明日はお昼ごろに家を出て、故郷にけっこー近い場所、三重県 四日市でライブをやってきます。
良いライブができますように。

日々は積み重ね

16時。午後4時。
最近この時間に出歩きましたか。
晴れた日の夕暮れ、この時間の風景は
田舎であろうと、ビル街であろうと、砂漠であろうと、とても美しく、
生きてるって感じがする。
 
普通に、って何かわかんないけどパソコンに向かうような職種で、会社員として生きていると、あんまりこの時間に外に出れない気がする。
人間は、もっとこの時間は外に出ることを奨励されるべきだと思う。
ここ一年ぐらい、強くそう思う。
 

I think I like this,
but I don’t like to think this

3D sex show
3D sex show
They have sex, so you don’ t have to

(3D sex show/shitdiscoより)

 
出勤前の時間に音楽を聴いている。とつぜん聴きたくなったから。
shitdiscoやっぱりむちゃくちゃいい
このアルバムなぜかカナダのショッピングモールで買ったなあ…っていうのを思い出す。笑
やっぱ一番好きなのは「Lover of others」とゆう曲。
今思うと、アークティックモンキースとサウンド的には似てる?のかもしれないけど全然違うのが面白いなって思った。似てないか。
 
うん、やれることを、やれるラインでやっていくんだろー。
結果全ては、勢いだし、流れだし、機嫌だし、努力だし、運だし、嵐だし。
 

日々は積み重ね。
今日のことを今日のことだと思いながら書き読めるのは今日だけだ 。
ほとんどの文章は読まれるとき、今日のものではなく過去の何時かの記録を読んでいるにすぎない。
だからこの文章を読むのはほとんど必ずしも、いまより未来の誰かなのだろう、いまよりいつか先の、
未来の自分や自分以外に宛てての言葉にしかならないんだろうな。
しかならない、という言い方はネガティブかもしれないけど、
いい意味でもある。
 
きっといつか未来の自分は今日の日記を読み返しているだろうから、最近の世の中にちょい関わるようなことについて触れて書こうと思う。
去年から今年、ものすごく大流行しているヒットソングがあって、
星野源「恋」なのだけれど、
この曲がすごいなと思うのは、サビの歌詞、ぜんぜんヒットしそうにない、なんなら覚えづらい、そんなつくりのものを、ここまでの大ヒットに掲げられているということが、良くも悪くも、
いや、個人的にはとても良いと思っている。
 
なんか理屈っぽいかな。偉そうかもしれないけど、なんていうか偉そうにならないための工夫とか前置きとか考えるのが面倒くさい。仕事じゃないんだからさあ、
 
けっこう率直に、ええなーと思うているということです!
 
輪島の夏祭りの日程を調べているが、どぎゃん平日やわ。
9月は毎年おわらに行くのでもう固定で不在だし、どうしよーなーー
 

日々は積み重ね。
暖かくなってきたせいなのか、やっと毎日の積み重ねが少しずつ軌道に乗った感が出てきた、あるいはもう慣れてまあいいか〜って思えてきたのかもしれない。
本もすこーしずつだけど読めたし、夕方にお散歩できたし、晴れだし、買うつもりの雑誌買えたし。
あとは予約ごと、と、手付かずのあれそれや、明日からの三重帰省(三重にてライブです)をどのようにするかとか、うんすん。
 
ずっと叶わない予定のひとつが、「図書館にいく」である。暫く平日しか時間ないのだけど、19時までなんだよね〜。むずいな〜〜困難。
しかも、別にセカセカ行って目的の本ゲットして帰ってくれば良い、ってわけじゃなくて、本を出したりしまったり試し読みしたりしてのんびりしたいのである。
 
ま、いいか、
なんか図書館に行くっていうことがすごくレアにおもえてきていいかも。
という思考に段々なってきた。これが春なのか。
そしてこれがもしかして、人のいう「機嫌がいい」とゆうやつなのかな。なんて思う。
 
虫のいどころのせいにして他人への態度を変えることを平気で肯定してるような人類はぼかあ理解できないけどね。
でも、たぶん、自分もその人類の一人なんだろうなとも。
想像する
 
春が近いように思う。
この頃、言葉になって出てくる考え、書き置いておきたいことが沢山出てきた気がする。
もう暫くお付き合いください。

ジャスト板ザベスト

なんていうか、ストレス忘れるために酒や何かに頼ってる時点でどうしようもなくないすか〜
って思う
 
ねむすぎてクラクラしながら出勤。
こんなに眠いのだからもうちょっと寝てから出勤したほうが効率はよいのではないかとかなんとかゴネたくなる
 
昨日のはなしですが、今年のバレンタインデーは、
なんだっけ、
あの、レシピ名忘れたけど、
チョコレートな感じのケーキ焼いて 上からチョコかけて固めたやつ。をつくった。
頑張った!!!
しかしなんか 中身の食感は 例えるなら「羊羹」ってかんじで、(そんな瑞々しくないんだけど…こう…モタッとして…)
胃もたれしそうな感じですので、食べるのはちょっとずつにしようと思う。
 
毎年思うけど、色んなチョコ菓子食べてきたけど、
けっきょく一番美味しいのは 板チョコだと思う。
 

近頃、しいたけ にハマっている。
肉厚なやつを、焼いて 塩を振るだけで とっても極上の味であると思う。肉みたいに贅沢だと思う。
何かしらバターかオリーブオイルの油は必要になってくる
 

何故か真剣に撮影してしまった
 
 
この文章を携帯のメモの中にしたためているいま、ぼくは心斎橋と長堀橋のあいだぐらいに立っている。夜の街の交差点だ。
 
今この視線をまっすぐ前に伸ばした先に、たった一点だけ明るくひかる星が、ひとつだけある。
その一点だけしか星は見えず、ほかには星はまるで無いかのように。一点だけ目立って、輝いている。
 
あれは星だろうか?
星ではないなにか人工物かもしれないな。
明らかにひとつだけ、目立ちすぎているし明るすぎるから 。
 
でも見えてるそれが、星なのかどうか?という事実検証に、なんの必要性があんのかなとも思う。
 
ホタルの光も、粉雪も、実物が美しいからそれはそれで本物でいいと思うけれど、
それにそっくりな、たとえば羽虫や、舞い上がるホコリのきらめきであっても、
同じように見え、美しいと思うのならば、
感じる心になんの事実検証がいるのだろうか。
 
 
むちゃ好きなお店、ブルーブルーエで、むちゃかわいい くじらのぬいぐるみが売っていた。
くじらとゆうチョイス、そしてフォルム、肌触り、色艶、全ての統合、くみあわせが素晴らしかった。
結局、こんな難しい言葉で説明することでもないんだけど
カワイイ!
ってことなのだ。
衝動に任せるなら、でかいのも小さいのもセットで買っていたが、
家にかわゆく置いておいたり ふさわしい役立ち方をうまく思い描けなかった。
 
 
帰宅してから自炊。れんこん関係レシピにチャレンジした。うまい。
しかし料理をやって飯を食べたらもう22時だった。
今日は直帰ではなかったにせよ、おそろしい!!
 
毎日、けっこう、精神的にもセカセカ、セカセカしているのだけれど
振り返れば去年の2月もこんな感じだったみたいで、
まじ進歩しねえな~って自分に対して思うわけで、
そういう事柄がこの世で一番ガッカリするしションボリするのである、べきだと、思っている、のだけれど
 
自分の夢は全部かなっているから、何をこんなにやらなきゃいけないことがあるなんて思うんだろう。馬鹿馬鹿しいよね。そう思えたらいいけど。残りのおまけの時間、楽しめばいいのにね。

目覚まし覚まし


いつかの誕生日、弟にプレゼントしてもらった
お気に入りの目覚まし時計が壊れてから二年ぐらいが経つ気がする。
修理に出そうとして出そうとして、忙しいのでずっと後回しにしてきて、
やっと今年に入ってからメーカーに連絡を入れてみたところ、
もう取り扱いが終了していて、
生産・修理などの対応が出来ないとのことだった。
 
好きなものがどんどん無くなっていくのは悲しいけれど仕方がない。
もともと外国から輸入されている商品だったので、
ネットを見たら、高値だったけれど、まだ在庫があり、取り寄せて販売をしてくれているお店があったので
つぎ壊れたらもう無理なのはわかっているけれど、
最後に・・・と思って注文した。
 
これと同じような体験を、別のモノでも最近していたりするのだけれど、
つまり、やっと、放置していた「修繕」とかの時間を
何とかしなきゃいかん、と動き出せる時間が取れている、ということなんだろうか?
とも思う。
というか、あまりに放置をしすぎて、そろそろこっちやろうか、、マズイ、、
みたいな勢いの付け方なんだけれど。
 
それで、壊れた目覚まし時計だけれど、
メーカーに引き取ってもらったところで、もう処分するしかないとのことだったので
捨てるしかないなーと思っていて、
先日、最後に、ダメもとで電池を入れ替えてみた。
やっぱり、うんともすんとも言わなくて、
だめかー
って思って、
その後忙しかったので、そのへんにポンっと置いて放置していた。
 
今日、さあ捨てるか、と手に持ったら、
時刻表示が点いている。なんと動いている。
 
電池の入れ替えを試したあと、電池を抜き忘れていた自分のバタバタ間抜け加減にも残念なんだけれど、
まじか!!となって、
普通のアラームとかの設定を触ってみたけれど、
やっぱり、当時壊れたのと同じように、音が全く出なくなってしまっていた。
 
でも、アラーム音は鳴らなくなってしまっても、時計としては使えるみたい。
時間を合わせて、部屋に飾ることにした。
新しく買ったやつの色を、違う色、ブラックにしておいてよかった。
いや、同じ色二個でもかわいいけど、間違うじゃん。
 
これからもどうぞよろしく。

oetsu


タオルつかんだ時になんか色がきれいで撮った。
 
なんか、考えなきゃいけないことが多すぎて、何も思い出せない。
 
これはただの責任転嫁かもしれないけれど、言葉には言霊ってゆう力があって、
最近、自分自身がいちばん、自分がドラマーでいいのか?っていうことがわからなくなってきたなあと思った。
やりたくない、ということでは全くなく、
また、自分の今に不満がある、ということでもないと思う。
 
自分でいいのか?という問いに対して何かを感じることの意味は普段ないと思っているのだけれど、
今は、よくわかんない。
自分がやりたいから、やってきたことだけれど、なんだか、それがいいことなのか、わからなくなった。
 
いいこと?
いいことって何だ?
 
なんだろーね
 
ぼくは自分がドラマーでない方がいいならドラマーでなくても全然いい気がしてる。
ただ、ドラムが一番、やってきた歴が長いし、楽器の中で操るのが得意というか、
身体の感覚や、リズムと密接につながれている楽器というものである。
 
音楽にとって必要な音とか、ほしい音、作ってみたい音を組み合わせてつくるのがすきだ。
だから、そのときドラムの音が必要と思えなければ、自分には叩けるビートは、無い。
無しである。
 
音楽が好きだ。
好きっていうのには人それぞれで色々あって、
音楽が好き、っていうのにも人それぞれで色々ある。
 
私は音楽が好きだからといって
ありとあらゆるジャンルの音楽を深く堀りもぐったり レアなレコードを探し回ったりしないし、
メチャクチャ好きなアーティストについて語れと言われても、べつに何も語れない。
あの曲と、あの曲が、すごく好きで、こういう時に聴いていて、染みたんだ~とか、
そういう自分の話になる。
 
音楽っていうのは、自分にとって、いつだって自分の話になる。
そのアーティストのファーストアルバムとかセカンドアルバムの変遷がどうとか、
歴史がどうとか、メンバー交代がどうとか、
正直全然知らないし知りたくもないしどーでもいい。
曲に残っている音が全てだと思うし 耳に入ってくるタイミング、
その時の自分の心の開き具合がすべてだと思う。
 
出会いのタイミングっていうのは、
その音楽が、ぼくの人生に対して、一緒に歩いてくれたタイミングっていうやつだと思う
 
音を鳴らすということと、聴くということの狭間とか違いは
実はよくわかってないのかもしれない。
いつだって誰かの鳴らす音のファンだし、
自分たちの鳴らす音のファンである。
そこに境目が必要なのかどうか、考えてみたことがあるんだろうか?自分は。
よくわからない。べつに考える必要もない気がしている。
 
でも、好き だけで、よく、分からなくなる、ここ最近は特に、
たまらなく難しい瞬間がある。
好きってことと、必要なってことと、作りたいっていう音とか、ぜんぜん違うような、むずかしい、とても難しいくて、わからなくなる
 
分かっている、やりたいことだけを、やりたいと思えるぶんだけ、やり続けたらいい。
わかっている。
 
やる気のあるやつが好きだ、でも、自分はどうなんだろうな、って考えたときに。
自分にとってはやる気あるんだけど、でも、それってどういうことなんだろうな、って
考えたときに。
 
音楽はものすごく自分のなかに 普通に 自然に そのままの形でずっとずっとあるもので、
ずっとそこにいるもので、
たまらず出してしまった鼻歌みたいなもので、
我慢できなかった嗚咽みたいなもので、
 
だから、自分をはなれて考えるとき、やっぱり、わからない。
いや…自分をはなれて考えるなんて、
できないのかもしれないと思う。
 

ぼくらの生まれてくるずっとずっと前にはもう、アポロ計画はスタートしていたんだろ?
本気で月に行こうって考えたんだろね、
なんだか愛の理想みたいだね