なんにも言いたくなくなった

女王蜂のライブを見に行った。たぶんこれが私が彼らを見に行く二度目のライブで、
まえに見たのは初めて、ハードレインで見たときだ。
友達のバンドの対バンだった。
私はいっしゅんで心をうばわれて…、
気づいたら泣いていた。ぼろぼろ泣いていた。
ライブが終わると同時に、物販でたしか200円のカセットテープ音源を購入したのだった。
「初めてのお客さんだあ〜」って言われてびっくりしたっけな。
 
何年経ったんだろう。
また見たいって思いながらタイミングを逃し続けてやっと辿り着いた今日は、
大きなステージ、すごい照明と爆音、歌がよく聴こえる舞台だった。
 
照らされて踊る彼女は、
あの頃と何も変わらない、
そして自分とも何も違わない、一人の人間だって思った。
 
ライブがおわった、
なんにも言いたくなくなったし、誰かと話がしたくてたまらないし、でもなんとも言えない、そんな気持ちだ
なんと形容していいかわからない感情だ。
最近もやがかかったような感情に面することが多く、そもそも記憶全体にもやがかかってるようなものなのかもしれないけど。
お腹がすいたけれどぜんぜんどこへも行きたくないけどぜんぜん帰りたくない。
 

自分でこの自分をどうすればいいかわかんなくて、歩きだす。
 
ああ、気づけばまたこの街なんだな。
見覚えのある通りへいつもぐるぐる来てしまう。
きみはいつか見たようだね。
あのときもぼくはまた選べなかったんだな、なんて思いながら、
 
あのときと、あのときと、あのときと、
いくつもページをめくり直す。
何回もめくり直す。
 

ねむくて、ねむくて、
お腹がすいて、
すぐにでも倒れ込んで目を閉じたいのに、
脚はなかなか言うことをきいてくれない。
 
歩けど歩けど感情はまだだ、まだだ、と
ぜんぜん流れていってくれなかった。
次のあの店に入って飯を食べよう、って何度も思うのを繰り返すのだけれど、とうとう一度も成功しなかった。
いま腹を満たしてしまうと、一瞬で眠りこけてしまうだろなーって思うから、
食べてはいけないなーなんて思う。
 
ああここ行ってみたかった店だな、っていうのも何回かやってきたのに、ぜんぜんだめであった。
 
こんな気分のとき、ひとは、べろべろに酔っ払って我を忘れたいなんて思うんだろうか。
ずいぶん人間らしくなったものじゃないか、なんて思い上がってみたりする。
 
どこ行きたい?どんな場所?
ああ川がいい。
深く、船の浮かべられるような湾ではなく、
浅く、泳いで渡れるか渡れないかの、広い川がいい、
 
川とともに我はあり、川とともに我はゆく。
 

 
ぼくは愚かだな。
愚かな自分を忘れるために、考えないですむように、歩いて、歩いて、歩いて、考える体力をなくしてしまえって思う、
んだろうか。
 

ここ数日考えてた、
もし願い事がひとつだけ叶えてもらえるならさ、今まで住んだ、ぜーんぶの家に、もう一回住むんだ〜。
 

 

二時間歩いていたらしい。九条に着いた。体感としては五時間ぐらいかけて五年間ぐらいをめくりかえしていたつもりだったけれど。っていうか行きたい方へ歩くと、だいたい、行ったことある道へきてしまうね。
自分も進歩したなって思う。五年まえ(体感よくわからん)ぐらいは、こんな日はあかいぬう〜〜って言いながら家になだれ込んでた(THEヒモ生活…)し、
三年前ぐらいだったら歩きすぎて終電なくしてマジで意識とびそうになってたりしたけど、今日は終電のしんぱい、ちゃんと事前にしたもんね
 
って言っていたら、なんかしらんけど電車乗り過ごして 緑橋についた。
あれ?ずいぶん久しぶり……
このへんも何回も歩き回ってる(徘徊)エリアなんだけども。なつかしいな。
ずうっと歩いて、歩いて、歩いて、疲れて眠って、毎日が終わればいいのにって思ったりもする。見た感じ健康的じゃないか!(不審者)
 

 
ものすごく久しぶりに家の近くを歩いた。なんだか大事なことを忘れてしまっていた気がする。このまちを選んで引っ越してきた時の気持ち。その頃の記憶。
どこに行こうかって考えるのはわくわくする、えいって向かえるのはいい事かもしれない、でも、代わりに今の場所を失うことが、心から、泣くほどつらい、
…………
新しい橋がとうとう架かった、空き地にマンションが建った、
この街の変化、うつりゆく全てが、いとしい。
 

初期真っ黒だった、NASAの写真壁紙にしてくれるやつ、気づいたら変わってた!いい〜
そうでした、わたしのHN、NASA-Gでした