いまにつづく原始風景

わけもなく涙こぼれ落ちた
スローモーションで揺れる風景を
このままずっと見ていたいだけさ、
けどそれは出来そうにないよ
 
(ミソラ/UNDER THE COUNTER)

 
なんだか懐かしい夢を見たな、
すげー高い塔みたいなところにいたな、文明的で高級なかんじだったけど…
 
二度寝してもう一つ夢を見た。
それも懐かしい人の夢だった。
 
いつも自分を試されているようなそんな気がする、そのたびに自分のアンサーをだしていかなけりゃならない、けど出していくし、耐えてみせるし、抗ってみせると思う
 
悲しいことは繰り返さない、懲りたことにはもう手を出さない
とりあえずぎもぢわりいし腹が痛いな……
 
 
昨日見たアポカリプトという映画で気になったこと色々あったのでネットで調べたりしていた。マヤ文明のあの生贄文化感、残虐な感じとかは全然イメージになかったから(というかマヤ文明のイメージというの殆ど持ってないけど)、なるほどーという感じ。あくまで一説のようだけれど。
 
そして、この映画はマヤ滅亡の直前の話、という書かれ方をしていたので、あのあとどうやって滅んだという事なんだろ…??と思ってそれも探してみたら、なるほそー
だった。
面白かったです。
 
ぼくはニッポンの文化の中に染まり、平和に暮らしているのでさっぱり歴史の出来事には えっ?なんで?なんでそうなんの??
って感じで理解が追いつかないような事も多いけれど、(世界史の勉強とかしてても、えっ、それ、べつに殺さなくてもよくない??とかって思っちゃうよね)
やっぱ根本的な人間の残虐性の性質はありますよね、と思う。
知能が高いから残虐を思いつくのかな、残虐だからこそ知能が高いのか?
でもそれが本来、根本的にぼくらの基本性質なのだろう。と考える。
 
あいつは殺していい、あいつは殺してはいけない。その基準を我々が決めていいと頭から思い込んでいられて、なお平然とおのれが正義と思い生きていられるのは、ぼくらが生来、残虐だからに他ならない。
 
映画中でもちょっと出てきた話だけれど、
人間は、もっと速く走りたい。もっと知識が欲しい。もっと強くなりたい。ひとつひとつ願い、大地に力を借りて叶えていくけれど、
その欲望は永遠に満たされることがなく、
最後に大地は言う。もう与えられるものはない、と。
 
生命を維持する、それだけですら何かに頼らないと叶わないはずなのに、
何もかもを叶えようとできるわけがない。本来。
だけれど僕らは、持っているものをどんどん増やそうと考える。次はあれがやりたい、次はそれが欲しい。
そして1つ失うだけでも全てを失ったような喪失感にとらわれる。取り返そうと躍起になる。
 
じゃあ何を選ぶだろうな、
生きるか死ぬかも選べる?本当は選べるな。
けれど与えられたものの中で満足できたり、
今持っているものだけで喜びを生み出すようなことがし続けられれば、
次の新しい何か、新しい欲望を常に満たし続けなければならないような空虚なこのループを、抜け出せ、乗り越えられるだろうか。
 
いな、完全には無理だろうな。100%といってもいいぐらい無理だと推測する。
なぜなら僕らはやはり安全圏というのを確保するからだ。
安全な中から、捕って食べ、その壁を強固にしていくだろうからだ。
捕って食べるために、いちいち何かを差し出すようなことはしないだろう。おのれの安全なところから、上から一方的に搾取していくだろう。
 
ただ、その度合いは選べるだろう。
ぼくらの現代社会はどうだろう、
つかまえて育て、肉にしたあげく、それを無駄にして捨てることなんて、裕福とされない家庭でも多々あることなんじゃないかな。
 
そんなことばかりだ。
そういう思想を当たり前と思っているから、やっぱり欲望は許されているものだと思いがちだし、無限に膨れ上がることに疑問を見いだせない。
のではないかな、なんて思う。
 
でも、だから人間は強い。
まわりの都合なんて、考えないからだ。
ただ力で支配するからだ。
 
人間を食うやつは現れるだろうか?
いや、今もべつに人間を食う獣は存在している。
人間はそれを抑えつけることに成功している。と思う。(フロムジャパン)
そうじゃない。知能方面から、文化として、趣味嗜好として、計画的に、人間を食うやつが現れるだろうか、と考えている。
 
それはすごくバランスのとれた図だなと、他人事にはそう思う。
 

真っ赤な夕暮れが全てを染めて
街は切ない気分になる
そしてまた夜明けを繰り返したら
僕らは忘れてく
 
(ミソラ/UNDER THE COUNTER)

 
自分の日記を読み返していた、
沼の中をもがきまくってる2011年から2012年、
エンペラーめだかのライブを初めて見たのが2012年の5月らしい。
 
http://gd.xii.jp/2012/05/09_201205_001/
確か4月の終わりに生き仏のライブで初めて丸太町ネガポジに行ったのだろー
懐かしいことが沢山あって、
それは、今も生き与え続けてる
 
「タンバリン」としか書いてない日記あって爆笑した
たんたん元気かな
 

僕は平気さ、
にせもののシャベルも
白い小鳥も
ぜんぶ愛せるさ
 
美しい名前で
丈夫な体で
生きてゆけるさ、
何もなかったように
 
(春あるいは薔薇だって書けるよ/なさげ)

 
negaの歌詞の初出が2012年5月、初めて披露したのが2014年の誕生日のライブらしいので、そのぐらいかかるなって思う。もっと古い曲で、芽がでそうなのもある。でたらいいね。楽しみだね
 
ひさぶりにグリーンカレー自宅でつくれてうめー、ソウルフード。
しかし、あっぶ、、
完全に歯医者の予定を忘却したまま料理とかしていたわ。またブチるところだったわ。まえブチッたのは歯医者じゃないけど……
歯医者さん、いつも診察券忘れる(実体であるカードをいちいち持ち歩く癖がなく、当日も仕事終わりそのまま向かうことが多いため。
しかし今日のケースは完全に、家から出発したんだけど、持って出るのを忘れただけである)
 

クリァ表記 新しかった
 
一日よゆうで13時間ぐらい寝てられるんだけど、大丈夫かな??
いや、まあ大丈夫だったとして、フルタイムの仕事では働けないよな!!!

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