なにわサリバンショー

お母さんと、映画見に行った。
お父さんも一緒に行ったのだけど、お父さんはもともと映画がすっごい好きなものだから、今あんまり観たいのがないから? ってひとり 清水寺に旅立っていった。。
みんなで御飯たべた。
 
 
観た映画は「ナニワ・サリバン・ショー」。
映画というかドキュメンタリーというかライブ映像+再現映像というか。
忌野清志郎の映画だったよ。
 
去年ぐらいに知ったことだけど、お母さんは忌野清志郎がすごい好きで、
ひたすら車の中で清志郎のカセットテープ(…!)を流してはウルウルしてた。
なによなによ。そんな趣味、聞いたことなかったよ。
 
というわけで 私も最近色々と聴いてみたり、私がちょうど持ってた音源をおかーさんにあげたり。
 
忌野清志郎の個展とか名古屋に見に行ったっけな、そいえば。去年ぐらいかな…
んで絵本買ってもらった。清志郎さんは絵が上手。というか、色の組み合わせがすっごいなあ… センスなんだろうなー
衣装とか見ててもすごい思うなー
あんなの着ちゃう男の人 すっごい 好きなんだよー よー よー
 
ライブ映像を、映画館の大音量で聴いて、すごいなーって思った。
やっぱりいいなあ、音楽。
やるでもないけど、やめられないだけ。なんだよね。
 
さて、この映画見て、初めて、斉藤和義ってこんな顔してたのかーって知った。
そして、動いてる彼のことを見て、なんだかとても、好きになった。
あんなに魅力ある人いるのかー。映像なのに。
オーラなのかな すごく人間っぽいかんじが、よかった。人間っぽいってなんだ。
 
お風呂で歌うたった。
 
なにわさーりばんしょー

ゆうさん SO うんどー

わくわくしたり
どきどきしたり
ぎすぎすしたり
いらいらしたり
めそめそしたり
頼ったり
頼られたり
疑ったり
不安になったり
確かめてみたり
 
ああ、かわいいなあ って思ったかとおもえば
急にキリリとした表情みせて落ち着いたようす。
 
生きていくために必要な目くばせや、
自分を守るために、必要なずるさや、
思い通りにやるために他人を騙すウソや、
そういうものが見えたり隠れたりで
いやで、かなしくて、切なくって、苦しくって、
それでも愛おしいというだけで、
何もかも許してしまえることもある
感情論。
 
ひどいめにあっても、やり返すやつも、やり返さないやつもいる。
 
人間は面白い。
生きることは、騒ぎだね。

まひ ゃど

さむい
夏のまま、ほぼカーテン無しの状態みたいのんでいたら、
もうふ二枚と羽毛布団を重ねても、寒くてねむれませんでした。
 
買い忘れているもの
1.カーテン
2.壁掛け時計
3.目覚まし時計
4.コンタクトレンズの替え
5.携帯電話のバッテリの替え(というか修理)
6.デジタルカメラ
 
ん!
そうなんです。1.なんです。
 
力技で寝る
 
おわり

朝つ ゆ

目の前でバスに行かれる。 あああ…
祝日、バス停のまわりで交通整理してる人達の言葉を上の空で聞き流し(すんません、本気で焦ってました)、
ダッシュして別のバスに飛び乗りました。
そしたらぎり 間に合いました。
 
でも会社は開いてなか 以下略
 
コンタクトレンズ買いに薬局へ行ったら、
私の欲しいコンタクトレンズが扱っていないようす。
うーんおかしいなおかしいな
なんだかうまくいかない
 
帰って、ししょーと電話した。
今でも私を見捨てずに真剣に話をしてくれる人がいるというのは不思議なものです。
何が私のためになるかなんて自分で決めて自分で責任とるしかないけど
それでも その人なりに 私のことを考えてくれてるのは
嬉しいです よね。
 
他人のことは「ふーん」であくまで他人事のよのなか?だから
(よのなかって何?とか言い出すときりないから ニュアンス適当)
嬉しいす。
 
そして何かが この世界と、ひとをつつむ大きな何かが
とても かなしくて、残念です。
(それは自分に対しても思う)

やさしいひと

人がやさしかったです。
 
自炊をする。
 
ええと…
言葉が出てこない 何を書いても伝わるような文章にならない

万有今生

いつか実は結ぶ、なんて 甘い言葉虫唾走る
けどやっぱそれしかねぇんだよな。
すがる未来に生かされてる
 
(蛮勇根性/月光グリーン より)

 
月光グリーン「蛮勇根性」
https://www.youtube.com/watch?v=sT5PeQKp3xM

 
 
ろんよりうんよりばんゆうこうんじょー
 
 
すっ!

うれへへ

おかーさんが優しかった。
あんたは笑顔がいいんだから!ってさ。
私の大事な人もそう言うてくれます。
えっとえっと…
 
うん!
 
なんだかそういえば、思い出した。私の絵を好きだと言うてくれる人たちのことを。
とっても嬉しかった。
描くのはやめられない、歌うことも、ドラムやることも。
ひとを愛することだって、やめられないだけなんだ。
そう、たとえ大多数のおとなが認めてくれなくてもね。
 
だから、やめないんじゃない、
ただそこにあるだけなんだ。
ごくごく超自然に、私は、
ただここにいるだけなんだ。
 
 
ええ、笑おうと思いました。

サタデー

サタデーはサンタデーです!キリリ
 
たいようがさんさんときらめいていました。
お水をもっとください…おみずを!
 
という比喩 だ  よ
 
 
とりあえずナイトがフィーバーしました。
汗だくです。
苦しいけれど、別に苦じゃない。
ああ、どうしょうもないな。
もうここから引き返すことなんて出来ないんだろうな。
 
そんなふうに
思いました。
 
生きるって、やっぱこうじゃないといけない。

ねむる

眠るとゆうことは、その夜にたましいを委ねるということ。
寝床にからだを投げ出し、意識を手放し、
自分というすべてを操っていた力が、ぬけおちる。
それまでつかんでいた自分をうっちゃる。
そうして人は休息をえるのです。
そうしないと、えられんのです。
 
その寝床はその家のもんで、
その家はその街のもんで、
場所が違えば、空気が違う。
空気が違えば、においが違う。
名前が違えば、ことばが違う。
 
だから、暮すとゆうことは、
その場所に根をはることで、
その場所に寝をはることです。
そして、はっただけ、あなたのたましいに、
その空間を刻みつけてゆくということ。

論より照合

電車に乗った。窓から見る景色。
どこかのまちのどこかの道を分断する、
線路のうえにのっかっている。
踏切を通りすぎる。
誰かがこの列車が通過するのを待っている。
乗ってるわたしには片側しか見れない。
でもその景色にはほんとうは、
踏切の後ろ側の景色も、あるんよね。
 
そこに立ったら、わかるはず。
 
そんなことぐらいしか私にはわからないけれども、
大事なのは、少なくともそれがわかっているということが
私にとってウレシイかどうかで
 
あっちとこっちを、論より照合。
症候群は はじまっているのか。
未来と過去がいっぽんの道のうえにあるとすれば、
ここは例の踏切か。ここんとこ濃いのは海霧か。
 
海岸へ出るのか?
涙は塩っからい。私にはそれと同じく、帰るところがあるのです。