考えぎみはループぎみ

考え疲れるのはいつものクセなのだけれど
考えずにいられないのだから一生懸命やります。
 
うん、ただ自然にうごけばいいのかな。
理解したつもりになっている なんて 常にそーだろーし
100%理解できることなんて ごく一部のことだろうし
 
そして、そんなふうに合理的に考えられないのも 自然のこと
 
歌をうたう。
「僕の恋人に」
 
ギターきれーなー

むしょ

悲しいことばかりが胸をこおらせる
 
朝、無性にネズミハナビの歌のあたりのトーンの声が聴きたくなって、
流れてきたのはイースタンユース。
ほう
 
雨あがりの谷町四丁目は
とてもきれー
 
濡れたオレンジの街灯のひかりが、
ぼんやり空気に向かって広がって滲んでいる。
 
こんなことってないわ。

死んで苦しめ(4/9)

部屋干したタイツに 蛾がとまっている。
日々は廻り始め、止めることはできない。
 
鎖を外しては求め、外しては求めるのが私達人間だろうか、
それとも、私は人間ではないのでしょうか。
 
関係ないから

ヒト化

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「ひとは何のために生きるだろう」ということを考えるとき、
ひと って 誰だ?
 
わたしか?それ以外の他人ぜんぶか?
わたしは何のために生きるだろう?
他の人たちは、何のために生きているだろう?
 
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どちらも混合、なのだろうかな、と思った。

そうでもない

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夜、ガラス窓のなかから景色を見ると、
明かりが点ったところばかり目に入ってるんだよ。
そりゃあそうだなあと思って、暗さに目をむけてみた。
あんまり見えなかったけど、
点ったところにも、暗さのなかにも、ガラスに映りこんだ内側にも、
なかなかないものがあるようだよ。
 
なに考えてる?
どうやって生きてる?
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三月三十一日

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淀屋橋。
 
目をこらしたら、空気中に、スナアラシのような雨粒がみえた。
 
その向こうに沢山の、背の高いビル郡が見えたけれど、
なんだか今日は、それら景色のなかに見える背の高い建物類、全部が
なんにも建っていない状態の、だだっ広い平地が、たやすく想像ついた。
 
指で押したら ぱたん、と倒れそうな
ハリボテたち。
 
ひとつずつ指で押すふりもして
ぱたん、
ぱたんって
 
風はすうすう指の間を
すりぬける
 
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からの
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寿司ターイム

のず

春は暖かいけどきらい。
君を連れ去ってしまうから。
だからこのまま花が咲かなくてもいいと思う。
君とくっついていられるのなら。
 
むりかな。
 
むりは、よくないね。
 
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電車 頭上通過中 の ず

過去がいまに与えつづけるように

ほうれんそう卵焼きたべる。
それはやがて私のからだの中で、血になってめぐって、
この体温になって、消化されていく。
 
あったかいご飯と、この時間は、
確かにここにあって、確かに私の幸せなんだけどね、
それって なんなんだろうね、
どうせすぐ消えてなくなってしまうのにね。
 
 
離れた人のことは、良いことばかり思い出す。
 
母方のおばあちゃんのことを、たまに、ふと思い出す。
おばあちゃんは、小さい頃よく家出してた私を、迎えにきては、
家に帰る私を 近くの道の角まで見送っててくれて
(おばあちゃんの家は、同じ町内にあるけど家は別だったのです)、
見えなくなるまで ずーと手をふっててくれたっけな。
 
今でも、あの姿と、あの帰り道をはっきりと思い出すことができる。
腰の白いエプロンと曲がった腰がかわいいおばあちゃんは オリジナルのうたをいっぱい歌ってくれたんだ。
 
「あーすみちゃんはい〜い子〜 か〜わい〜い子♪」
とか
「なっかよっくしっなさ〜い あ〜ねお〜とと(=姉・弟)〜♪」とか、
 
名作揃いでした。
 
今もその愛を思い出すとなみだが出るのは、
私にその部分があまりにも備わってないからだって、そんな気がしたりもする。
 
わたしに理解できないことは、
やっぱり私のぜんぶを おおきくはみ出していることであって、
すごすぎて、意味不明で、その違いっぷりに 震える。
 
でも、おばあちゃんは、人を信じられんかった。
そのことも、たまに思い出す。
家の玄関に、5コも6コも鍵をかけては、入る時に四苦八苦してるさまが
おかしくってさ
 
今となってもあんまり笑えないのは
私もいつかそーなるんかなーとか、ふと、思うから。
私も人を信じられないほう、かな、って、思うから。
 
実家にいた頃の、ふるいむかしを思い出すと、
いがみ合う家族と、常にものさしで比べられてるような血縁関係に、うんざりしてはいた。
うまくやれないものだよね。
健康で育ってくれればいいだなんて、うそだよね。
 
おとーさんとおかーさんも、よく怒鳴り合ったり喧嘩してた。
 
私もいつかそうなるんかなあ、って、思っていたから、
愛とか恋とか、最終的に何の意味があんのかわからないって思っていた。
信じられるのは自分だけなんだろーなって。
だって、誰かを信じても、愛しても、裏切られて、嫌われて、いがみあうことになるのかもしれない。
なぜって、みんな自分のことが、いちばん、大事だから。
家族でもそうなんだから、他人だったら、もっとむりだ。
 
どうせ嫌いになるなら、なられるなら、
わかりあえないなら、傷つけあってしまうなら、邪魔しあうだけなら。
結局そういう風にしかお互いいられなくなるなら、
 
近づかないで、遠くから見てたら、一番幸せで、
それでも好きって思えるなら、ほんとに好きってことなんじゃないかなーって、
思っていたら、
まあ、
怒られたよねー
 
 
…あの子はげんきかなー
すごい好きだったけど
私がダメすぎてサヨナラだったんだったよね
世界の終りかと思っていたけど傷つけていたのは私だったよねー
とか言うのは今更で もう忘れかけてることに対して 美化しすぎだよねー
だよねだよねだよねー
 
ああ、でも、
たとえ嫌われても、自分の価値観の押し付けであっても、はじめっから自分であろう、って。
嘘をついて、虚勢はるのはもうやめよう、って、
思ったのは きみがいたからだよね。
 
恋をする。
喜びも悲しみも深くなる。
人生が色づく。景色がぜんっぜん違って 見える。
ひとつも無駄なことなんてない。
色んなことが、わかるし、かわるよ。

こたえは風にふかれてしまう

いま、私はとても幸せに思っているけれど、
この気持ちも、いつの間にか知らないうち、「なかったこと」になるかなあ。
長くもなんともない人間の歴史のなか、さらにどうでもいいほど狭い一人の人生のうちでさえ、
変化と、日常のせわしなさのなか、
誰の目にもふれない場所で、
静かに あさつゆに
とけてしまうかな。
 
気付くことすら知らずに
 
いま、こんなに私は幸せに思っているのにな。
 
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三月二十四に 髪の毛切りました。
 

何も変わらないすぎて「え、切る切る言うてたのは聞いたけど、ほんとに切ったのそれ!」っていうレベルなので
 
いいです。
 
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深草 エンヘアーっていうお店に、久しぶりに切りに行って
オーナーさんはやっぱりいい感じのくだけた人で、
店内とかおしゃれーだけど落ち着く雰囲気がすきです。
つってもこれで二度目だし、そもそも美容院というものに半年に一回ぐらいしか行かない。
 
上のリンク先の写真ではすごいオシャレそうに見えるけど
このお店の周辺の低い建物の雰囲気とか すごい なごやかでゆるゆるで
写真よりずっと好き、
だー
よー

春がきた

早く春が来ればいいのに。
(春なんて来なければいいいのに。)
 
暖かくなって、外にいっぱい出られるのが楽しみだな。
(寒くなって、きみの手が遠ざかってしまうのが悲しいな。)
 
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画像のサイズやっぱり模索中
 
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あんたかわえなー