これといって嫌いなものもなく、
掲げるべき主義主張もなく。
与うられること、
なす事、
去ること、
足ること。
与うられること、
なす事、
去ること、
足ること。
肺から煙のはいからさん、吐いた体の買いかぶりさん
いつもと全く違うみちで帰る。
中崎町の駅、
向かう途中 とても景色が綺麗で、切なかった。
酔っぱらいのおっさん、自転車で はたらけはたらけー!とゆうて叫びながら去る。
中崎町の駅、
一度だけ来たことあるから、その一度の時のことを とても色濃く覚えている。
あの日もきみに会うたんだ。
とても浮かれて 急いで帰ったのを、
私はよく覚えてる。
中崎町の駅、
改札入ってすぐの色とりどりのタイルの壁が
ようく、覚えてくれているさ。
いつもと全く違うみちで帰る。
電車が通って 線路が見渡せて
夜の灯りがオレンジで 高架下があって
きたない川が流れていて、
たくさんの家族が暮らしている。
今日も ただいま。
私の新しい街。
ゆくり
今日の私のゆくみちは、
いつかの私のかえりみち。
やっぱり私は あなたのことが大好きなんだ。
それを大切にしたかったから、
きみを知った日の、あたたかい気持ちのまんまでいたかったから。
私が選んだ道は 正しいのだ。
なあ、あの日のことを覚えているかい?
こんな今日のことを、覚えていてくれるかい。
他にはなんにも・・・
・・・なんでもかんでもは、いらないよ!
サンデーはサムデー
少女よ、そんな顔で睨みなさるな。すこし前の私を見ているよーだよ
ふしぎな感覚だ、感情だ。
景観だ、関係だ。
それが先までつづいていく。
どうにでもなるだろうし、思い通りにはならないさ。
手をつないで、触れれば
色んなことがわかるよ。
あなたと私の接点が、これからも続いてゆきますように。
つないだところが、願わくば、やさしい温度でいられますように。
静的ハッピイ
どちらもどちらで正しい。
ボウリング行って、カラオケ行って、
朝帰りで帰宅した。そして眠った。
まさか、と思っていたのだけど
まさか。
深く考えてしまうときは 考えてしまうときだから、
多分どうもできないのだろうけど、
あまり深く考えると 私は立ち止まってしまうから。
わからないこと、
わからないままで。
りくつなんか、理由なんか、わからないけれど、
私が うれしい。と思うきもちは、たしかだから。
それだけが、たしかなことだな。
それでも立ち止まらず、
ぼくは 生かなければならないことは、
たしかだから。
曖昧なものは曖昧なままで。
大切なものは、やっぱそのままで。
(さらり/スネオヘアー より)
ただしきしあわせ
幸せです!
私はものすごくわかりやすいので。
別に手放しで ただハッピーなだけ では全くないのですが、
希望があると思えるのは、すごいことです。
たのしいことを、やらねばならん。
できることを、やるんだよ。
だからうまくいくんだよ。
そして、楽しいと、楽、はちがうのだな。
これまで、退化はしてない、と思うてる。
間違いじゃないとも思うてる。
いつだってそこから。
表情の自覚
色んなものを、配置する前にていねいに磨くということをやってるのですが今日も時間切れっす。
でもなんか楽しいな。今までさぼってたものがこんなにたまってるとは。時間ってすごいな。
好きなひとが優しい。そんだけで、ものすごく元気になれてしまう自分がいるのだ。
しあわせだな。
世界や人間への不信っていうのをずっと私は持っていて、もちろん自分自身に対してもおなじように、つねに疑いの気持ちをもって接するかんじが基本なんですね。
それってまあ、いつでも、怖いからなんだけど。
期待して、がっかりしないように。ってことかな。
人間の欲望や、利益主義、損得勘定、そういうの知ってるから、本当のやさしさなんてどこにもないんじゃないか、
全部のことには裏があって、約束もすぐに破られて、ああそういうことだったのか、やっぱそーだよな。なーんだ。
そんなことが、この世界を構成してるすべてだと思って、
私はものすごく、がっかりというか、絶望してしまうのね。
でも、いい人やいいもの、よい関係や世界のめぐりを、目の当たりにして、自分が信じられるぐらいにそれが証明されているとき、
ああ、世界も捨てたものじゃないんだなあ。ここに生きてていいんかなあ。
そんな風に思えるのね、私は。
君が損得勘定ぬきで優しいのかどうかなんて、わからないけれど、
でも、損得勘定だけじゃ理屈が合わないような感じなんだ。わたしが感じているこのあったかい気持ちというのは。
君からもらったものだな。
君のような人間がいるなら、この世界、絶望ばかりじゃないって、今は思えるよ。
そばにいなくても、今は思えるよ。
ゲセワ
うん。
音楽と、音楽やってるやつが好きなんだな、私は、
そんで人間が好きだ。
うたは、身から出たサビ。
だから、生き方、人間そのものも、
全部あわさって、たまらなく好きになるのだろうな。
ええな。ええな。
私もやることやらねば。
明け方五時までギターをひいてみて思ったけど、
やっぱり後退はしていないよ。どこからも。
もちろんそのぐらいゆっくりしかやってないって、ことなんかもしれん。
このままじゃ 消えるー!
音楽について、楽曲が好きか、言葉が好きか、
その両方が合わさった姿が好きか、だけだったのだけど、
大学入って、ライブを、やるようにも見るようにもなって、
音楽やってる人が好き、というのにどんどん変わっていったんだなあと思う。
いや、変わったというより、そういう要素がどんどん働くようになっていった。
音楽が、家のコンポやウォークマンの中にある、どこか遠い所から供給されてくる作品、ではなく、
もっと身近なところ、生活のなか、においのある生き物として、
当たり前に、すごく近くにやってきた。
好きな人のうたう歌は、好きになれるよね。
その言葉が私を、音源主義だけの世界から、連れだしてくれたんだと思う。
そのことがはっきり、わかって、
開き直ることでもっと人間的な楽しみ方に開いていったのは、
大学を卒業して一年後ぐらいだったけど。
その人がうたう歌が好きとか、
知り合いのバンドに対してひいき目が絶対働くこととか、
事前に情報だけでものすごく期待してしまったりとか、
逆に見る気もしなくなってしまったりとか、
こころが開くときと、閉じるときのタイミングって、
実はとってもゲセワなものだと思ってる。
生活臭あふれるみたいな
その聴こえ方の違い、同じライブハウスにいるお客の雰囲気に左右されるもの、とか、
そういうぶれや、人間らしさをまるごとひっくるめて、出会うべくして、出会うもの。
生きている音楽。
ものすごく肉薄してきて、人間らしいもの。
いま、はじまったばかりのアーティストの歴史が、続いていく。
一年後、三年後、十年後。
CDになったら、音はのこる。やりつづけていれば、そこに音は残りつづける。
ぼくはそういうものが本当に楽しいことを知ってしもうた。
人間が、人間らしく、綺麗な感情だけじゃあとてもいられず、
でも美しく、なりたくて!
頑張る。
そういうすがた。
なるべくしてなる音楽。
一旦セーブ
最近ええバンドにいっぱい出会えてうれしい。
ライブハウス行って、お目当てのアーティストいっこで対バン(その日出演する他のアーティスト)との出会いが、ものすごく楽しみである。
出会いって一回目が、すごい重要じゃないすか。
何も知らない状態で挑むか、予備知識持って挑むか、とか、
自分の心がどんだけその時、音に対して開いているかとか、
で最初の印象はだいぶフィルターかかってしまうわけですよ。
でも、それも含めたうえで、出会いって一回きりなんですよね。
まめのきウェンズデイ、
江添恵介&Crawl、
モルグモルマルモ。
ああ、こんな音楽が!
初めて感じた音だった!
私はべつに音楽に詳しいわけではない、でも、自分なりに色々なアーティストを見てきたつもりで、
それでも、こんな音が存在するだなんて。
想像してもなかった!
音が混ざり合って、リズムが時間をあやつって きざんで、
想像したこともない世界に、出会えるということ。
私に足りないのは想像力だと、昔から思っている。
そして最近、二言目には死にたいと口にしてしまいそうになるのを
我慢して生きているようなところがあった 私が、
なんとか生き延ばすために、意識する言葉。
JOJO広重さんのブログのことば。
「今、想像している以上の未来に出会うこと。
人は、かわれる。十年、二十年かかったとしても、変われる。
そして笑いながら、成長していく。」
今日の私は、今の自分が求めている言葉に、出会えた。
聴いたこともない、うたのなかで。