髪の毛きろうか。
人間やめようか。
引越ししようか。
人間やめようか。
思い出捨てようか。
人間やめようか。
全部やめようか。
人間やめようか。
2012年4月7日 「お花見 た」
大阪城公園でお花見ー
うれしー
しかしー
お花の写真を一枚も撮っていなかった私がいましてー
なぜかっていうと、デジカメは持っていったんですがー
いざ撮ろうとしたとき、既に充電が切れていたんだなあ。
あいやー
いつ止められてもおかしくないガス、あやうし生活それ自体がおっきな趣味ですー
髪の毛きろうか。
人間やめようか。
引越ししようか。
人間やめようか。
思い出捨てようか。
人間やめようか。
全部やめようか。
人間やめようか。
2012年4月7日 「お花見 た」
大阪城公園でお花見ー
うれしー
しかしー
お花の写真を一枚も撮っていなかった私がいましてー
なぜかっていうと、デジカメは持っていったんですがー
いざ撮ろうとしたとき、既に充電が切れていたんだなあ。
あいやー
みんな自分がまともだと思っている。
みんな自分の世界がぜんぶで、
それぞれの範囲を、生きている。
その中の、ひとつひとつの嬉しいこと悲しいことの平均が、
その人の世界の常識的振れ幅になり、日常になる。
それを越えることが全然起きないと、退屈だと思うだろうし、
それを越えることがたまに起きると、驚いて、
その感動を誰かに伝えて自慢したり、あるいは不満を言いたくなったりする。
つまり、人は自分の予想の範囲を生きている。
自分の脳みそが想像しうる範囲を、自分の持ち世界として持っている。
なにが当たり前で、なにが失礼で、なにがアリエナイことだとか、
人によって癖が違うのは、
それぞれの生きる日常が違うからだし、
それが「価値観」ということばになって、
人の考え方生き方を名付けている。
当たり前のことが起き続けても、当たり前だとしか思わない。
でも、その人以外の他人からしたら、
それはありえないほど特別で、贅沢な「範疇外」の出来事…
かもしれないね。
なにが幸せで、なにが欲しいか、
なにならずっと大事にし続けられそうなのか。
どういうキャパで、どういう自分として生きていたいか。
当たり前を大切に続けることも、
たまにしか出会えない特別に酔いしれるのも、
どっちも大事だと思うけど、
ただ、当たり前の事は、大事だってことを忘れられてしまいがちだから、
そっちも大事なんだってことを、意識しておかないと、
バランスはとれないんだろうな、
って思う。
2012年4月6日 「無礼くあうと」
スーパーで買物。
晩御飯 :ほうれんそうじゃこ卵+鳥肉いため
まあそこそこうまい。めしめし。
とまらないように歩きつづけるしかないんだ
それが自分の望む方向かわからなくても
2012年 6月7日。
そう毎日は流れては消えて
ときどき僕らをだめにした
(黒い猫/スクイズメン)
食べ物とられないように、いそいで食べます。
大事に持ち歩いてるかばんの中身ぜんぶが、無価値になる。この瞬間が好き。
2012年4月5日 「おうちぬす」
今日は雨だから銭湯いかない。
コンビニいって 私は食べ物買った。
生活が続いていく。
寒いのが、ずっと続けばいいのにな。
とか思ったり、思わなかったり。
朝がきて
とじこめられた。
夜になる、
君がいないまま
朝までに
伝えられるのは
一ツだけ、
たった一ツだけ
トイレいったら すごいゲリで
しかもけつから鮮血が出た日。
真剣なおももちでボスに相談したら
なにかとおもったわ。。って言われながら、真剣にアドバイスくれました。
次回から、あわててケツふくのはやめにします。
やさしくいきます。
でもな、やっぱしっかりふきたいから、
ある程度の力は入れる必要があると思うんだな。
おわり
春。
きゅるきゅる。
季節がめぐる。
2012年4月 2日 「そうでもない」
夜、ガラス窓のなかから景色を見ると、
明かりが点ったところばかり目に入ってるんだよ。
そりゃあそうだなあと思って、暗さに目をむけてみた。
あんまり見えなかったけど、
点ったところにも、暗さのなかにも、ガラスに映りこんだ内側にも、
なかなかないものがあるようだよ。
なに考えてる?
どうやって生きてる?
久しぶりにスタジオにはいった。
私のドラムは 調子がいい日とそうでない日でえらい差がでるので
今日は調子がそこそこの日だったので とても楽しかった。
久しぶりのことはなんでも楽しいのは知ってるんです。
でもリズムだけでいうなら いつでも気づいたら取りつづけているんだわ。
音楽って 風の音 葉のならす音 人のあるく音
そのなかで気づいたら口ずさんでいる鼻歌のようなもの
それも音楽で それが音楽であってほしいという気持ちもあるのです。
そういうものを。
まあいいや
オレンジ色の街あかり。
淀屋橋からおうちに帰ったのだけれど
なんでなんだろう、やりきってない気持ちがして
それは自分のせいじゃないってこともわかってるのに
動かなきゃいけないのは自分で
それも余計に悲しくて やりきれなくて
自分が動いたところで どうにも変わらないなんてわかっているのに。
わかってほしいのに。
どうして変わってしまうのか?
どうして忘れてしまうのか?
大切なことを 大事な言葉を簡単に使い捨てて。
2012年3月31日 「三月三十一日」
淀屋橋。
目をこらしたら、空気中に、スナアラシのような雨粒がみえた。
その向こうに沢山の、背の高いビル郡が見えたけれど、
なんだか今日は、それら景色のなかに見える背の高い建物類、全部が
なんにも建っていない状態の、だだっ広い平地が、たやすく想像ついた。
指で押したら ぱたん、と倒れそうな
ハリボテたち。
ひとつずつ指で押すふりもして
ぱたん、
ぱたんって
風はすうすう指の間を
すりぬける
京都 大山崎山荘美術館 いってきたよ。
大阪の歯医者さん行ってから まったり電車にのって
腹減ったので駅前の喫茶店(まさに喫茶店!てかんじの)でお定食やってたから入ってみたら
めたんこボリューミーでしかも色んなおかず入ってておいしかった。
うまいすね!って おばちゃんとちょっと喋った。
美術館のほうは、私にとってはあまりよくわからない場所だったけれど
楽しかった。
場所がいい。山をちょっとのぼるのがいい。
線路をわたるところが グッゲンハイム邸をなんだか思い出した
あそこは最高の場所だ うつくし。
線がいっぱい いっぱい。
友だちがチーズをくれたので
パンと一緒に食べた。
シンプルに持ち歩けるのにおいしい。すごいな。パズーだな。ちがうわな。
別のことでなんだか一日中、腹が立っていた。
ほっとかれるのが一番無関心で 一番ひどいことやと思う、
それを解決するために理由を説明する気もなくて
謝れないで 話し合いもしない人が きらい。
状況を放置してんのも 説明を面倒くさがってんのも
それを選んだのは自分なんやから、
その選択の責任はとらなきゃだめだと思うんだよ。
ぶつかるのが嫌で喧嘩したくないとか
今は時間がないから考えたくないとか
それを選んでるのは自分なのに、
後にすればするほどダメになる方を 選んでるのは自分なのに、
どーして 自分以外のせいにするだろうね。
別にそれを選ぶのは自由だけどね。
選んだことを よそのせいにするなよ。
仕方なく なんか ないやろ。
別に即座に返事を寄越せとかシビアな条件突き付けてるわけでもない。
面倒くさがってんのが目に見えてるから
真剣にやってるこっちがばかみたいなんだ。
ぶつかりたくないのも 時間がないのも
気持ちを話してくれたら 話し合いする意思を少しでも見せてくれたなら
なにかは進むのに。 こっちの意見も、言えるのに。
ずっともやもやして待たなくても、すむのに。
ちゃんと説明してくれないことに怒ってる、
っていう、ろくでもない怒りを抱える。
本当はもっと、お互いの意見を言い合って、
噛み合わないことに、どうしてそうなのかな、どうすりゃいいのかな、
って具体的に、建設的に、腹を立てたいわ。
本当は怒ってるんじゃない。
自分の存在が そんな程度のもんなのかなって思えてきて
それも真な気がするので
とても、悲しい
2012年3月30日 「のず」
春は暖かいけどきらい。
君を連れ去ってしまうから。
だからこのまま花が咲かなくてもいいと思う。
君とくっついていられるのなら。
むりかな。
むりは、よくないね。
変わってしまうものを
離れてしまうものを
どうしてなんだろうかって思う自分と
どうにもならないなって思う自分と
どうにかならないかなって思う自分と。
2012年6月7日。
去年の秋ごろ来た公園に、今日また来た。
緑と虫がもくもくしていた。
人もまた、それとともにはしゃいでいるみたいだった。
あんなに自由であんなに孤独だった、私は、今はどうですか?
今とくに思わないだけで、自由で孤独だった、って、あとから感じるやろうか?
あれからなにも変わらなかっただろうか?
あれから。
ここから見えるその道の先には、もういけない。
物語はつづく
あの子がかえってきたよろこび!
2012年3月29日 「過去がいまに与えつづけるように」
ほうれんそう卵焼きたべる。
それはやがて私のからだの中で、血になってめぐって、
この体温になって、消化されていく。
あったかいご飯と、この時間は、
確かにここにあって、確かに私の幸せなんだけどね、
それって なんなんだろうね、
どうせすぐ消えてなくなってしまうのにね。
離れた人のことは、良いことばかり思い出す。
・・・
今もその愛を思い出すとなみだが出るのは、
私にその部分があまりにも備わってないからだって、そんな気がしたりもする。
・・・
ああ、でも、
たとえ嫌われても、自分の価値観の押し付けであっても、はじめっから自分であろう、って。
嘘をついて、虚勢はるのはもうやめよう、って、
思ったのは きみがいたからだよね。
恋をする。
喜びも悲しみも深くなる。
人生が色づく。景色がぜんっぜん違って 見える。
ひとつも無駄なことなんてない。
色んなことが、わかるし、かわるよ。
達成感なんているか
そんなもん
俺は死ぬまで完成なんかしない
上手にやれなくたって 構わない いつか
「ツイてなかった」って言って 終わろう
やっかいな事ばっかりさ
やる気は失せてくばっかりさ
それでいい、そのままでいい
苦し紛れで進もう
他にやることないじゃん?
(実弾/Syrup16g)
もうだめかもしれない
と思って
それを誰かに聴いてもらうことも
どうにかしようと思おうとすることも
飽きて、飽きて、
飽きてしまって
2012年3月26日 「うえってきた」
電車に乗るのは、簡単。
駅まで行って、お金を買って切符買って改札通って、決まった時間の電車に乗る。
降りたい駅で降りて、改札を通って出る。
簡単だよね。
でも、それが難しいときもある。
それが難しいひともいる。
「誰でもできること」って、
「誰でもできること」じゃないんだよ。
スマートフォンになってから
色々とアプリはあるものの 色々と試してはみるものの
やっぱりてごたえのない スカスカとした へんな気持ちの悪さが手元にいつもあって
ボタンを押す、てごたえ、だとか、
ものを噛む、歯ごたえ、みたいな…
なんというかそういう実感って どんどん薄れていって
貴重品になるのだろうな と ほんのり思うわよな。
手紙がほしい
な
スマートフォンで本がよめるぞ。
ひとさし指でペラペラ、ページをめくるのだそうだ。
こんなことばっかりしていたらいつか指紋が消えてなくなるーるー
やっぱり将来われわれの一族はグレイになるのかな??
あれは人間進化版かな??
進化というものは徐々に世代を越えるにつれ子孫の肉体が変化していって起こるわけではなく
優れた突然変異が ある日、旧種を淘汰するのではないかと
馬車馬のベースの方は言うた。
実に現実的だ
その日からふるえとる うそ
でもサトラレが増えれば サトレズ(一般人)は淘汰されるだろうに。だろうか。
中原中也を読んで以来めっきり調子が悪い。
へたに電車の中で手軽にそういうものを読めるのがよくない。あほたれ。
やっぱり書物の重みと紙の不完全な存在感だよ
とか言う私はもうババアなのか?あっち側か
最近の若いもんはとか言うのかな
すん
2012年3月24日 「恋のような」
夢を見た。
世界の終わりに、きみと二人で歩くゆめ。
砂漠のような、白かきいろの視界の中で、何か探していた気がする。
けれど、二人でいれば怖くないってわかっていたから、
楽しかったな。
走る電車のどっか隙間から、風のきれる音
ぷしししし しし ししっし。
いーぶんとか
言い分とか
すごく喉を通したくなるいい響きだけど、言葉の意味自体はそうでもないな。