おわら風の盆 二日目(9/2 日)

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見送りましょうか 峠の茶屋まで
人目がなければ あなたのへやまで
 
 
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昼をだいぶまわってから出かける。
一回、借りた浴衣を着てみたけど 八尾の町を存分に歩くことを思うと、
浴衣よりも普段着のほうが動きやすうてええわ という判断にいたり
けっきょく着替えて洋服でむかう。
それはのちのち正解だった。まちなかを走り回ったときがあったし、
またも途中で雨だったし、濡れた歩道に座ってなにか食べたりしたもので。
汚さなくてよかった思う
 
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夕暮れをむかえる、でなくて
夕暮れを迎えにいく、というような。
 
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みんな待ち望んでいる
 
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そこええ席なあ
 
 
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しかし雨になってきて 昨日に引き続き、今日も町流し(街並みのなかを練り歩きながら踊るんだよ)は待ち時間に突入。
 
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ひかり遊びをはじめる私
 
 
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雨がつよくなる
 
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川沿いを まわりみちをして歩いた
まわりみちをせざるを得ない状態だっただけだけど
 
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人間のいとなみは美しー
ぼくは、それが輝く瞬間をもっとみたい。もっともっとみたい。
 
 
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やはりあれすなあ 22時ぐらいからいっぱいおわらが ながれて くる。
唄にかぎらず、踊りもふくめたおわらのことを何と呼べばいいかずっと考えていたのだけども、
ながれてくる、という言葉が自分なりにとてもしっくりきた。
語弊をうむぽいけれども
 
 
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たまてん(やわらかいお菓子。卵白のお菓子だったかな、富山名物らしいですよ)屋さんのおじちゃんも言っていたのだけど、「この時間ぐらいからが 観光客さんたちもみんな帰り始めて、ぼくらも酒のんで、公民館あつまったりして、好き勝手に本来の祭りをやるんですわー」と。
そういう雰囲気をとてもかんじたな たしかに
 
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鏡町。
 
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八尾のなかでも、町ごとにチームが分かれている感じで、踊りの特色も異なるのですが、
ここ鏡町の踊りは、まさにエンターテイメント、といったかんじ。
見せるためのおわら。
写真で見たことがあった場所に自分が立っている不思議を感じた
 
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やっぱり男と女が別々じゃなくって、ペアになって踊っているのがいい!すごくいい!
 
 
私の一番のお気に入りのおわらのポーズがあるのだけれど、
駅のポスターでいうとこれ
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で、この二日間で、たった一枚だけ撮れた。 
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三千世界の 松の木ア 枯れても
あんたと添わなきゃ 娑婆へ出た甲斐がない!
 
 
えがったー
ほんとうは終電なんて乗りたくなかったけど乗って帰ったー
えああー
 
おわら風の盆は、9/1〜3日までの三日間あるのだけれど、
私が今年行ったのは、ここまでの2日間。
明日は富山の別のスポット観光にいくよていになったんだな
 
しかし、、これは、、三日間ぜんぶ行ってもきっと飽きなかっただろうなー
もっといっぱい見たい なかなか流れてくるおわらに出会えなかったりするのでそれがまたええのだろうなあ、私には。

2012年9月2日

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好きな人とご飯を食べれることは幸せだ
 
それがおいしいお店のカレーであっても
コンビニのカニカマであっても。(それはご飯といわないのか)
 
仲良くなりたいやつとは、一緒に飯をくえ!
という言葉を私は信じている。
 
いろいろなことがわかるよ
 
 

2011年12月12日 「うんめいのあさに」
 
携帯のアラームで目を覚ましているのですが、
うちの携帯ちゃんはどうも、アラーム鳴ったのを音だけ止め スヌーズ機能は停止せず、もう一回鳴るのを期待していて放置しておくと、
なんと鳴らない。
よくできた子で ちゃんと鳴かせてあげないと いじける機能が搭載されているのねん。
あーもう すきにせい!私もすきにするわい
 
 
サテきっと誰もが寂しくて、
何か大事なものを探していて、
でもそれが何かわからなくて、
他人のなかにそれを期待したりして、
いつも足りなくて、ないものねだりで
 
足ることを知ることは幸せである。
あなたの居場所がわかるからである。
そこから生まれるものすべてが、あなたのホームになる。
 
だから私はここから歩いてゆける。
 
いつもどおり、何が変わったわけでもない、
うんめいのあさに。

おわら風の盆 一日目(9/1 土)

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おわら風の盆 という祭りを みにきました。
この祭りは、一年前の私はいっさい名前も聞いたことがなかった祭りでした。
地方が違うと、知らない方はほんとに「なにそれ?地元のマイナー祭り?」って感じで
全く知らないと思われます。
 
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しかし、いざ祭りに繰り出してみるとえらい人!このおわらを見に来るために沢山の観光客が訪れるもよう。
富山駅から、会場の越中八尾駅に向かうJRはこのとうり。整理券が配られているー!
 
観光事業感をバリバリに感じた私は でもこれはこれで 地域をうるおしているのだよなあ。
とか なんというか 複雑な気持ちになったりしたけど
(というのも 地域おこしのために、お客さんのことも考えて祭りを行うということは、
 元々やってないような祭りの姿になってしまうということで、
 地域の人たちが習慣で続けている「祭り」ではなく、外の人に観せて、見返りにお金をいただく フェスとかと同じようなノリになってしまって 「地域の祭り」とはなんか違うよなーと思ってしまうので)
 
でも、そないにこの祭りの原初の姿を楽しみたいとか そういう気持ちの根拠もなく
地元の人でもなければ この祭りについて深い知識があるわけでもなし、な私は
とにかくいち観光客なのだ!
というわけで ぷらぷら自由に楽しんできまんた。
 
さて
おわら風の盆は、毎年9/1〜9/3の三日間、行われます。
雨になると、演奏する楽器がいたむので 小雨でも中止になることがあるとのこと。
そしてこの三日間は(私が行ったのは最初の二日間だけですが)、
毎日、夕立がすごかった! その間は中止んなった。
しかし大抵そっから雨は止んで、しばらくしてから再開された。
 
沢山歩いた。とても楽しんだ。
 
一日目。
 
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富山駅の改札をくぐった所で、さっそくおわらを踊っていた。
初めて生で見るおわらに 私はほんとーにゾクゾクうれしくなった
 
何でこんなにおわらを見たくなったかというと色々あるんだけども
縁というのが大きくて、そこからの「祭り」というものへの好奇心と
あとは十文字美信のムービー。
 
Canon EOS Movie スペシャルサイト
↑ の、「EOS 7D」 → 「おわら風の盆 十文字美信」 から見ることができます。
 
めちゃめちゃ素晴らしい作品です。
これを見て鳥肌がたってしゃーなくて。
ドキドキして、どうしようもなく、涙が出そうになって、何かがうごく。
 
私は最近、仕事で 祭り というものに少しだけども関わることがあって、
その中に生きている人たちの、祭りという非日常の空間でみせる表情、
生き生きとした全力の姿、そういう感覚は 私も触れたことがあるもののはずなんだけれど、
その中にはまるでみたことがないような世界もまじっていて、
私はそのひとたちの姿を見るたびに涙が出そうに感動してしまって、
 
つまり、 どうしてだろ?なんでそんな風に? って思ってしまう。
けれども、それは私の中にもあるはずだ。はずだった。
それでなんかよくわからない感覚になる。
 
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会場、越中八尾の駅についた。
会場とはいっても、おわらは街じゅうで行われるため、
一番奥の地区までは ここからけっこう歩く。
「けっこう歩く」という感覚が人それぞれすぎて よくわかんないんだけど
運動不足の私にはちょうどいいぐらいの距離 と思った。
 
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越中八尾は…
きれいなまちだ。
のどかで しずかで 夕方には人があまり歩いていないような田舎の町 におもう。
若者にとっては不便かもしれない。車がないと大変かもしれない。
 
富山は道が広くて綺麗な土地だと、市内ぐらいしか行ったことない私はそう思っている。
でもそのぶん人がちょっとのびのびしているような印象を受ける。
なにせ街並がきれえだ
雨の夜の街なかも、早朝の誰もいないアーケード街も 空気が澄んでいて、
ほかにすいこむ人がいないから その空気のたくさんが私の体めがけ、
染み渡っていくような、吸い込み吸い込まれる感覚。
 
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流れるように歩いて行く人達についていって、ゆるやかな坂をのぼる。
坂のまち、と聞いていたけど、前に住んでいたところがもっとキツイ坂の町だったから、あまり坂というふうに感じなかった。
でも、けっこう年配のお客さん層が多くて、登り下りがつらそうだったな。
 
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ぼんぼりがたくさん設置されていて、雰囲気をつくりだしている。きれーなー
 
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大きなお寺 聞名寺(ぶんみょうじ)でおわらのステージが行われていた。
これはとても見やすくってよい。
 
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踊りもすこぶる好きだけれど、私は何より唄がすきだ。三味線と胡弓の音、歌い手、歌詞(すごい沢山の種類があるそうだ)がとてもよい。
うたわれようー わしゃはやす。
 
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この日は夕方になっていよいよ本番だなーって雰囲気の時間に、えらい雨が降ってきた。
バタバターッ!って豪雨にみまわれた。
祭りが再開されるかどうかわからない、待ちの時間が長かった。
 
雨を避けて、民家の軒下をちょっとお借りしていたら、
中からおばちゃんが出てきて どうぞどうぞ、と、扉をあけて、
私を含む、10人ぐらいの観光客たちを、その中のガレージに雨宿りさせてくれた。
 
ガレージ内には、人が座って休めるように椅子が用意されていた。。
まるでこの祭りのためにこういう造りにした家のようだな、と、私はこの町の数々の家を見て思ったのだけれど。まさにそんな感じ。
この土地に住んでる人にとって、おわらはものすごく中心にあるものなのだろうなあ、ということが何となく感じられた。
それは私にとっては不思議でたまらんことだった。
 
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小雨になって、歩き出した。
 
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一番奥の町まで行ったけれど、なかなか祭りが再開されるかどうかわからなくて、
じっとしてても面白くないので ぶらーっと町のはずれまで散歩しにいった。
 
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家と家の間から、町の景色が眺められた。
いつの間にかこんなに高いところへきてたのか、と思った。
 
観光客は一人もいなくて、近所のおっちゃんおばちゃんが会話してた。
こういうのを近所づきあいというのだなー
毎日顔をあわせるわけじゃないのだろう、こないだは、、みたいな会話をしてた。
そういうのとは縁遠くなっている自分にとっては、とてもうらやましいものに思えた。
 
おばちゃんの方が家へと入っていき、
おじちゃんは道端で、そのまま、歯磨きをしていた。。。
私がその隣を通りすぎようとしたら、おっちゃんが、
「ねえちゃん、カッパとか折りたたみ傘、持ってるがか?」って聞いてくれた。
うれしかった
 
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おっちゃんとちょっとだけ喋ったのち、道をもどった。
観光客は相変わらず おわらが中止かどうかでざわめいていて、
近くでは地元の若い兄ちゃんたちが集まって、
「ほれ、お前が観光客を盛り上げてまとめてこいよ!」ってふざけあっていた。
なんかよかった
この町が好きになったので、暫く散歩を続けて、中止なら中止で、帰ろうかな、と思った。
お陰で、じっくり町を見て回ることができた。
 
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富山は、大きな家が多いそうだ。
確かに、1軒1軒、もしこれが私の地元に建っていたらどこの地主さんかしら、と思うくらい大きくて立派な家が並んでいる。
なんでも土地が安いから、そのぶん立派に建てるとの噂だけれど、
やっぱり人が住んでいる家を見ると、その土地ごとに違いがあったり でも共通してる「人間の暮らし」というのがあったり、すごく面白いのだ。
住宅地を散歩するのが大好きな私は、立派な街並みのなかに風情があって、坂の上と下の家々の段差があって、
道はずーっと見通せる一本道、そこにぼんぼりが並んでいて、
その景色のはずれで雷が光るのを、風がさわぐのを、ゆっくり眺めた。
 
色んな人の声がきこえてくる。
それぞれに、それぞれのいのちがあって、道のりがあって、幸せがあって、
それが自分の計り知れないところにあって、
それは とても不思議だ。
 
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少しして、祭りが再開されました。
とにかくすっっごい人で、
町流し といって、町の中を列になって歩きながら踊るのですが、
それを見るのにも 通る道のまわりにお客がうじゃうじゃと待っていて
たいへんした
 
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このパパラッチの数!
 
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やっぱり、夜22時ぐらいからが、どの地区も活発に踊る感じなので、
夜〜深夜にかけて歩きまわる、ということが、楽しめるコツかなーと思った。
 
 
富山駅まで帰らなければならないので、終電で帰る。
 
耳から、印象的なおわら節が離れなかった。
おわらの恋歌 身についてならない!

2012年9月1日

さて 昨日の夜 大阪から夜行バスにのって
富山県にやってきました。
 
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※特徴: 荷物が多い
 
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借り物のキヤノンさんー!
もうこれが楽しくて楽しくて
 
でも、富山駅から歩きながら試し撮りしてたらエラーメッセージが出て
動かなくなりました。
うそーん
 
ほんまにどうしようか、修理代いくらかしら、と
変な汗かきながら とりあえず放置して
買ったばかりのiPhoneのカメラの試し撮りと、自分のデジカメで普通に撮って歩く。
 
この旅行中放置してたら元通り動くようになった のでよかったのだけど
せっかくこのかたで写真撮ろうと思っていたのに全く撮れなかったとゆうー
なんやったんやろかー
 
 

2011年12月 7日 「ふりだしにもどるのは」
 
音楽をつくったり 歌ったりする人の事が スキかキライか分からなくなった時はz当たり前なんだけど その人の曲とか作品がスキかどうかで判断して下さい
じゃあ なんでこんなブログ書いてんの って言われたら
これも作品だ と思ってるからなんです
 
例えばの話さ
今まで好かれてた人に嫌われるのは そりゃ寂しいとは思うけれど
だから何か変えるとか やめるとかは思わないよ
何でも全部 自分の為にやってんだ
 
ネズミハナビというバンドをやってる人のブログ記事より。
私はこのバンドの曲ですっっっっごい好きな曲は 1、2曲ある、ぐらいなんやけど
ちょっとブログ読んでたら この人のこと とても好きになった。
たまにすっごいいい記事を書くと思って。なんかぐっと きた
 
ぐっときた
 
激しくどうい!

2012年8月31日

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あした死ぬかもしれない。
でもそれはふつうのことだな。
ふつうのことだけど、
なんでもないことではないかもしれない。
私は私の世界で生きている。
私の目でしかものは見れないし
私の価値観でしかはかれないし
いいものはいいのだし
いらんものはいらんのだ。
(ただそれがときどきとてもかなしい さみしい
 それは言葉をえて沢山考えてしまうようになった
 人間のあたりまえだな。)
えらぶ ということについて最近本当によく考える。
こたえはやっぱりループしてこんがらがってまうのだけれど
 
 
本当に好きになれない部分をもってる人
考えれば考えるほどきらいで 胸がぎゅーって苦しくなって
考えるのいやだな 考えたくない やめよう、ってなるのに、
 
今日ふと想像してみた。
あなたがもし明日死んだとしたら、って。
それはそのとき珍しく、とてもリアルな想像になった。
 
そしたら私はとても悲しいし、とてもつらいだろうな、
とても後悔するだろうな、と思った。
 
そして、あなたが確かにそこにいた、いくつかの少しの思い出を、
だいじにだいじにするのだろうな、と思った。
 
それもまた、あした死ぬかもしれない、とゆうのと同じように
あたりまえなことだな、と思った。
 
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あける予定のなかった扉をくぐったなら。
ゆるされたわけでもなく、
誰に薦められたわけでもなく、
ただそこにあって、なんとなくで、
それでも確かに私が、くぐったなら。
 
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2011年12月3日 「にゅうとう」
 
夜の道をあるいた。
日付がかわろうとしていた。
紅葉が、紅葉していた。
家の狭い横道をずうっとゆく。
ああ。そこに、人びとがいる。
寝息をたてて、住んでいる。
深夜のひっそりとした高架下の住宅街は、
日常のすべてを、非日常のなかに放り投げられて、
街灯のもとに、異様なかがやきを放っていた。
 
ああ、きれいや。この世界。
きれいや。
 
生まれてこなければよかったと思うことが何度もあった。
これからも何度もあるだろう。
けれど、生まれてきてよかったと思うことも、何度もあった。
これからも何度もあるだろう。
 
生きる、それにただ意味はなく、
理由もなく、理屈も信念もいっさい関与せず、
いかれても生かされているんだ。
そしてそれが全てである。
そこから生まれる全てが、ほんとうのことだ。
よ。

取れ/振り

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とれぶれい シレンテ,
とれぶれい アロンゴーホーーム!!

2012年8月30日

ところで書き忘れていたんですが
 
うちに
 
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トイピアーノきました!!
 
誕生日プレゼントっていう。
 
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ぎゃーん
うそーん
 
もう何といったらええかわかりまへん
 
申し訳なさでいっぱいというか…
何やってんねん!あかんよー人の誕生日にこんな高価なもの…買ったら…
 

 
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ぴーん
 
音かわいいすぎる
うわーうわーうわーどうしよう!どうしようー
 
ありがとう!
名前かんがえてあげんとなあ と 思ったのは、
iphoneに名前をつけたばかりだったからだろう。
 
ちなみにうちのipodは「あいぽんたん」で、
iphoneには「あいぽんことんとちーの」 とつけました。
 
うわー名前どうしようーどうしようー!
でもスネアさんには名前ついてないからなー!
どうしよー!(どうしようの方向がシフトしていくー!)
 
 

2011年12月2日 「空は空、空おそろしく空まわる」
 
(そらはから、からおそろしくそらまわる)
 
何がこんなに怖いことがあるのでしょうか
自分を諦めているような。
どうしても自信がもてないのか?
理屈ではわかっていたって
たがを外すすべを忘れてしまったらどうしょうもないです。
 
自分で生きていかれないのであれば、といっつも思ってきたけれど。

2012年8月29日

スマートホンなりました。
 
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画面キャプチャーでかっ!? 高解像度だな君
 
色々設定おわったところで既に電池がありません
 
噂にはきいてたけどすっげぇーな。
パネェ
 
そして何より、メモをしまくるため、文字入力というのが私にとってはとても重要な要素なのですが
文字がうちにくすぎるー
画面タッチしないと打てないので 画面ガン見しつつでないと入力できないし おしまちがうしー
ボタンがちゃんとあって、手触りの感覚で片手でも文字が打てる ガラケーのほうがずっとよいですー
 
というわけで いかれ気味の前のケータイを メモ用につねに持ち運ぶという状態
 
 
なーうー
 
 
しかし来月から機種代のため極貧が2年つづくと思うと 震える
 
 

2011年11月30日 「あらためはしない あきらめもしない」
 
そういやこないだお父さんに会ったときに
お前、今日はまだましな格好しとるじゃないか!と言われて、
別にいつもと変わらないつもりだったので
人のふつうというのはやっぱり とても適当で微妙でよくわからないものだなあと
 
高校の時からおとーさんには、見た目のことでがっかりされ倒しているから
今更なんだけどな…
 
おとーさんの余計な一言
「それでお前さ、もっと化粧して化けてさ、脚ふとすぎるからもっと痩せてさ、
 そしたらまだ、ひょっとしたら、いけるんじゃないか!?」
 
…お父さん、私をどこへ行かせるおつもりですか
 
とりあえず乙女心が傷ついたとか言っておけばいいかな…
乙女心ってなんしょね
でも、「思ったより乙女なのね、、、」って誰しもに言われるので
私が思ってる以上に私は 乙女には見られてないってことですね…
いや、納得なんだけど 納得いかないな…
ふつーだよ、ふつー。私のふつー。私のスタンダード。
 
 
 
嫌ならイヤって言って、嬉しかったらありがとーって言って、
楽しかったら笑って、悲しかったら泣いて、
合わなければぶつかりあって、我慢するなら自分でちゃんと抱えて、
そうやって、生きていければいいのんになあ。
 
みんな、人のせいにしてばっかり。
 
気ーつかうのって、ぎくしゃくしてしまってうまくいかん。
嘘ついておべっか使ったって、どうせすぐバレる。
思ってないことは言いとうない。言えたとしても、どうせバレてしまう。
嘘つきで、嘘つくのんが当たり前の人らが嫌い。
それを全部思いやりって言葉でくくれてしまう輩が嫌い。
思いやってわかってもらえひんのも、嘘つくんも、自分の勝手じゃろうが。
背負えよ。ぼんくら。薄っぺら。
 
うまくいかん。わたしは疲れた。
 
そう、これは、誰の話でもないのよ。
私のこと。
 
誰も変わらなくていい。
でも、私がそう思っていることは、許してほしい。

2012年8月28日

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ぜんぜんわからないの
あなたの気持ちおしえて
段々うすれてゆく
忘れたい忘れないで
 
(おしえて/avec avec より。歌詞はてきとう)

 
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御堂筋線 いまの状態すごくかっこよいよね
 
 
iphoneにかえようと思って
事前に電話して必要な書類確認した のち
softbankショップいったら
ものすーごい面倒くさそうに喋る ものすーごいダルげなおねいさんに
在庫ないと言われて
取り寄せも近くのところじゃできひん言われて
京都の店舗にはあるみたいだったから
じゃあ京都のとこまでいきますーって
家からけっこう遠い 京都の店舗まで行ったら
なんか案内された書類じゃたりひん、どうしてもムリ、と言われて
かえませんーでした
 
そんな詳しい書類事項について私は知るわけないので
聞いて、言われたことにしたがって行ったんすけど
いやーうちには責任ないんでごめんなさい、って謝られるのには
とても、とても腹がたった
こんなに腹がたったのは久しぶりだった
なんか書類を一つ一つ確かめるのにすーごく待たされた上 だったので
ほんとに理解できなかったし、対応にも誠意がないと私は思ったのだった
 
でも生きてたらこういうことだらけなんだろうな、とも後から思った
誰も責任なんてとっちゃくれないし そとからの見た目上 ちゃんと謝っておけば
害がなければ それでいいんだろうなー
そういう決まりなんです、って。
 
そんで自分もそうやってやってきてるんだろうなー
言われたことやっただけだ、とか
 
なんかでももう本当にくるしいかった
こういうのが 人間関係でも こういうときにでも、ある度に
向いてないのかなーって思う
 
とりあえず、仕方ないのでその店を出て
そのまま引き下がるのもあれだなあと その店を案内した店舗にクレーム電話をしてみた
電話かけながら 悲しくって どうしてこんな説明せなわからないのかなーって思って泣いてしもうて
 
私はけんかができないのだ、
感情的になりすぎるから
悲しいわけじゃなくっても なにかの感情があふれてしまえば泣いてしまうし、それは止められない
 
なんでだろーなんでだろーって思ってしまう
みんな他人だからなのか?
お金がかかわるからなのか。
法律で形がきまっているからなのか。
誰も損なんてしたくないからなのか。
負けるのがいやだったら 不利益こうむるのが嫌だったら
切り捨てて、勝つほうにまわりゃいいってのか。
 
文句いってるけど私もそうやって いわゆる正論ならべてうまくやってきてるんだろーか。
 
 
疲れた。ほんまに疲れた!
 
それでも私は同じSoftbankショップで、次の日、iphoneにかえた。
けっきょく、クレーム電話ったところ、近くの店舗から取り寄せしてみます、って言うのだ。
最初にそうしてほしかったですー!
最初に取り寄せできませんか、って私きいたのにー
したらできませんって言ったのにー
なーにー なんーなーのー
 
こんだけ腹立ったなら、選べばいいのだけれど。
クソがー!っていって会社変えてしまえばいいのだけれど。
 
auショップとかにも行ってみて乗り換えとか色々考えてみたけれど
やっぱり切り替え手続きに時間すごいかかりそうだったから
ちょっとどうせなら急ぎで欲しいという事情もあったし 面倒くささが勝ってもうた
 
くそー!あほんだらー
なんじゃー!
 
 
 
…怒りはそないに長続きしない ので
次の日、Softbankショップいって 再びものすーごい態度フテコイお姉さんに説明を受け、契約いろいろやって
ものすーごい時間かかって機種変更した後にはもうすっかりグロッキーで
何もおもわんかったです
おねいさんのデコデコしたラインストーンまみれのiphoneがすごかったです…という感想ぐらいで
なんぞあれー!すごい厚みましとったぞー!
 
私のにゅーiphoneはその日の台風の影響で サーバーがエラーってるとか何とかで
設定がうまくできんかったです。
 
…もう、機種変更するなってことだったのかなあ
あとがこわい
 
 

2011年11月29日 「打菅舞音」
 
だすげまいね
 
 
ピナ という映画が気になっている。
あと 映画版 ヒミズ。
 
ピナ は、踊りに生涯をかけた人の映画らしい。
映画館の予告編見たらすっごい観たくなっただけなのでよくわからない
 
何かひとつのために人生をかける、いのちを燃やすということが私には
できない。
と思う。
しかし、できるとすれば、多分それは、
「いちばん好きな人」のこと、なのだろうな、とは思っている。
 
恋と呼ぶにはいささか生ぬるくって(生ぬるいのが恋か?)
愛と呼ぶにはあまりに生ぐさくって(生ぐさいのが愛か?)
この感情を何と呼べばよいのかいつも困るけれども
私が何かのために命をかけるのは、きっとこの気持ち、
自分にしかわからない、他の誰にも理解されはしない、
この感情のために、であろうな。
 
本能的すぎるとよく言われます。
しかしそう言われても私は嬉しいだけなのだからしようがない

2012年8月25日

誕生日!
27歳なりました。
今年度もよろしゅうお願い ます。
 
ケーキたべれた!
あまい桃のやつにした
あまかった
 
700円のオレンジジュースとかまじでか!ってなったけど
まじでか、で終わってる自分の金銭感覚が最近ちょっとこわい
前の私だったら震えていた
いぬさんとカフェーにいったときに バナナジュース700円たのむのに何度見したことか
飲み物に300円とか400円とかすごいなと思う
お金ってあるとこにはあるのだなあー やな意味ではなく!たぶん!うらやましいけど
うちにはないよ!ほんとにないよー!
 
ってことで
私のしあわせ感覚 あなたのしあわせ感覚。
価値観ってやつか
かぎられた中で、なにがうれしくてなにを選んでいくかってやつだな。
人生はみじかいと思うよ それは幸せなことだな。
 
おいしいものは好きだけれど
そんなに食べ物の味とかこだわりないので
私は好きなひとと とりかわとか 塩で焼いておかずにして食べる
それだけでよかったぐらいで
 
一人のときなんかは毎食コーンフレーク流し込んでるとか
毎食カレーとかでもふつうに平気だったりで
 
お金のつかいみちは色々あるけれど
私は何に使いたいかといったら
ライブハウスにいくこととか 移動することとかだなあ
行きたい場所にいって みたいものを見ること。みんなそうでしょう。
あとは予期できないものに出会うために、今いる場所を出ることに。
あと服とかCDとか本とか 気づいたら使ってしもうてるとか。
 
なんー!
 
だからねえ おいしいものはいいんだけど
私にとっては お金もなくなるし ふとるし!
やーんだな
 
たまにはいいと思うんだけどな。
 
やーん。
 

大好きな 市バスキャラクター 京ちゃん
 

2011年11月17日 「論より照合」
 
電車に乗った。窓から見る景色。
どこかのまちのどこかの道を分断する、
線路のうえにのっかっている。
踏切を通りすぎる。
誰かがこの列車が通過するのを待っている。
乗ってるわたしには片側しか見れない。
でもその景色にはほんとうは、
踏切の後ろ側の景色も、あるんよね。
 
そこに立ったら、わかるはず。
 
そんなことぐらいしか私にはわからないけれども、
大事なのは、少なくともそれがわかっているということが
私にとってウレシイかどうかで
 
あっちとこっちを、論より照合。
症候群は はじまっているのか。
未来と過去がいっぽんの道のうえにあるとすれば、
ここは例の踏切か。ここんとこ濃いのは海霧か。
 
海岸へ出るのか?
涙は塩っからい。私にはそれと同じく、帰るところがあるのです。