うん。
音楽と、音楽やってるやつが好きなんだな、私は、
そんで人間が好きだ。
うたは、身から出たサビ。
だから、生き方、人間そのものも、
全部あわさって、たまらなく好きになるのだろうな。
ええな。ええな。
私もやることやらねば。
明け方五時までギターをひいてみて思ったけど、
やっぱり後退はしていないよ。どこからも。
もちろんそのぐらいゆっくりしかやってないって、ことなんかもしれん。
このままじゃ 消えるー!
音楽について、楽曲が好きか、言葉が好きか、
その両方が合わさった姿が好きか、だけだったのだけど、
大学入って、ライブを、やるようにも見るようにもなって、
音楽やってる人が好き、というのにどんどん変わっていったんだなあと思う。
いや、変わったというより、そういう要素がどんどん働くようになっていった。
音楽が、家のコンポやウォークマンの中にある、どこか遠い所から供給されてくる作品、ではなく、
もっと身近なところ、生活のなか、においのある生き物として、
当たり前に、すごく近くにやってきた。
好きな人のうたう歌は、好きになれるよね。
その言葉が私を、音源主義だけの世界から、連れだしてくれたんだと思う。
そのことがはっきり、わかって、
開き直ることでもっと人間的な楽しみ方に開いていったのは、
大学を卒業して一年後ぐらいだったけど。
その人がうたう歌が好きとか、
知り合いのバンドに対してひいき目が絶対働くこととか、
事前に情報だけでものすごく期待してしまったりとか、
逆に見る気もしなくなってしまったりとか、
こころが開くときと、閉じるときのタイミングって、
実はとってもゲセワなものだと思ってる。
生活臭あふれるみたいな
その聴こえ方の違い、同じライブハウスにいるお客の雰囲気に左右されるもの、とか、
そういうぶれや、人間らしさをまるごとひっくるめて、出会うべくして、出会うもの。
生きている音楽。
ものすごく肉薄してきて、人間らしいもの。
いま、はじまったばかりのアーティストの歴史が、続いていく。
一年後、三年後、十年後。
CDになったら、音はのこる。やりつづけていれば、そこに音は残りつづける。
ぼくはそういうものが本当に楽しいことを知ってしもうた。
人間が、人間らしく、綺麗な感情だけじゃあとてもいられず、
でも美しく、なりたくて!
頑張る。
そういうすがた。
なるべくしてなる音楽。
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