表情の自覚

色んなものを、配置する前にていねいに磨くということをやってるのですが今日も時間切れっす。
でもなんか楽しいな。今までさぼってたものがこんなにたまってるとは。時間ってすごいな。
 
好きなひとが優しい。そんだけで、ものすごく元気になれてしまう自分がいるのだ。
しあわせだな。
 
世界や人間への不信っていうのをずっと私は持っていて、もちろん自分自身に対してもおなじように、つねに疑いの気持ちをもって接するかんじが基本なんですね。
それってまあ、いつでも、怖いからなんだけど。
期待して、がっかりしないように。ってことかな。
 
人間の欲望や、利益主義、損得勘定、そういうの知ってるから、本当のやさしさなんてどこにもないんじゃないか、
全部のことには裏があって、約束もすぐに破られて、ああそういうことだったのか、やっぱそーだよな。なーんだ。
そんなことが、この世界を構成してるすべてだと思って、
私はものすごく、がっかりというか、絶望してしまうのね。
 
でも、いい人やいいもの、よい関係や世界のめぐりを、目の当たりにして、自分が信じられるぐらいにそれが証明されているとき、
ああ、世界も捨てたものじゃないんだなあ。ここに生きてていいんかなあ。
 
そんな風に思えるのね、私は。
 
君が損得勘定ぬきで優しいのかどうかなんて、わからないけれど、
でも、損得勘定だけじゃ理屈が合わないような感じなんだ。わたしが感じているこのあったかい気持ちというのは。
君からもらったものだな。
 
君のような人間がいるなら、この世界、絶望ばかりじゃないって、今は思えるよ。
 
そばにいなくても、今は思えるよ。

“表情の自覚” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください