2012年8月31日

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あした死ぬかもしれない。
でもそれはふつうのことだな。
ふつうのことだけど、
なんでもないことではないかもしれない。
私は私の世界で生きている。
私の目でしかものは見れないし
私の価値観でしかはかれないし
いいものはいいのだし
いらんものはいらんのだ。
(ただそれがときどきとてもかなしい さみしい
 それは言葉をえて沢山考えてしまうようになった
 人間のあたりまえだな。)
えらぶ ということについて最近本当によく考える。
こたえはやっぱりループしてこんがらがってまうのだけれど
 
 
本当に好きになれない部分をもってる人
考えれば考えるほどきらいで 胸がぎゅーって苦しくなって
考えるのいやだな 考えたくない やめよう、ってなるのに、
 
今日ふと想像してみた。
あなたがもし明日死んだとしたら、って。
それはそのとき珍しく、とてもリアルな想像になった。
 
そしたら私はとても悲しいし、とてもつらいだろうな、
とても後悔するだろうな、と思った。
 
そして、あなたが確かにそこにいた、いくつかの少しの思い出を、
だいじにだいじにするのだろうな、と思った。
 
それもまた、あした死ぬかもしれない、とゆうのと同じように
あたりまえなことだな、と思った。
 
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あける予定のなかった扉をくぐったなら。
ゆるされたわけでもなく、
誰に薦められたわけでもなく、
ただそこにあって、なんとなくで、
それでも確かに私が、くぐったなら。
 
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2011年12月3日 「にゅうとう」
 
夜の道をあるいた。
日付がかわろうとしていた。
紅葉が、紅葉していた。
家の狭い横道をずうっとゆく。
ああ。そこに、人びとがいる。
寝息をたてて、住んでいる。
深夜のひっそりとした高架下の住宅街は、
日常のすべてを、非日常のなかに放り投げられて、
街灯のもとに、異様なかがやきを放っていた。
 
ああ、きれいや。この世界。
きれいや。
 
生まれてこなければよかったと思うことが何度もあった。
これからも何度もあるだろう。
けれど、生まれてきてよかったと思うことも、何度もあった。
これからも何度もあるだろう。
 
生きる、それにただ意味はなく、
理由もなく、理屈も信念もいっさい関与せず、
いかれても生かされているんだ。
そしてそれが全てである。
そこから生まれる全てが、ほんとうのことだ。
よ。

取れ/振り

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とれぶれい シレンテ,
とれぶれい アロンゴーホーーム!!

2012年8月27日

ごみ出して家を出る。
 
なんだか色々のバランスとれてないなあと思う
目の前のことをとりあえずやるけれど
目の前のことだけでも やれてないことが
こぼれることが沢山でてきてあせる
 
それでも生きていることがずっとましか。
日常が日常たるものになってきた。
へいわだ
 
 
携帯電話がいよいよイカレてきたので
ちょうどよい機会にスマートフォンとゆうやつに変えようと思います。
自分にとっては 車とかと同じで まったく関わりたくないというかそういう代物なのですが
なんとなく
ちょっとぐらい勢いにまかせてのってみるなら、この部分であって、
それは今かな、と思ったので。やってみよう
 
まったく関わりたくない、というのは、
贅沢を知ると 贅沢しかできんくなるなあと思って
私はお金持ちでもないし やりたいことをやるための必要最低限のお金は欲しいとおもうけれども
お金持ちになりたいとは思わない(でも色々うまくやりくりとか 交渉とかはできないので お金でゴリ押しできるものならそれはそれで面倒がなくていいなあとは思ったりもする)
 
今、インターネットがちょっとでもなくなったらすごく困るようにさ
昔はそんなん無くても なんとかなってたことなのになー
 
ガラケー(ガラパゴスケータイ。スマホじゃないタイプの携帯のことをこう言うらしい)でも別に生活できていたし、特にそのままで、慣れてるものが一番のツールなんじゃないかなあと思うんです
 
手に負えないものを、欲しいとおもうことは いいけれど
踊らされてるだけなんじゃないかなって思う
ほんとうは近くにある十分な幸せを
じゅうぶん大事にできたらええのにねー
 
ふんふー
 
 

2011年11月28日 「やくしマる」
 
作り置きしといた おしる が
おかずにしては薄味やったから
ちょっと塩こしょうふったら
舌にビリビリきてしもうた。
 
喉ごしすごかった
 
でも刺激物は好きで もともと。
 
 
麻薬みたいに
酒はいらな 心のタガはずせんやつには なりとうない。
 
って言いながら最近 酔っ払ったノリにかこつけて電話かけてる気がする。
ざざざざんねん
しょうみ 全然酔ってはないのよ。意識はしっかりよ。
でもねエ.. ざんねんねエ…。。
 
「たまに」だから楽しいのも わかるの。
そりゃーそうなの、珍しいものが 刺激だからね。
でも、「たまに」をわざわざ作りださんと楽しめない、なんて
勿体無いじゃあないかいの
 
 
日常が好き。ひとがくらす、その風景が好き。
それを大切にできない私も確かにわたし。
だからこそ日常は、日常たりえるのだが。
 
喧騒、誰も知らない場所、遠い風のはこぶ場所。
決められたレールと、与えられたルール。
生活があって、いのちがあって、
それはつながっていて、
そこには必ずしも、ドラマがある。
 
生きることは、それ自体、劇薬だ。
与えられた以上、「いのちをかけて」生きねばならぬ。
そう思いたい。たとえそうでなくっとも。

2012年8月26日

2012年5月あたま
 
もう何も見たくない。
もう何も知りたくない。
何も信じられない。
何もわからないし、わかりたくない。
 
 
僕は。しにかけていた。
涙が出るぶんには、近くはないんだと思うけれど。
 
仕事おわって、帰る電車にどうしても乗れなくて、
大阪で、駅を通りすぎて、公園を通りすぎて、道端にへたって、
おきあがれなかった
風の音だけがびゅうびゅう耳をこすって
 
消えたかった
だれにも会いたくなかった
人に会えば愚痴のような、自虐的な言葉しかでなかった、
だれの言葉もききたくなかった
それでも誰かにすがらなきゃ生きてる気がしなかった
たくさん迷惑をかけた
ただ生きる価値のない自分だけそこにいて
ひとの邪魔になることしかできない自分だけそこにいて
それは誰がどうみたってそうなのだろうと思った
 
どうしようもないことを
でも、じゃあ、いや、でも、もしかしたら、いや、でも。
ずっと堂々巡りして 疲れ果ててねむる、のにも飽きて、
どうしようもなくからっぽで、
終わらせることにむかって、そのためにすることを考えて、むりやり日々を先延ばしにした。 どうでもいい夜がつづいた。
 
 
ある晩。やさしい音楽にであった。
 
ああ、こんなふうなものにまだ心をひらける、出会える自分があるんだ、と思った。
こんなふうに嬉しい気持ちになれる感覚が、まだ残ってるんだ、と思った。
生きようかなあ、と思った。
というか、それしかできないんだな、と思った。
 
友だちにしかられた。
それでもようやっと笑って、つかれて、眠れるようになった。
 
何かにつけて、色々な場所にでかけた。
たくさんライブハウスに行った たくさんの素晴らしいものに出会った。
とても感動したし、とてもワクワクした。
 
山ほど人の助けをかりた。さんざん色々押しかけたし電話もした。
そのくせろくに喋れなくて、目もあわせられなくて困った。
口からはでまかせばかり出る
どれが本当の気持ちだとか どれが本当に思ってることだとか
思うべきとか
もはやごちゃまぜで わからなかったから
 
ひとりで見る景色が輝きだしたのはいつからだろう?
それが当たり前になっていく瞬間ひとつひとつに、はっきりとした自覚があった。
それはうれしいでも かなしいでもなく
不思議な感覚だった。
 
誰も責任をとらなくて
それでも自分は立っている。
それがとてもへんてこなことに思えた。
一人では生きられないのに。
考えたら、それが当たり前のことだっていうことも、ふつうにわかるはずなのに。
 
 
 
新しい場所に出会った。
そこは私がむかしいた場所に少しにていた。
 
もっといたい と思って
でも、どこかでそれが、いけないことのような気がしていた。
 
人は過去には生きない。というのが当たり前らしいけれど、
私はそうは思っていないらしい。
私から見ると、みんな、過去をなかったことにしすぎに思えてしまう。
そうでもないのかな。
 
やってきたことが全てで、それって過去にしかないわけだから、
そこからしかわからないこと、そこからしか証明されないものがある。
私はきっと、それしか信用できないんだと思うんだな
 
もちろん、未来に望むことがなければ生きてゆかれないけれど
過去を大事に生きている、
そういうのがもうちょっと欲しいって思うときもある
でもそれって私の話だからな
 
だから、すこし私のルーツにふれる その場所は、
なつかしくって うれしくって
でも、むかしのその場所とは確かにちがうもので
それがなんとなくいけないことって思っていたというのは
その場所が、すごく、とじて見えたから。
そこに入ってしまったら、外のものと出会えなくなるような気がしたから。
 
過去にしばられるのと
過去を大事にするっていうのはちがう。
 
どうしても縛られてしまうものだし
でも、忘れたくないこと 忘れられないこと って、ある。あってほしいと願う。
 
私は、変わってしまうすべてが恐ろしい、
なかったことになる、無意味さが、
約束したことが、感じたことぜんぶが、
ここにいるっていうことも、誰かと関わったこと、
証拠も何ものこさずに、なかった、と言ってしまえば本当になかったことになる無慈悲さが、
すべてのことが、変わって、きえて、そんできえたことすらわからなくて、
そしてそれを当たり前だと、自分の都合で言えてしまう人間が、こわくて、つめたくて。
 
 
合理的に、一般的な幸福論で、なにもかもを選んでゆけたらそりゃあいいだろうな。
 
 
傷つくのが怖いなら傷つかないほうへまわれ
負けるのがいやなら勝つほうにまわれ
 
そんなつめたい人間に私もなってしまったやろか。
そんなつめたいこと。
そんなかなしいこと。
 
いうて僕は何かをえらぶ。
 
何かをえらぶということは、
何かをすてるということなんだな。
 
 
僕はすっかり平気になった。
僕はすっかりまともになった。
それともこれが一時的な非日常だったろうか?
あとになってみないとわからない
あとになってみて笑えたらいい
 
笑えたらいいか?
 
よくわからない、
でも私はここにいる。
 
ここにいるから、ここにいる。
 
 
うれしいとき、
君にあいたい
 

蝉時雨と午後の光
まだ生きて果てぬこの身なら
罪も悪も
我とともにありて

 
 

2011年11月25日 「ゆうさん SO うんどー」
 
わくわくしたり
どきどきしたり
ぎすぎすしたり
いらいらしたり
めそめそしたり
頼ったり
頼られたり
疑ったり
不安になったり
確かめてみたり
 
ああ、かわいいなあ って思ったかとおもえば
急にキリリとした表情みせて落ち着いたようす。
 
生きていくために必要な目くばせや、
自分を守るために、必要なずるさや、
思い通りにやるために他人を騙すウソや、
そういうものが見えたり隠れたりで
いやで、かなしくて、切なくって、苦しくって、
それでも愛おしいというだけで、
何もかも許してしまえることもある
感情論。
 
ひどいめにあっても、やり返すやつも、やり返さないやつもいる。
 
人間は面白い。
生きることは、騒ぎだね。

2012年8月23日

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(五月三十一日)
 

言いたいことはほとんどないけど
あなたの笑顔を見ていたい
どうでもよくなくなくないことは
ほとんどないでしょ、そうでしょう
楽しい夢を一緒に見れたら 他にはなんにも…
なんでもかんでもは いらないよ!
 
(ピンクフラッグ/エンペラーめだか より)

 
ちょっと特殊な二日間。
疲れてねむったら私はいびきをかいていることが判明
うー ー わー
 
そろそろほんまに死にたいなあって思いました
 
 

2011年11月12日 「らめらめだくと」
 
香里園に行った。
行くまでに、電車で知らないおじさんが話しかけてくれた。
とっても日本の歴史が好きなおじさんで、
これから坂本龍馬の研究会に行くんだよーって言っていた。
目がキラキラしていて、ダメダメ小娘の私にとくとくと語ってくれた。
 
特急に乗っていたおじさんとは、枚方市で別れた。
 
さて香里園。
初めて、めし屋・大三元の威力を知った。
ノーマル盛りであの量だったらば 大盛りは一体。
 
からあげがほんのり甘くてやさしい味だった。
おばちゃん ちょっとまけてくれた。
エヌズも香里園も大三元も好きです。
また行きたいの

2012年8月22日

夜の公園でブランコこいで靴をぶっとばしたりして
砂じゃりじゃり状態で 仕事もーちょいがんばって かえる。
 

大福弁当たべてみたいワ。
 
このまま雪にうもれてまいたい
 
(一部、 福岡の女子高生/ヤング の歌詞なります)

 
私はサウナが好きだ
 
サウナ → 水風呂(ちょっとあびる) → サウナ → 水風呂(腰ぐらいまでいく) → サウナ → 水風呂(全身いく) → サウナ → 水風呂(歯がガチガチいうまで浸かる) → サウナ → 水風呂(てきどになるまで) → あがり。
 
がフルコースです
 
なんじゃー
 
 

2011年11月9日 「軽軽(くらげ)」 
 
あの世には持っていけないなにかを思う。
しかしあの世とかどうでもいいほうなので困った。
目の前でもがき苦しむだけがただ リアルだと思うから。
 
でも、図太く、芯を持って、力強く「いま」を踏みしめるためには、未来、さてはあの世まで持っていくくらいの何か宗教のようなものを、自分のなかにかたく信じこまなければならないような気は する。
 
あくまで他人の話でしかない今
 
薬局寄ってく。いるものがあまり無い。
物入り周期がそろそろ来るはずやから構えとく。
構えだけは必死だが如何か。 うかがか。
 
お腹が空くことは嬉しい。
ただ、何を食べたいとかが無いので、
それなら流動的な栄養食を腹に流しこむだけでも全くもって問題ないのではないかと思い、野菜をミキサーでジュースにしちゃうとかに興味を持ちだす。
違うって、違うんだって。
 
秋が終わる
 
 
 
BGM: Hair Do/AIR

2012年8月21日

ゆかたを借りてしまった!
きれるかなー
 
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メロンをもらってしまった!
おいちなー
 
口からでる言葉 でない言葉。
すこしだけ整理がついたのだ。
と思った。
 
ぜんぜん平気だなあ、って気づいてしまうと
私はもう何もかも 自分もふくめ誰のことも
どうでもいいのかもしれないな、とも思う。
 
 
いっつも大体眠くって、いっつも大体くたくただ。
それでもずっとがうれしいことだ。
お腹がすくことは。
息がととのっているということは。
目がかすまず、意味なく吐くこともなく、
世界がとてもきれいだと思えるということは。
 
戻りたくはないなあ。
 
いいことを、いいって言って、
やっちゃうしかないです。
 
みんなそうなのかな。
 
常識的なしあわせ、って、結局ゆきつくところなのかな。
 
 

2011年11月7日 「からふとかれふ」
 
空符と彼婦
 
家に帰ったら、とても懐かしく、優しく、あたたかいにおいがした。
ああ、帰ってきたんだな、って思った。
 
変わらない何かを求めて、変わっていく姿を、
私が許しても、私は忘れることはできない。
遠くにあるはずの景色がにじんで目の前に現れるとき、
足元にその場所が確かに存在する。
そう、ひとが居る場所はいつも、見ている「地点」じゃない、
ひととひとが関わることで、または関わらないことで、
生まれるただの、「視点」なんだ。
何も変わらない。
あなたがあなたである以上、
自分にしか成れない存在である以上、
においと、記憶をともなって、いま、ここ。
 
 
単純だけど少しの目の位置で何にでも変われるって
 
そう、私がただ一人、自分自身で立とうとした頃、全てのはじまり。全てのルーツがそれだった。
 
思い出の善し悪しは現状の満足度で
きまる

2012年8月17日

わかりあえるかどうかなんて誰にもわからんけども、
わかりあう気があるかないかなんて、相手見てたらわかるわな。
 
ずっと続くものなんてないんだろうけど、当たり前だろうけど、
それが当然って顔で放置されてしまうと、
とっても自分がばかばかしくなるな。
 
平気な側にはわからないのだろう。私もそうなのだろう。
けれど、私側から、勝手に信じていたかったものがあったんだな。
 
よし!
 
色々ありましたがおかげ様で元気っすー
 
色々の部分が色々すぎるんです。
 
何かに泣いたことだってあるさ。
想像したことだってあるさ。
 
ちょっと元気になったので、怖いけど進んでみようかとも思う。
どうしてそんなに、っていう問もばかばかしくなるぐらい
直情な力で
気持ちひとつで
 
 
お昼休みにナンつきのインドカレーを久しぶりに食べいった。
最近カレーをよく食べる。
インドカレーとかそういうの。だいたい一食800円とかする。
贅沢な身分になったものだな!と思うけど。実際節約しないといけないけれど。
うん。まあしあわせなことだな。
 
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仕事おわってから、心斎橋った。
ライブハウス 火影でちょこっとだけライブみる。
やっぱりこの場所は私のホームなのだなあと勝手に思う。おぢづぐー
まあそんな長い時間いるとか そういうわけではないのですが。
 
最近できた 火影まえのたこばん屋さん めったくそにおいしいんすなー
ライブ大好き少女・かなえちゃんが働いている。
彼女は本当に素敵な女性や。
らぶりー
しかしこの日はお休みぽくて会えなかった。
 
こなくーそー
 
20120817221756_DSC07764
ミラーボーすきやのう
 
 

2011年11月 2日 「深くてくらい水」
 
部屋の中でコートを着ているんだけれど、寒気が止まらないのでふるえ
 
恥ずかしいことを恥ずかしいと言えて、
怖いことを怖いと言えて、
自分のいやなことは、やだ、って言えて、
そんな とても素直な心でいられる人を何人か見て、
私は、いつの間にこんなに
何も わからない人になってしまったんだろう。
 
多分、影響なのだろうけど。
私はひとをコピーする。
私は他人によって生きる。
だから私が人に何かをあげられることは、ない。
あるとすれば、誰かのことを別の誰かに手渡ししているだけなんだと思う。
 
そんなクセと、そのくせ忘れられない 私の感情の特性があいまって
私は、私が誰であるかを思い出せないでいる。
だから、しょうがないことなんだ。
 
とても美しいものと一緒にいて
とてもハッピーだった。本当にハッピーだった。
だから、それを傷つけるような私は、もう、いらんないんだ。
 
…だろうか?どうだろうかなあ。
 
くらげのように生きている。
いる、ただそれだけ。
生きている、ただそれだけ。
許されているのは、ただそれだけのような気がするんだ。
それでも私は、私でしかない。
ただのいのち一つでしかない。
それ以上でも、それ以下でもない。
 
 
 
久しぶりに病院とか行った、きがする。
で、点滴を受けようとしたけど、なんかうまく入らなくて
二回ぐらいトライしてもらったけど うまくいかなかったので
じゃあいいですーって帰ってきた。
血管はバッチリいける太さだそうですが。
 
針はこわくない
針は持っていない
刃も私のなかにはない
だから傷つけるとしたら、もっとリキッドな何か。
 
遠くへ
 
お腹がすいた。

2012年8月16日

なんてことを書いているんだ!
と思う自分もいるし、
仕方ないかと思う自分もいるし
 
すべてが普通のことだな。
 
 
夏のロン毛っけは慣れしだいだな。
日光を少しはさえぎるわけだし。
 
イメージに灯をともして。
 
きゅうきゅうのビルにさえぎられて日光は当たらない。
それでもこの空が夏だっていうことはわかるのな。
 
晴れたり降ったり。
 
そんなに沢山のものはいらないはずなのにな。
 
過去にあまからい味をつけて、
とかなんとか
冷静に考えようと、してもみるわけだな。
 
 
気持ちひとつかあー
とてもうれしいことがあって、
そのうれしいことが、うれしいということが怖かったりするんだけど
やっぱりうれしいことの中にいる間はすーごくうれしいわけなんだな。
 
笑ってしまえそうな気がしてもいるんなあ
 
 

2011年10月30日「やんなるくいな橋」
 
欲しい本と、欲しいCDがいくつかあります。
そして必要なもの、欲しいものその他 がいくつかあります。
 
しかし本当に欲しいものは手に入らないようになっているのです。
でなければきっと苦しみも、喜びも、私にはわからなかったでしょう。
 
必要 という言葉のなかには「必ず」ちう 文字が入っていますが、
必要ということばの重さのなかにはそれは含まれない気がいたします。
 
何気ない人の、
優しさじゃないんだろうけど優しさに感じたことが
嬉しかったです。
それとこれとは関係がありませんが。
 
こないだ、
おいちい具だくさんのグリーンカレーがお腹いっぱい、¥650円で食べられる素敵なカフェーを見つけました。
私はそこに置いてあるCD(せーでー)を見つめました。
静かで、レトロで、落ち着いた雰囲気の店内に並ぶ、
見たこともないようなノイズのCDたち…
… っく…
 
 
ぜーたく疲れ。
それでも擦り切れていくものが何か あるのだろうね。
眠りがやけに 浅い

2012年8月15日

なんだかうまくいかなくなった。
もう怖くて怖くてしかたないのだな、と思った。
それもまたしかたのないことだな、と思った。
 
心なんか開かなかったら楽なんだな。
信じることなんかしなかったら傷つくことも誰にも触れられることもないわな。
 
 
ちがう。
ちがうちがう。
か。
 
気づいたことがある。
 
私は、変わらないものを探している。
永遠のいっしゅんだけを切り取って、そこにとどまる。
過去ひきずってんじゃない、過去を大事にして生きてんだ。
そんなふうに言った人がいたけれど私の場合は別にどちらの言葉でもかまわない。
 
だから私は写真が好きなのだし、保存された言葉や、思い出や、
保存されたストーリー、そう動画とか「作品」として残っているものたち、が好きなのだな。
音楽だってそうだ。私がどうして音源をすごく欲しがるかっていったら、
音源は、変わらないでそこにいてくれるからだ。
好きな音源は、好きな音源である以上、何度でもそこで再生できるものだからだ。
 
ただ音楽の場合は… 時間の芸術だ。
言い出したら写真だって時間の芸術なのだけれど、
作品そのものがすでに時間、というのは面白いなと思う。
そして視覚をうばわない分にはそれはだいぶ
 
 
何を説明しているのか。
 
っていうのも、私は、説明したいわけじゃない はずなんだよな。
 
でもなんかもうそれを話すのもいちいち つかれた
 
 

2011年10月29日 「去らない日々」
 
起きたのは朝9時。書留郵便を受け取った。
洗濯機を三回ぐらい回した。気がする。
色々と服を着てみる。
わからなくなった。
欲しいものなんてもう無いのかもしれない。
 
お昼過ぎまでそうやって家のことを片付けたり、呆けたりして過ごしてから、
初めて聴く音楽を聴いてみた。
ら、思いのほか よいのに出会えて、嬉しかった。
とても悲しくて、綺麗な曲。
 
それを持って出かける。
 
そんなかすれきった、自分ではない何かを、
少しでも何かを、残したくて、残したくて、
人は生きちゃう のではないのでしょうか。
種なしぶどうの生まれてきた意味。
人間に騙されて 実をつける。
そのようなものではないのかなって。
 
神様の人生ゲームなんだもの。
ねえ、見ていますか?
わたし、あなたからいろいろなものを教わったわ。
わたし、鳥かごのなかから、放たれたわ。
でも自由になんてなりたくなかった。
 
 
色々なものから手を離したつもりになったら
やっぱりふわっと体が軽くなる。
必要な重さがなくなって、リアルな肉体がそこから離れて、
執着もない。愛憎もない。
くらげのように波間にただよう ただの価値のない、
つまり理由なんてない、しかし唯一のかけがえのない、
いのち一つになるんだわ。
 
 
愛したことが、
憎んだことが、
触れたことが、
関わったすべてが、
すれ違った事実が、
誰かの心のなかに残るならば 本望だと思ったから、
ここにあなた方への手紙をしたためてゆこうと、思ったのです。
 
去らない日々を片付けはじめる。
少しずつ風呂敷をたたんでゆくように。
 
月に一度か二度、わたしは、在りもしない何かがとても恐ろしくなって、ただ恐ろしくなって、
こういうふうにただ、息をするように、泣いてしまいます。
それを抱きしめてくれていた人は、もういません。
だからこんな私のことは、誰も知らないことになるでしょう。
そして何の記録にも残らない、誰の心の栄養にもならないたましいは、
道路に投げ捨てられた薄い紙くずが、雨にとけてどろどろになって流れていくように、
所在なく、理由も目的もなく、ただ「なる」ほうへ、渦を巻いて、ゆっくりと吸い込まれてゆく。