バイバイがんじす

お仕事ー!
別に久しぶりとは思わなかった、普通に連休飛び飛びだったからかな、
忙しく旅してたからかな、
それとも、もっと違ういいことであったらば 私は自分がうれしいだろう。
 
仕事も休みも平日も祝日も、
おなじ日々であろうと思いたい。
金曜日の夜を心待ちにして過ごす毎日なんて、僕には耐えられないと思うからだ。
 
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淀川ながめてバイバイガンジスがえんえん流れる
ばーいばーい
がんじーす
 
友達からのみの誘いをもらった
うれしい
目がめちゃくちゃ痛く とても眠く 疲労がとりきれていないが
即答でOKをした
 
ただメールでのやりとりのあと、電話で話してみたときにぼくは自分の異変に気がついた、
全くもって、まともに喋ることができなかったのだった、
次の言葉が出なかった、言えることが何も言えなかった、言葉が出てこなかった、
なんとかとりつくろって ともかく約束の用件だけ取り付けて
電話を切った
 
いざ会ってみれば、案外いつもどおりで安心した。
私から喋ることもだいたい相槌ぐらいのもので、
でも別に会話してないわけじゃなくって。
 
自分の知らない世界のことや
相手のみている世界のこと、
それを聴くのはとてもたのしい。
きみの言葉がきみの心からの言葉である限り、
私はそれを聴いて、考え、心から、レスポンスしよう。
喧嘩もしよう。
そしてお互いわかりあえなくても、
あなたはあなたで、いてくれたら それでええ。
 
願うよ、
 
 
帰ってすぐに眠った、
 
 
 
・・・

2013/01/23 れんず
私もあなたと同じやな、
誰かに いい子やなあって褒めてもらいたいだけなんだ。
 
電車の通過する音。
どくどく速い心臓の音。
 
ふと、まえ住んでいた家の 玄関先に
立ってる、自分がみえた。
じゃあこれは誰の め だ?
 
息苦しい。
生きづらい。
 
優しい言葉、先につづくうそを、
ありがとう。

自分のバックアップは存在するのだろうか

関東から帰ります。
いわゆる世間一般にいうゴールデンウイーク四日間のうち、一日目はライブでしたが
二日目早朝から関東へ向かい、
 
趣味:人んちでだらだら過ごす
をやりまくれて充実してました。
だいたい寝てました
 
今度はシモキもダラダラ回れるくらい時間とりたいなす。できればライブもしたいなす。むずかしー!
最終日は、みきおの東京バンドの皆さんのなかへお邪魔した!
わっけえ!
あんなに知らない人に対して気さくに接してもらえるのん珍しいのでみきお界隈はええなあーっておもいましたや。
 
夜行バスに乗るため渋谷のまちを一人で歩き、駅へ向かうときに、駅がすぐそこだと思っていたら、色々な路線の駅があって、案外目的のJR山手線の乗り場まで時間がかかり焦ったけれども、
もうこの感じも何度も経験を重ねてきているものです。取り返しのつかないほど怖いことなど、いまのわたしに何も直面していないのだと思いますので、何も恐れることはありませんでした。
 
まちのなか、交差点の点滅に従いうねってゆく人混みの、ひとつぶひとつぶを、じっと眺めてみたのです。
関東だからといって、都会だからといって、何が違うとも思えませんでした。
 
私にとってもしかすると、初めて大学受験に出てきた当時から、もはや人類に対峙する感覚というのは、そうだったかもしれません。
 
 
ああ背中を見続ける勇気すら、ない、
何かにつかまらないように
夜の道を ぐいぐいと、歩き出す、
 
そんなうたが頭のなかで 爆音でなりました。
東京
 
無事に夜行バスの乗り場へ着き、以前、二回ほど前に乗ったときに大きな荷物を抱えて道に迷った時のことを思い出しました。そういう道を通りました。
 
それを思えば、今の私は、全然確信はありませんでしたが、方角と雰囲気だけで、なんだかわからないのですが、この道で間違いなくたどり着けるだろう。という、身も蓋もない直感と経験による、自信というか、感覚があることに気づきました。
 
ほどなくバスの発車場所を案内されて、持ち込みが少しだけ不安だったミニギターをかかえ、バスへ乗り込みました。
係りの方は大変親切で、今日は空いているせいか、ひとり2席使えると思いますので。と案内をくれ、わたしの背中のギターを一瞥し、それは上に持っていったほうが良いでしょう、と言いました。
 
よるのまちを、排気ガスを吐き捨てて
バスははしる
 
カーテンのそとがわに首をつっこませて、とんでゆく景色をながめていました。
ふと思い立って、ビデオカメラを取り出し、その景色を収めました。
それはピントがあわないせいで、肉眼で見るのとちがう、面白い映像となったので私は嬉しかった。
暫くして、ふと思い出して、電子書籍ですこし本を読むことにしました。
 
太宰治の「人間失格」。
これは夏目漱石の「こころ」と同じように、わたしの心に深く根をおろしている文学作品のひとつです。
とはいっても、誤解してほしくはないのは、これらの作品が、私に影響を与えたということでは、ないのです。
これらの作品に出会ったとき、私は、それまでさっぱりわからなかったこと、自分自身について、「ああ、これだったんだ」と理解することができたんです。
 
私はわたしの中にあるピースを、これまでに出会った数々の作品のうち、いくつかのなかから 見つけ出してきました。
私にとって、音楽もそういうものかもしれません。
ずっとずっと探していた自分自身の大切なピースに、出会った気がするのでした。「これだ」って、心が叫ぶのでした。
そしてそうしてしまえば、そのようなものは、他には別にいらないのです。
 

“つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです”

 
また暫くしてカーテンの間に首をすべりこませ外の景色を見てみると、JR横浜を通過したところでした。
 
横浜駅でも人を乗せてゆくバスなのですから当然なのだけれど、なんだかこのたびのたびは、神奈川、横浜に、運命めいた、縁めいたものを感じました。
 

“自分には、禍いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか?エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか?それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金?まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。”

 
目を閉じた、
私の席はとても運が良く、バスの最後尾の列で、
しかも明け方に気づいたのだけれど誰も他に座る人がいなかったようで
私はその広くあいた席を多めにとって、横になって眠ることができたのです。
 
途中で外人のお客さんが半分場所を使いにきてた気がするけど朦朧として覚えていません。
 
朝は果たしてやって来ました。
僕には怖いものがありません。
恐れるとすれば病です。
ただ身体を悪くしてまで生きながらえることが、
何としても耐え難いでしょう。
 
自分のバックアップは存在するのでしょうか。
 
これは何のための問いなのでしょうか。
愚問でしかないでしょうか。
それでも口に出さずにはいられなかったのです。
それでもここに、あなたに、問いかけずにはいられなかったのです。
どうか覚えておいてくれればと思います。でも強制はとてもできません。
私も、あるひとりの人間なのです。
 
 
 
・・・

2013/01/21 そゆこと書いてしまうからいけない
また風邪をひいた。
薬がきかないなあ
少しずつ、昨日は出ていなかった咳が出始めて、鼻水がひどくって、熱がガガガガーッと上がってる感覚。
咳をした喉から血の味が、する
 
体調管理は仕事のうち、しかも基本中の基本、らしいので、
私はよっぽど仕事ができへんのやろうなあ。
 
ちゃんと毎日食べてるし、休みも、ねむいって感じたら寝てたぐらいなんだけど、どうしたらええのか!
 
帰り道、奥歯がガチガチ言うほどに寒気が、くる。
さむ。

あらいぶした

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エンペラーめだか N.S.G. Office ライブした。
みてくれたかたがた、ありがとお。
 
言い訳も、楽しかった で済ませることもできるんすけど、(私にとっては実際「楽しい」が一番大事なんすけども)
もっといい曲やと信じてるし、これは伝わるはずや、と信じてるので、
 
目指すところがみえているなら、
それに向かって努力をするだけです。
ね。
 
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誘ってくれたベリーブー、あったかーくMCを助けてくれたみなはん笑、お客さん、
ゴリラ日記
よい夜をありがとお。
 
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ごうちー!ライブだよー!ごうちー!
 
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ライブ直前のなんともいえない顔
 
 
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そいえば  女の人にはこういう話はつまらないんじゃないかな、といわれたので
わたしは、と、そこまで喋りかけたし、意見を言おうとしたけれど、
だれも私の話は別に聞きたいわけじゃなかったようで、私の意見を聞かれるタイミングはなく、そのまま別の話題になった。
 
まあ眠そうにしてたからつまらなそうと思われたのかもしらん。
けれど時間的に私はねみーかっただけなのだし話は聞いてたし私なりに思うところもあったけど。
 
まあいいや、私は別にそういう人にまであえてわかってもらいたいわけではない。
 
別にやだなーとは思うけど 嫌いとかいう気持ちではない
そういう人はそういう人なんだなと思うだけ
聴く気がないなら話題をふらなくてよろしいと思うのが私です。
しつれーしちゃう
 
でもある点で面白い話だった。
プラスもマイナスもいろいろある
自分に必要なことを 勝手に吸収するのだし
それでいいと思う。
私のことを、評価してくれる人が評価してくれればいいと思う。

きちんと

ピンクフラッグを 聴き出したらどうしようもなくなった。
 

ピンクフラッグ from エンペラーめだか on Myspace.

 
ぼくの人生でこの曲に出会えたことはとても幸運だと思う。
しかも演奏までさせてもらっとうのだ。
これ以上のことがあるだろうか、うれしい。
 
ぼくはいつもそんな気持ちで挑んでいるけれど
前にも言われたこともあるのだけど
そういうのって いけないのかもしれないね。
僕の音楽的センスも技術も頑張ってはいるものの 人より優れてはいないだろうし。
 
でも わかってくれとは言わないとも思う。
ぼくのこの喜びや 感情や 情熱は
だれにもわからないでもいいのだと思う。
わかるものか、とさえ、
思う。
 
いつも浮かぶは 4月と5月。
大阪城公園 すみっこの 教育塔のまえ、
ピンクフラッグの歌詞を 必死に書きとめながら
イヤホンいっぱいに このうたを吸い込んで
あしをぷらぷらさせて石段の上に座って
うたっていた
わたしがいた。
 
誰にもわかるものか、
それでいい。
わからなくっていい。
 
でも、聴いて。
何かを感じるのは、それぞれだから。
 
いつか身体も、物質も、朽ち果てて、
たましいだけになって去っていくときにも、
ぼくはこのうたを、持って行くよ。
きっと持って行くよ。
 
 
悲しいわけじゃないのに
どうしてこんなに涙がでるのかわからない、
うれしい、このうたは、優しいのだ。
僕は不完全だ、
なんといったらわからない。
この音楽は、すごいのだ。
 
 
 
・・・

2013/01/11 か かれた自由
これといって嫌いなものもなく、
掲げるべき主義主張もなく。
 
与うられること、
なす事、
去ること、
足ること。
 
与うられること、
なす事、
去ること、
足ること。

うすながさん

あのうすながーいビル、
たおれないかしらね・・・
だいじょぶかしらね・・・
 
そんな朝
会社へたどり着くまでの自販機がずっとこわれとうー
買わないけどー
 
明日休みってことをすっかり失念していてびびっている。
うーわ
 
左手の指先だいたい全部と
右手の親指からなかゆびまでの指先が皮ボロボロめくれてきていて
あー、と思う
 
皮膚は使われてうまれかわる
強くなる
僕は生きている、
 
ともだちが 大丈夫か、ときいてくれる
僕はそれでもう、大丈夫。
満足なよ。
 
いつ死んでもいいと思いながら
ただ、生きていたい、
悩むことなんてさ
何にもないんだろう
あますこと恐れず
ただ、生きていたい、
 
会社のデスクについた瞬間、
ああ、いま、のどから手がでるほど
音がほしい、もっと、音がほしい、
今すぐ立ち上がってギターをもって河原とスタジオで一日つぶせそー
 
つぶせそーい
 
そんな気分でしたが仕事をすませました。今日は定時であがらねばならなかたのです。
定時でぴゃっと帰って
まっすぐ家に着いた時点で、あっ乗る予定の電車いっぽん間に合わないじゃん。
くそーーい
そーい
 
 
そういえばたんたんのキーボード弾き語りのよなよなエール聴いたからってわけじゃないけど、ふと、そのことがトリガーとなって思いだした、ずっと思ってたこと。
わたしの曲って、どれも伴奏の模範イメージ、ピアノっぽいんだよなあ。
結構頭にうかぶのがピアノでながれてる。そういうものかしら?
 
と考えたときに、小さい頃通ってたピアノ教室のレッスンがすっごい嫌で
なにがいやって、練習がいやで
決まったバイエル(教科書)の曲をくりかえしくりかえし、決まった時間きちんとやる、とかいうのを家でやるとかがもう、ぜんぜんむりで
初歩バイエルをこえたぐらいで、ちっともうまくなるまえにやめたんですけど
 
いっとき、せんせいが、
「オリジナルの曲つくってみよっか」って言って、まっさらのごせんふノート用意してくれて、
一緒につくりましょう、っていうレッスンのとき、
むっちゃくちゃやる気でて むっちゃくちゃ色々やろうとした気がする
たのしかったなー
私はコードとかもちろん今でもわからんわけですから
メロディだけつくって
それに先生がみごとな伴奏つけてくれるのねー
すっごかったなーうっれしかったなー
 
まあ、そういう感じ。いま思えば、そのまんまなわけですが。
繋がってますよねー
 
 
ぼくは、スタジオとか ライブ終わった後の自分が
いっちゃんすきです、
帰りの電車の中、スネアと楽器のガラガラを抱きかかえて考えました。
匂いとか、すきです。汗と、たばこと、スタジオのかおり。
汗で前髪のしめって、体のべたついたかんじ。疲労感。
生きてる、という感じがします。
 
 
冷凍したスイカを・・・
いやきのう、買ってきたスイカを家に帰ってちょい冷えでスグ食べようと思って忘れてて、今朝キンッキンに凍ってるのを救出したんすけどね、
それを今日一日かけて解凍してたんですけど
スタジオから帰ってきた今もシャリシャリに凍ってて
おいしいです
だがさぶいです
 
 
MySpaceをたまにひらくたびに 前ひらいてた時聴いてた音楽が流れるので
毎回、エンペラーめだかの曲がながれてたいへん新鮮です。
やぱあ音源めちゃすきだなあ。。
帰ってきてこれ聴くとそれだけで泣いてまう。
 
すげーおすすめ CD「ひとりあそび」にも入ってない、「悲しみのない街」

悲しみのない街 from エンペラーめだか on Myspace.

 
人生を変えるぐらい いっちゃん好きなんが「ピンクフラッグ」で
音源のなかですっごい好きなのが「飛行船の上から」。
 
エンペラーめだか N.S.G.Office ライブは次、5/3(土曜)@大阪 扇町para-diceにて。よろしゅうなり。
(しまった、この3つの曲どれも今回はやらないぞ!新曲おたのしみに)
 
おふろはいろう
 
生活、いまは慣れたこの街と。
 
あの日もきみに会うたんだ。
 
 
 

2013/01/10 肺から煙のはいからさん、吐いた体の買いかぶりさん
いつもと全く違うみちで帰る。
中崎町の駅、
向かう途中 とても景色が綺麗で、切なかった。
酔っぱらいのおっさん、自転車で はたらけはたらけー!とゆうて叫びながら去る。
中崎町の駅、
一度だけ来たことあるから、その一度の時のことを とても色濃く覚えている。
 
あの日もきみに会うたんだ。
とても浮かれて 急いで帰ったのを、
私はよく覚えてる。
 
中崎町の駅、
改札入ってすぐの色とりどりのタイルの壁が
ようく、覚えてくれているさ。
 
いつもと全く違うみちで帰る。
電車が通って 線路が見渡せて
夜の灯りがオレンジで 高架下があって
きたない川が流れていて、
たくさんの家族が暮らしている。
 
今日も ただいま。
私の新しい街。

ヒトはヒト、カモメはカモメ

まあどうでもいいことだけど
並ぶようなお店が並んでまで食べるほど美味しかったことがあんましない
というかすっごく美味しいものでも
並んでまで欲しいと思えない

「並んでるから並んでみようか」
の発想は意味がよくわからない、
列に並んで待って食べたものがぜんぜん好みでなくてもいいのだろうか。。
そういう人たちは、一食への価値感覚が私よりも上回ってどうでもいい風に見える。それはなかなかすごいことだので違うのだろうか。

ていうかなんでもいいのか、ひょっとして、
ポリシーってないのか、ひょっとして、、

そんなことを思っては
首を振るまいにち

ヒトはヒト、カモメはカモメ
 
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曲がりかどを曲がりきれずに落ちてゆくそーゆーの

そんなわけなどないだろう
そんなことをしても無駄だろう
笑うきみは悲しいな、
 
音楽をやっててよかったって思う瞬間は そりゃー 山ほどあるけれど、そのなかでも特に、音楽をやってることで、利益のためにじゃなく、情熱で動いてるやつに出会えるということは大きい。
という誰かの言葉を僕は見た。
 
ああそうだなあと思う。
 
個人の思考のなかにまで、仕事脳を持ち出すやつが多すぎて困るとは前にも書いたけど。本当にそうなのだ。
 
そのあなたの人間としての、責任たっぷりの、個人的こたえが、わたし、聞きたいわ。
 
 
あんまし着てなかったピンクむらさき?のワンピースを、
そろそろ、ちょい厚手だし着れなくなっちゃうなーと思いひさびさに着ていったら会社のかたが褒めてくれてうれし。
たとえそれがダサいの一言であっても、私にりあくしょんをくれる人は大切にしたい。
 
そう思った。
 
 
親友・タンバリンこと たんたんが、私の曲「よなよなエール」の、カヴァーおくってくれた
私はミニアコギで弾いてるのだけど キーボード弾きばーじょん。
う・・・うれしい
ベッドにすわって ぼよんぼよん飛び跳ねて うはーうはー!て一人で言うぐらいには うれし。
ぼくは、生きている。
 
うれしくってその後自分でも弾き語って録音したけど
近所迷惑を気にしてしまったので前の録音のほうがよかったりしてボツなった
でも とっておこう。
 
練習してるから、確実に前より体になじんではいるんだけど
それがよくないこともあるよねえ。
でもたのしい。
うれしい。
ありあとお。
 
 
最近せこせこ作っている新曲 というか これまで作ってきた楽曲ぜんたいてきに 芽が出そうです。実際わかんないけど。。
ひじょうに暗い曲ですが別に個人的には別にくらくなーいっていう 私の日記とかと同じアレで
自分ではいい曲だと思ってるのですが完成するかなあ
私は、メロディーと詩が同時に浮かんで、先に存在するのですが
伴奏技術がなさすぎて 曲がいつまでたってもできあがらずに今日まで至っております
種はたくさん持ってたんだけど まあろくでもないのも含めて。
多分コード進行も大体同じだし 同じようなんばっかになりそうでそれは恐ろしい。
つける音がまだまだ研究段階です
 
のこせたらいいなあ。
 
 
 

2013/01/09 ゆくり
今日の私のゆくみちは、
いつかの私のかえりみち。
 
やっぱり私は あなたのことが大好きなんだ。
それを大切にしたかったから、
きみを知った日の、あたたかい気持ちのまんまでいたかったから。
私が選んだ道は 正しいのだ。
 
なあ、あの日のことを覚えているかい?
こんな今日のことを、覚えていてくれるかい。
 
他にはなんにも・・・
・・・なんでもかんでもは、いらないよ!

たとみ

少しずつ古い写真を整理していたら、懐かしい写真がいろいろ出てきて眺めてた。
データは、かぎりなくHDDぶっつぶれたあれでぶっ飛んでしまっているところなので全然ないんだけど。
ひとつひとつ、めくるように。
なつかしいなと思う。
いろんなことがあった。
写真のなか、一緒に笑ってる誰かのこと。
今はもう絶対に交わる気も起きない誰かのこと。
ひとは、変わる。
一瞬で、てのひらを返すことだって、平気でする。
それを恨んではならない。
ずっと続くことなんか、ない。
他人のことは、変えられない。
自分が変わるしか、ないんだよ。
そういうものなのだ。

僕はそれでも、変わらないものを、ずっと探してた。
 
 
 
・・・

2013/01/08 予感 よう噛んで
朝ごはんを食べて、家を出る。
ついに本格的な冬到来、と思っていたらば
今日はぽかぽかして暖かくて、ねむなった。
 
CDを大量に借りた。
自分にとっての新しい音楽を聴きたい、
そんな気分になって、二日前にたのんだものだ。
ずっと借りたかったけど逃していたものとか。
 
・・・
 
引っ越して2週間経つけど、引越し時に手渡された
ポストのダイヤルの開け方のメモが とても私には暗号めいていて難しく、
2、3度トライしたけれど どのときも開かなかったので
この二週間 その暗号がどういう意味なのか、ちょくちょく考えていた。
でも どのときも開かなかった。
 
今日はポストに、この大量に借りたCDが そろそろ届く予定だったので、
今日開けられなかったら 大家さんに電話しねえとなあ、
とゆるーく 考えていたんだけど、
 
今日はひらめいた。そしてその方法で合っていたよ。
よかった。うまくできているもんだ。
 
ポストに、ガス代とかいくつかの「払ってね通知」と、
沢山借りたCDたちと、年賀状が数枚、入っていた。
年賀状には驚いた。今年も、どこにもかしこにも、
出したいなあーって思ったのに私は出しそびれた。
もう10年ぐらい出してないんちゃうか。
 
貰うと嬉しいなんて、勿論わかってることだよ!

積と抜

毛むっちゃぬけるつらい
一週間前に掃除機かけたのに そして別にそんなに一日のうち、長時間を自宅で過ごしている一週間ではなかったはずなのに、室内に落ちている毛の量よ。
 
マヨネーズきれたので買いにゆかねばならない。
 
そんなに強烈でないはずなのに 強烈すぎて、
どっかのおっさんのクシャミがきこえ〜て〜♪
とゆうのをずっと脳内で繰り返している。もう一週間ぐらいになるだろおか。
かなりやばい
 
 
昼から、いろいろ考えたのち、ごはんを食べた。そしたらやっぱり落ち着いた。腹が減っているのはよくない。
おナスを切ったり 菜っぱをちぎってもりつけたり 食器を洗ったりしているうちに、書いたことで自分のなかに腑に落ちる部分があった。
 
そう、極論でなくてもよい。
石器時代にもどれと言ってるわけではないのです。
どこまで引けば、どのようなやり方やルール、コントロールが具体的に必要なのか、みなわからないだけなのだ。
そしてそれを知ることを許されない競争社会が存在している気がする。
さらに、それを国がひっぱっていてはまずいと思う。
 
でも、
やれることをやろう。
考えることは愛する掟、
信じることはもっと、
 
たとえ徒労に終わりそうでも、考えることを、放棄してはならない。
今すぐでなくてもいい。
 
理想があるのなら、描いて、追い続けるのだ。
できることを、やるんだよ。
その理想を追いかけつづけるのが、あなたの仕事なよ。
 
誰かにしたことは、良いことも悪いことも、必ずかえってくるから。
それだけは、ぼくは、ぼくの経てきた全てから、死ぬまで大切にしていたい、真理である。
 
 
夕方から夜にかけ、なんとなく、夏目漱石の「こころ」を久しぶりに読んだ。
私にとって、人生の芯の部分にずーっとある、書籍のひとつである。
読んで、こんなに長かったのか、と思った。
そして自分のすっかり忘れていた話の部分などがたくさんあることに驚いた。
やはり私はこの、時代めいた言葉の言い回しや語彙がとても好きだ。
現代文とか小論文とかの文章を読むのが好きでねえ、
 
この話を読むのは人生で何度目かになるが、
やっぱり 読むそのときどきで 感じることは違い、わかることも増えていっているように思う。
私が大切にしている他の本、作品など いくつかあるけれども、
全く同じお話のはずなのに、時間の経過で、全然違ったことを感じたり、わかるのが、好きだ。面白いと思う。
 
だから私の人生において、たくさんの作品を頑張ってコンプリートする、ということは もうあまり必要ないと思った。
実は、もう、じゅうぶん足りているのではなかろおか。
そういうことを、私はいま既に、様々な方面で感じている。
 
だから、そうだなあ。
やりたいこと、あとは「バンドをし続けたい」ということくらいかなあ、
そうすれば、僕の夢は全部叶っているのだから、実はもう何も必要ないのではなかろおか。
この人生で叶えたいことは全部叶っているのではなかろおか。
 
十全であった。
たいへん幸福であった。
まだまだできることはあるけれど、どうしても必要なのかと問われると、
わからないねえ。
 
ところで活字書籍というのは 映画とかよりもずっと 一度読みおわった後にその世界から抜け出すことが難しいと思う。
私はいつもなかなか現実のほうへ戻ってこれずに、ぼーっとしている。
話のなかのことが、自分のことだったのか、全く関係ないことなのか、境目がわからなくなるのだ。
 
でも、それでいいと思う。
理由はない。
 
目の前に、襖に一直線に飛び散った、Kの真っ黒な血液を
私は、見たと思う。
 
そしてそれは私の血潮でもあり、
私の殺した、誰かの血潮であるとも思う。
 
私が心の奥で掲げているのはいつだって性善説ではあるのだけれど、
その上で、ひとは、自分さえよければどんどん鈍感になっていく生き物だと思う。
潤沢に財産のあるやつは、貧乏人のきもちがさっぱりわからずに その気分を害することを平気で言うでしょう?
自分もそういう人間だと思う。デリカシーや思いやりはないほうだと思う。
 
ただ、そういう待遇を、自分が受けたことから、学べさえすれば、
同じことで誰かを傷つけていることに、気づけるのだと思う。
それの、一切、わからない奴もいる。
でもそれで仕方ないなとも思う。
ただ、私が好かんと、そう思っていればよい。 
わかってもらうなんて、もう、期待していないから。
そんなに傲慢にはもう、いられないだろうから。
 
三年前ぐらいに、初めて、「嫌い」という感情をみとめてしまえれたらとても腑に落ちたのだ。
それまでは、とても、わからなくて、苦しかったよ。
それからの僕はずいぶん「ふつう」に近づけたんではないかな?
もっとよく人間が、わかるようになったんではないかな?
 
今はどうだろー、
ねえ、この数年はどうだった?
何を積み、何を抜き出してきた?
 
 
 
・・・

2013/01/07 サンデーはサムデー
少女よ、そんな顔で睨みなさるな。すこし前の私を見ているよーだよ
 
ふしぎな感覚だ、感情だ。
景観だ、関係だ。
それが先までつづいていく。
どうにでもなるだろうし、思い通りにはならないさ。
 
手をつないで、触れれば
色んなことがわかるよ。
 
あなたと私の接点が、これからも続いてゆきますように。
つないだところが、願わくば、やさしい温度でいられますように。

それでも腹は減る

起きてからずっとギターをひいてた
お腹が空いたけど何かを食べたいと思うけど
食べたく ないと思った、
食べることは 選ぶことである、
知ってた、
ぼくは知ってたけど、眼をそむけつづけていることだった。
 
いな、食べなくたって パソコンをこうして使うことが、
アイフォンを使っているということが、
お店で服を買うということが、
スタジオに入って練習するということが、
 
・・・うん、色々たぶん考えすぎているけれど。
腹は減る。ぼくはたぶん、鶏肉を食べるだろう。
ぼくは大量消費の社会に一票を投じ続けているだろう。
 
石器時代へ戻れといっているわけではないのです。
マーケットを再びコントロールする必要があるといっているのです。
 
・・・うん。
 
ホセ=ムヒカ、あなたに、会いたい、
あなたの言葉を知りたい。あなたの国を見てみたい。
そこはどんなところだ?
 
僕はもともと外国に興味はない。
英語を読み解くことが好きで、学ぶために外大へ入ったけど全くもって留学したいと思えなかったぐらいには、べつだん興味がない。日本が好きだというよりかは、まだまだ日本を知らないからまずは日本を知りたいしそれは一生かけて終わる気がしないと思ってる。外に何かを求める気がおきないだけで。
でも昨今、どうも、この国に住みつづけることで、この国を選んでいる自分、というものに疑問を持ちはじめた。
わかってる。逃げることでは、変えることはできない。わかってる。
 
でも「選択」、
暮らすことは、それ自体が選択である。
 
買い物をするということは、どういう社会に一票を投じるか、ということである。
 
わかりますか。
誰も100均でものを買いにゆかなければ、100均は、この世から、なくなるんです。(もちろん100均の商品が悪いっていう意味では決してないですよ)
誰も、生きた熊の肝臓から拷問で採取されつづけている「胆汁」からつくられる二日酔いの薬を、
買わなければ、それは生産されることは、なくなるんです。
 
誰かが求めるから、そこに生まれ、
誰かが提供するから、そのためにマーケットが回る。
そしてより安く、より利益を生んで提供するために、大量生産化はおこなわれる。
そしてそれらが実質「人々によって選ばれ」「生き残り」今のこの社会に浸透しつくしている。
「手段」は問われていないのです。だれも気になんかしない。そうしてマーケットは回りつづけてきた。
 
でも、「手段」を、いよいよ問わなければならない。
その時代がきている。ぼくらの世界に、限界がきている。
われわれ消費者は、自分が手に取った商品が、一体世界中のなにを犠牲にして、
だれを殺して、なにを殺して、この場に届いて、
そしてそれら過程の罪を全て生み出していることが「自分」にあるということを、
自分で、考えなければならない時代になってきているんだと思う。
 
ぼくはウルグアイへ行ってみたい。
わかってる。本当はムヒカ氏が悪者であっても全然かまわない、
ぼくあ知りたい。なにかを、自分の眼で、たしかに、見つけたい。見つけたと、そう思いたい。
だって、わからないのだ。
 
わからないまま、いくのもいいけど、
わからないまま、おわる、
それもおれの、選択なのだから。
 
 
なあ、地獄はあると思うかい?
 
科学が発展して、死んだらおわり、そんなものはないのだろうと私も思ったりする、だろうけれど、
死んだら終わりだからって、
いのちがあと少しだからって、
他のいのちを無下に扱ってもいいのかい。
ほかの動物たちは、そんなふうにしてきたかい・・・
 
地獄はあると思うかい、
悪魔というものが存在するとしたら、それはわれわれ人類のことではないのか、
 
 
人間の「倫理観」からいうなれば、わたしは、
腹が減るということは、罪だと思う。
人間が増え、生きるということはそれ自体で罪だと思う。
よそのいきものを退けてまで、場所をとる。
 
おまえがいなければ、どれだけの生き物が死なずにすんだと思う?
 
たいへん迷惑なはなしなのだ。
僕がずっと、自分が死ねばいいと、思ってきたのはそういう理屈なのだ。
誰かのために、自分がゆずれば、間接的に誰かは、生きるだろう。当たり前のことだと思う。
「そうしてまで生きていたいのかお前は?」
ずっと自分に問いかけてきたし、それは自分にとって、普通のことだと思ってる。
 
でも僕は、生きてきた。それが全てだ。何を言い訳しようとそれで全部チャラだ。
死にたくないのだ。
そして自分にとって、生きるということは、心臓が動き、
呼吸ができ、自分で自分の体が動かせるというだけでは、
だめなのだ。
 
これが僕の欲望だ。人間の欲望だ。贅沢だ。
 
それは食肉として生まれ、虐待を受けて平然と殺される動物たちからすれば、
ふざけんな、なんて傲慢だ。なんてわがままだ。
 
 
わかってる、それでもぼくはやめないだろう。
おまえたちを虐げ続けることを、やめられないだろう。
ただ最低限、それを意識して、考え、それでも、生きていたいと言いつづけなければならない。
僕が生きることで 何かを、誰かを殺し、拷問しつづけているということを、
忘れてはならないと思うし、
それでも俺は生きる、わるいか、だって人間様だからな。って
言いつづけなければならない。
 
なあ、ちゃんと世界中のいきものたちを、おのれと「対等に」扱い、
考えられる「良心」が、もしもわれわれにあったならば、
とっくに皆、自殺していると思うよ。
 
地獄はあると思うかい、
 
僕はそれを信じたいと思う。
 
 
 
・・・

2013/01/06 チチハハ新居に来る
父と母を、まとめて チチハハ いうんが好きです。響きよし。
でも本人たちには言うてないのです。
まとめるとおこる。たぶん。
 
お父さんとお母さんが新居の様子見に来てくれました。
今年は新年、久しぶりに1日から3日まで帰省してたので、
久しぶりではない。
 
追加のお布団とか持ってきてもらったー!
これでお客さんが泊まれます、なんとか場所あければ。
おもてなし下手くそなんでわからんけど、お宿くらいにはできます。
かむ!客!!ギヴミー友だち!!2013!!
 
おとーさんは、ベランダに出て、
「神田川みたいでええなー!」を連発しました。
そうでした、父は南こうせつ(かぐや姫)が好きでした。
私はそれを知った中学校ぐらいに アルバム買って聴いてみて
神田川はええ曲やなあと思いました。あと 妹の嫁入りの歌。なんだっけか…
 
お母さんは山ほどの食材と、バリエーション豊かなお鍋のつゆ達を持ってきた。
どんだけ食わせる気やねん!
ちょっと絶対食べきれないと思われるものは返したけれど、
使いきれるか心配。さっそく鍋にしようー
 
鉄ちゃんが喜ぶ最寄り駅と、鉄ちゃんが喜ぶ部屋に住んでます。
カム!鉄ちゃん!!ギヴミーマニアック友だち!!2013