僕らにはなたばを

色とにおいのある夢を見た
家族と、フルーツと、朽ち果てた離れ部屋のある建物のゆめだけどそれは最後のほうで たいへん埃臭い離れ部屋でミノムシをつかんだ、
 
途中で友達のだれかと交わした衝撃的な会話はすこし覚えているけどあれは夢だったか現実だったかと思って覚めるにつれて夢だったと気づいてなんだかやり直し感だ、
 
徐々に段階的に夢から覚めて行くなか、
はっきりおもった  ことは、
 
バンドの魅力なんて自分たちで、チームで創り上げていくものだと
思うってこと
 
天気がたいへんによい
洗濯物をぱたぱた乾かし
家を出た

新人さまのこころえ

ライブをおえて・2

そういえば私には、二条nanoのもぐらさんが、なぜエンペラーめだかをあの日のあそこへ入れたのか、まあ実際のとこはわかんないんだけど、けっこう私なりには意図が見えてて、うれしかったんだ。
それが見えたのはリハんときだったなあ
やっぱりバンドを愛してるんだなあとおもった、そりゃあ好みとかはあるのやろうけど。

ありがとうございます。

まあそのうえで言うと僕らのやってることはというと、
お恥ずかしいばかりです。

が。まあお恥ずかしいことも含めて
自覚があって、乗り越えるのが
バンドやと思ってます。

正直、
チームとして、ダメなところも、いいところも、続けていって、共有できないなら、
それをなんとしても乗り越えるぐらい、この鳴らしてる音楽に、情熱と愛が持てなければ、
そんなやつは、バンドにはいらんのです、
そんなやつは、バンドはできないんです。
そう思ってます

パンパンの塔のうた、歌詞はっきり何度も歌ってたからライブでもきこえてたけど、聴きました?
 

お前が一歩踏み出せば
世界はこんなにのろまなんだ
お前が待ってるだけなら
なんにも触れられないぜボーイ

 
なんにも触れられないぜ、ボーイ、
甘やかされてる場合じゃないぞ、

ぼくは、、バンドがやりたい、、
まともにまっすぐバンドがやりたい、、
私のドラムがへただとか
曲のアレンジいろいろ試すとか
みんなでやってみようよとか
あーでもないこーでもないとやり直したり セッションしてみたり 相談してみたり
そういうことと戦うべきだし
もっと遠くへも行くべきだと思う。
ゆっくりでいいんだ、、前へ、いきたい、、
すっげー狭い
すっげーすっげー狭い、、

守ってる場合じゃねえぞ、みただろ、他のバンド、戦ってるでしょう、
負けとか勝ちとかじゃないけど
くやしく思うのって、そこじゃないのかなあ。
ぼくかて働きながらでバンドやってるぬるま湯の、周りから見たら「趣味でやってはるんすね」な人だけどそれでもぼくは、これが自分にはベストやと思ってやってるし、何より本気でやってるつもりなんだけどな、

私は、あの夜のタイムテーブル、出演者のめんつで、そういうことを感じた。
たとえ4人でも、そういうことを感じたと思うよ。

そらそだ

十三から帰宅。なんやかんや日付が変わって
 

お前が一歩踏み出せば
世界はこんなにのろまなんだ
お前が待ってるだけなら
なんにも触れられないぜボーイ

その手は大きくないから、
いつかは何か捨てなくちゃ、

 
そだね、

家へ帰ってから、生活を畳みながら
ピアノガールのCDを聴いた
新しいCDを新しいほうから2枚買ったうちの一つめから。順番は先か後かわすれた。まあどっちでもいいのだ。

パンパンの塔のCDとおなじく、やっぱり最初の数曲はふつうすぎて魅力的に思えなかった。
途中の曲で女の子の声?が入ったところから、強烈に鮮烈になった。それは一応シークレットトラックをのぞいて最後の曲だった。
ああ、必要なのはこれなんだな。
とおもった。
女の子の声が必要なエッセンスになることっていうのは、結構あると思う。

ピアノガールもライブのほうが強烈にいいなあ。
って書いて  むろんだ!とおもった
そらそだ。

二枚目のほうになって、すごく音源としてよくなった。
のでこっちが新しいことと思う。
ピアノガールらしさがでた。かんじ。や、わかんないけどそんな感じ。。
うれしくなった
このスピード感で音楽をやるのはやっぱり、あれぐらい日常を賭けなばならないのかな、なんておもったけど。
私にはそれはできないなあとも思うけど。

ベストスピードと距離というのは人によってちがうと思うているから私はこうしてここにいる。
まあそれは今はいい

今日買ってきた、BAZRAのギター柄のTシャツを、着れるかなーと思ってたけどキッズLでまさにぴったりで、うれしくなって、
なぜだかぼくあ女の子をやめたいなあとおもった。
もう「の子」でもないんすけどね、女性っていうにはあまりに成熟に欠けるのは存じてましてですね、
まあいいか。別になんでもいいのです、
レッテルや分類は誰かが勝手にやればいいのだ、あなたがあなたのお目々で見てくだされば結構だわ

Tシャツのまま、これまで聴いてなかったCDも混ぜて聴いてみながら、新しく買ったCDたちをひとつひとつ、ひらいて聴いてゆく。

よーし今年はこのTシャツで汗だくなってばちぼこドラムしばいてライブしたいなー!!
なー!!

なーんてな
前向きだろ

友たちよ、あなたがたが、
言葉にせず、生きろ と言うてくれてるから、
それをまだ信じようと思えるから、
僕は今年はもっとTシャツを着ようとか
着たいとか
生活を畳みながらも
そういうことを何とか考えれんかと、
いいことを いいって言ってやろうとできんかと、
しているんだ

パカパカ

どーにも何もやる気がでんってとき

改めて携帯をひらく(スマートフォンなので正確には「ひらく」行為は発生しないがなんかこう言ったほうがしっくりくる)と、
ライブを見てくれたともだちから、ドラムすきよーってきていた。メンバーがすきよーってきていた。
べつで、昨日飲み会いけんかった友達から、またさそうからー、ってきていた。
べつで、離れたところのともだちから、土曜日なにしてるー?ってきていた。

ぼくにはこんなに友達ができたんやなあ。

とても誇らしい
誇らしいと同時に
なさけない

こんなに優しく関わってもらってるのに
バンドのことだけで  それがうまくいかないことそれだけで
立ち直れない

なさけない

でも書いてて思ったけど、ま、まあそおか…
そーだよな

で力はいんなくて  ぬけてて
ぼーっと何もしてなくて

ピンポンってゆうて
なんやろって出たら、郵便がとどいて
注文してたCDきた。
わすれてた。

マヒトゥザピーポー
POPCOCOON

あなたが私を音楽へむかわせたように
あなたが私の何かを大きく変えたように
完全に身勝手な他力本願としかいいようないが
他力も自力のうちであることを私はもー知ってるでしょう。

願うよ、

音楽がいつもぼくを救い、
その音楽のなかにあるのは必ず
温度のある にんげんだっていうことを
 
 
201403211404_IMG_3479

およそ

力がはいらない
ねてもねても
ぼーっとする

やる気がないのはええよ
自由やし
勝手にしたらいい思います
ただやる気がないやつが
この世のほとんどを
占めているとおもうと
絶望しちゃうのか

絶望しちゃうのか?

他人 他人 他人のめ、

他人 他人 他人のかお、

うーん、
あなたが言いたいことは何なのか
それ、うまくやるために とりあえず 場をおさめるために 言ってる?
それ、うまくやるために とりあえず 目の前の目的を果たすために 言ってる?

じゃあ本当のことは私には言わないだね、

私は あなたの なんだろおか、
人間
それを信じろって いうのか、
ことが終わったあと、騙された、って思っても
目的が果たせりゃそれでええかい、

それだったら 誰がどうみても間違ってても、
心からの思った意見をぶつけてくれる人のほうが
ずっと真摯じゃないかい。

そうすれば喧嘩もできる
喧嘩すりゃいいとおもわないが
問題はみえる
そうすれば、解決もできる

信頼ってなんですか、
うまくいくって うまくいかせるって そういうことじゃないんじゃないのかな、
それは 誰かにとっては思いやりかもしれないけど
私にとっては思いやりでは
決してないです。

わかれ、とは思わないし
強制もできないのでいいです。
でも、私と話をするとき、
私を、無視せんとってほしいです。

ごーごーごっこっこ

ライブを終えて

一日放置してた仕事が詰まりすぎてて終わらないので友達の飲み会どころかよるぽじも不可能だったーくそー
まあ放置してなくても かもしれない が、まあ仕方ない。
ともかく何かは捨てなきゃ、何かはできない。そういうものだと思ってやってきて、選んできているし。

ただ。

私のドラムを男前だとキラキラしてたと言う人がいた、好きだと言うてくれた人がいた。

まあドラムは別に褒めてもらわなくていい。音楽をほめてもらえたらいい、
エンペラーの音楽がすきでエンペラーをよく知る人がエンペラーをいいと言ってくれた。
それでよかったし、出演した全バンドさいこーによかった。平日、スタート早いライブだったのにお客さんいっぱいですごかった。
昨日のnanoはとてもいい夜だった。

ただ、メンバーは、お疲れ、としかゆわなかった。
どうだったんかなあ?てきいても
どーだったんでしょうね、としか言わなかった。

そしてメールで、今回でメンバーが抜けるとだけ、連絡だけきた。
エンペラーから、きた。

へえ。そーなんだー、って思った

いいも悪いも共有したかった、
メンバーだから
なんだか、そんなこと思うこと自体が馬鹿みたいなのかなと思ったら
なんだか、やってきたこと全部が馬鹿みたいにも思えたけど
でもそれは一瞬のことで、

やっぱり私はねえステージ楽しかったんだよ。
ステージはステージだとおもう、
そんで、この夜はこの夜なんだとおもう、

お客さんの顔をもっとみろよ、

私は片足つっこんで文句いうてるだけやろおか。

バンドは人間やとおもいます。
音楽も、人間やとおもってます。

メンバーへ、話し合いできるように連絡した。

私なりにこのバンドへ時間をさいたし、
苦しいとか  悲しいとか 腹たつとか 阿呆らしいとか とも戦った、
まあ、つもりだけか、
つもりだけかな。

別に褒めてもらうためとか認められるためにやってたわけじゃない、
やりたくてやってるし、自己責任だと思ってるし、バンドやるためには当たり前と思ってやってきた。

ただ、今、なんでなんだろね、すごい浮かんでくるのねー
「何のために?」って、

何のために、

あんないい夜があって、
お客さんいっぱいで、わらってて、
そこで自分も演奏ができて、
そりゃあベストじゃなかったかもせえへんけど三人でやるライブは初めてで、練習もなんでか二回しか入れへんくて入ってへんくて、
その一回目のライブで、たった一回のライブで、

浅はかだ

私はライブがすきだ
音楽しらんけどそれでもここにいたい
褒められなくてもここにいたい
だから証明できることがある

くやしい
なぜだろう
バンドってなんなんだろう
チームじゃないんか、
やっぱり取り替えのきくただのパーツなんだろおか、

ライブをやって
お客さんもきてくれて
いい夜だったのに
出なきゃよかったって思ってしまうなんて、うそだ、
うそだのに、、
滑稽だ 罪だ 無意味だ 阿呆らしい
私が、馬鹿だ、

さんがつはつかねずみ

最近つくりかけの自分の歌  が、今日はあたまをこだまするようにずっと回転している。

二年ほど前から、そうね、京都から今の家に引っ越してから、
暮らしを畳むことを考えつづけてきました。
まあものは実際増えてるんだろうけど。
漫画も雑貨も買わなくなったけど
身につける衣類とかは買うし
人にもらったもの、もらった手紙、行ったライブのチケット、思い出の品、楽器。
そういうものは少しずつ部屋に増えているけれど。

身辺整理、とゆう言葉がしっくりくると思う。
身の回りを、片付けて畳んでいかなくてはと思っている。
例えば思いでの品にしろ、箱にまとめるなりして自分の中で、落とす。
使いかけの、でも使っていないもの等は、使うか、
その見込がなさそうであれば、捨てるという形で消化する。
残された人が困らないように
どうしてもみっともない、恥ずかしいようなものは
どうせ残ると思うけれど。

数日前の日記に
文句を言うのをやめたら言うことがなくなったと書いたけれど
同時に、一般的に「良い」とされることも特に書く気にならなくなったりもする。
いいことや幸せなことや誰かの目を喜ばせるフラットなものだけを、選んで書くのは、
やっぱり自分には、嘘くさいし不自然に思える。

喜びも悲しみも憎しみも怒りも
私にとってはベクトルのある、生きてる実感そのものであるので、
どれかを無理になかったことにするというのは、やっぱり、変ですね。

とはいえ私も、思ってることを全て出している人間かといったら全くもって違うし
嫌われるのいやだから言わないでいることも多いし
相手の様子うかがうというか 顔色見て態度も改めるようになったと思う。

大学卒業したあたりに、友達から、空気読めるようになったね、って言われたくらいにはまあ。

それまでは、空気読む、の意味がわかんなかったんですよね。
人間と人間のコミュニケーションにおいて、嫌だって思ったら、いえばいいじゃないすか。それができずに黙る、っていうのは、それもそいつが選んだ選択肢なんだから、自己責任でしょ。
そんな感じでねえ
ある種、何も怖くなく、強かったってことなんですが

自分が自分らしくあることをずっと探し続けてきた。自分というものがわからなかった。まずそこでした。
この性分なもので他人は理解できないものだし理解してくれないものだって思ってたし。今も思うけど。

でも今は、
私の人生のなかに、明らかに「他人」というものが入っているのを
ひしひしと感じている。
それは両親も含め、
人を愛するということ、それを変えずに続けるということ、
それが、とても、私にとっては、自他共に、不可能に近く困難に思えることを知った、しかもそれが自分を生かしており、自分に必要不可欠な要素であることを知ってしまった。というのもあります。

私は人間がわからない。
これは一貫してずっとそうなのですが、
でも人間を愛している、のも本当なんですよね。
不完全で、不衛生で、泥臭く、
嘘臭く、意地を張って、思ってもないことを言ったり、
見栄を張ったり、欲張って、他人をこけおとしたり、
平気で殺しあったり、利用したり、
どーしようもない。

それでも知っておいて頂きたいことは、
私が信じているのは、性善説なんです。

ね。
「話が逸れた」っていう発想自体が、資本主義、合理主義の産物だと、
私はね、思いますよ。

ライブ 二条nano

そう骨に歌を僕らの骨にはいつだって歌を、
そう骨に歌を僕らの骨に響く強い歌を。

昨日はやっぱり最高にいい夜だったと思うけど終わったあとのメンバーの空気感はよくわからなかったけど私には最高でした。だめだったのかな?楽しくなかったですか?

そりゃ他のどのバンドにも実力は負けてる気はしたけど、いっつも見に来てくれてるゆーかちゃんは、今日いちはエンペラーだったと言ってくれた、
見てくれた人は今夜をとても楽しんでくれたみたいで私も心から楽しんだ。
それが一番だとおもったし、最も誇らしいことだと思う。

ライブの途中、色んなものがみえたし感じた、たくさんnanoにいるお客さんの顔、すげー楽しそうなめだか君の顔、ちょっと暴れにいってる尾島くんのすがた、ひどく汗かいてる自分の感じとか。
全てテンションがあがったし
うかれた
うかれてうかれて、舞い上がった

そのなかで確かに、情熱をもったあつい冷静を。最大限の集中を、バンドとしていい音を鳴らせるようにと願う思考を、あがっていく感情とまじわらせて
脳みそと肉体をゆらす

毎回のライブでたしかに色んなものをつかんでると思った、
私はね。

お疲れ様、
あと、ありがとお。

くもり

私がどれだけあなたを好きだったかなんて
私のことをもしちゃんと見てくれてるときがあれば、それについてはわかるだろうし
私がどれだけあなたを好きだったかなんて
私が死んだらわかるものだろう。

灰色の曇り空みあげて
私はいっつも、みあげて、
そして今日は、
言いたいことがもうなくなってしまったなあ、って
思いました。

こんなに周りの誰かをうらやんだのは初めてだ。
こんなに自分以外の誰かのことで、悔しいと思ったのも。

誰にも認めてもらえなくても好きでやりたいって気持ちでやることだけをやりたいと、ずっと思ってやってきたけど、
誰かに認めてもらえなきゃ、なかなか、つづけらんないねえ。
今の私の世界には、もう、「他人」というものが確かに、いるのだ。

それは君がくれたものでもあり、
私に確かに関わってくれた人たち、一人一人の、すこしずつが影響してここまで染み付いたものだと思う。

そのうえで、
もう、言いたいことは、なくなってしまいました。

かいとうとこたえ

文句いうのやめたら言うことなくなったので残りのあんまし意味のないこと並べる

自然にからだがゆれて、自然に口がわらっとう、そんな瞬間だけ、誰にも認めてもらえんでも、おれは生きてる、って思えたよ。

何もかもくだらないわって思う
くだらないわって

なんや一日中、直らないねぐせとの戦いでした。
というか直らない何かとの戦いでした
すとんとゆかんすなあ、、

もうなんかすっげー疲れて泣きそうにもなったけど別にどうでもいいので泣かずにすみました

ところで、正しいことを正しいってゆってある程度適当に何でもできちゃう人に、
間違ったねたみ、そねみを何度も繰り返してうまくもゆかないような奴のことはわかんないでしょ。

それがあなただとは言ってないし
それが私だとは言ってなくて
たとえば、ね。

ねぎラーメン食べて帰る
今日の糧に感謝しま
すたんだーどをぶったぎる

右目が妙にわるい
いつもは左目がわるいのだけれど。

日付はかわるが今日のつづき。

誰かの暮らし、誰かの暮らし、誰かの暮らし。

とてもなつかしい

坂をのぼった。もう家はない。
暮らす人らの、からまった頭ん中。
君に出会ったよ。
うたをうたったよ。

結構やるだけのことはやったし、
いろんなことも体験できたし、
存在を、認めてくれる人もできた。
私はもう、おおむね満足だな。
なんしかこれまで不平…不公平だっておもうこと、不満…不満足なこと。もあったし
反骨で、自分のようなやつがいたっていいはずだっていう勝手な確信とその証明のために、死にそうながらもやってこれたっていうのはそういうところなんだろうと思う。
満足するほど生きてなかった、から
不平ももらしながら、生きるんだろうね

なんかすっきりしてるのだ、
こんなに、生きたと思えたのは
初めてだ。

生きた。

東大路通りを歩いて、かつての「いつもの」道を来て、七条通りへさしかかったとき、
確信した。

したいことがなくなってしまった。
やったし、叶ったのだ。
終わったのだ。
だから、ここ最近、何もいいと思えないのかなあって思った。
じゅうぶん、やり終えたのだ。

別に万人に理解されたいと思わない、のは結構みんなそうじゃないかなと思うんやけども、
私の場合は本当に、経験済みだからはっきりわかってるのは、理解者がたった一人いればいい。
それも案外みんなそーすかね。
だったらすこし、安心するかも。

まあ、いいや。

ともかく、まあ唯一反骨でなんとかやってたつなぎの糸が、まあ私の中では、報われたのだ。
それでいい。満足した。
私にしてはよくやった。
じゅうぶんやった。

そう思えたから、
欲しいものは、もう、ないのだ。