PSDSSS/PSDFLGS

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passed seasons,
passed feelings.
 
越えるも耐うるもカンカク次第。

2012年6月25日

きみと出会って、私の世界が変わった。
おおげさでも何でもなくて、本当に変わった。
私はとてもくだらない人間だから。
そんなことで簡単にぜんぶ新しくなってしまうぐらい、
何にもない人間だから。
 
これはひくつでも何でもなくて
暗いことでも何でもなくて
ただ、私のなかで、それだけのことなんだ。
 
それをわかってくれる人が 多分私には、いました。
 
でももういない。
 
それがね、だめなんだ。
どうにもならないんだ。
どうやって思おうとしても、
どうやって変わろうとしても、
 
だめなんだと思った。
 
 
 
きみと出会って、一日の長さが変わった。
もっともっとできる、もっと色んなことがやれるって思った。
そしてそれは現実になった。
 
毎日がとても前向きで、楽しくって、
なくしてた自分を ぜんぶぜんぶ取り戻すみたいな日々だった。
私にとっては、そうだった。
 
 
 
うたをうたい
みちをあるき
ひとのそばで
ひとをながめ
こえをきき
それにこたえ
うたをうたい。
 
 

2011年8月15日 「洒落神戸」
 
あの場所はいまもずっと、そこにある。
それでも、その場所をつくっていたのはやっぱり、
そこにいた、すべての「人」だったんだと思う。
だから、場所は関係ないでしょう。
今はもう、そこには無いんだよ。
 
どんなに離れても、会えるのなら、戻れ …
もどる んじゃないな。うーん、 出会え る? いられ る?
わからないけれど。
どんなに同じ場所にいたって、
どんなに近づいて触れてみたって、
すっごく遠くて かなわんこともある。
 
でも、逆もある。
 
ああ まばゆい。
夏の太陽みたい。
かがやく姿が、うらやましくて、うらやましくて、
もじもじしてたら、こっちを向いて優しくって、
私は せつない。
 
心臓がやぶれるような
どうしようもない、
この気持ちの正体は?

oial

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追い      在る。

2012年6月24日

チチハハ 2DAYS 二日目 したー!
 
昨日のことは昨日の日付へ。でも全然よまんくていい。
 
◆あらすじ◆
鴨川で、おのれの中の家族感覚とのブレイクスルーを果たしたっぽい私は
お決まりの 30分遅刻で
チェックアウトを済ませてスタバで暇をつぶすお父さんお母さんと合流したのだった。
 
 
ごめんなー、ゆるむねん。 ホラそこは家族だからさー
 
昨日、無理して色々いくこたあねえな、ゆっくり乗れる市バス一日乗車ツアーで景色ながめまわすんもいいな、とか考えていたのですが
 
スタバで合流したとたん チチハハは言うた。
「金閣寺にいこうってなったから!」
 
まーゆ! (マジ!?の意)
 
あのね、前に私が、「銀閣寺にはつい最近行って、どんなだったか忘れてたけどわかったわ、でも金閣寺も忘れたからどうせだったらそっちも行くべきかなぁ〜」 とか言っちゃってたのを 覚えててくれたようで。
 
それほど行く気もなかった金閣寺にいっちゃたね。
まあでもどこでもいいからね、行き先なんて!!
 
三人でバスにのーる。
お父さん外人さんとペラペラしゃべっていて疎外感。
はう…外大出身なのにしゃべれない娘のふがいなさやん。なに話してるのかはちょっとはわかる。
うーんお父さんはすごいなあ。
 
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なんとやる気のない金閣寺の写真か。
 
こんなだだっぴろい池の真ん中にキンピカだなんてー
うさんくさいぜー! こういうものだと思って見るとこういうものにしからならないしなあ。
でもパンクロックだなあとも思う。 成金パンクロッカーかなあ。ふむー!
 
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池のまわりのとある木のふしくれがすごかった。
なんて割りきった きれいさなんだ。
ぼくじゃあこうはいかない。
 
なんてな
 
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なめくじさんいはった。
 
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なんてPOPな石畳! さすが金閣寺、スタンダードはいかないのだな。
 
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STAnのやつか!
 
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この看板はさぞ心が純粋なかたが立てたのだろうかなあ。
と思うてしまう私の心がいがんでいるのやろうかなあ。
 
 
 
さて
「特筆すべきことなかったな!」って言いながら金閣寺をあとにする 観光ふむきな我々。
別に愚痴をいってるわけではないのですよ。
向いてないだけなのです
 
そっから移動してたらお母さんがバテたので(予想済み)、
お父さんと二人で 京都御苑をテクテクお散歩したー。
 
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だだっ広いなー
 
なんとこのだだっ広い土地&ハウスは、天皇さんの別荘らしいです。
まーゆ! (マジでか!?の意)
 
 
お陰で、皇居を囲っている塀のそばにちょっとでも寄ろうものなら ドデカイ警報が鳴りました。
こっわ
ちょっと引いた、こっわ。
 
 
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だだっ広い砂利ロードの、少し外れに、このように
チャリが走りやすいロード があるのですが
 
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みんなここを通って行くのでおもしろいす。
 
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おもしろいす。おもしろいす。
言いながら歩いていたら、後ろからチャリきて、すごく邪魔そうに、われわれを避けて走り去っていった。
あいやーごめなさい。
 
 
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ところで
 
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拡大してみると写ってるこの人、歩くとき両手一緒に前に出しちゃう人だーー!!!!
しかもこの人、チャリロードおもくそ踏んでってるーーー!!!!
わー!わー!
 
 
京都パンクスははんなりしてはるなあ!
 
 
チチハハの話どっかいった。
大体散歩して、てきとうにして、夕方ぐらいに二人は帰ったよ!
 
近鉄京都で見送るの なにか不思議な気持ちだったな。
次は帰るかんね。
 
 

2011年8月12日 「アタマなくしても」
 
いかんこのままではバカになる。
 
相手が 自分のどういうところに どのぐらい興味があるのか/ないのか、
そんなことは話していれば大抵わかるのです。
でもそんなことは大抵、その相手とは関係のないことなのです。
 
さて、そろそろ 実家に帰らせて
いただきます。
なんか最近、愛知とか三重あたりに縁があるっぽいので
そういう時期なんかなとか思ってみたりもする。
それとも世の中ぜんぶがそうなのか?
 
夏の
ミー エー
 
ウー ジー
ナー ラー
 
いかん、服が無い。洗濯さぼりすぎた。

つねび

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目をこらしたなら見えてくるはず
だれかの”日常”があなたのなかに。
 
つねびいた、弦

2012年6月23日

お父さんの誕生日。
 
お母さんとお父さんが京都にやってきて、一緒に遊んだ。
 
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川床というものに初めて行った。
自分が座ってる座敷の下を川がさらさら流れていて、屋根があって、日陰やし、
すごく涼しくて、むしろちょっと肌寒いくらいやった。
 
天気は晴れすぎず 崩れず とてもよい日。
ぜっこうのお散歩日和だったのだ。
お父さん誕生日おめでとうー。
 
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こんなやったー
 
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おとーさんとおかーさん。
にやにや
 
 
私の見た目はねエ、二人のあいのこです。
 
ところで私には純粋すぎるかわいい弟がいるんですが
彼のとてつもない純粋エピソードが最近うまれたのです。
それを聞いてもう大爆笑しました。
今度腹をわって 姉弟 はなさねばなりません。
うはは
 
 
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こんなもあったぞー!
 
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なんて人工的な空間なんだ。
でもそれをきれいだとおもう。
 
街のずらっと並んだネオンも パイプだらけの工場も。
 
 
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ありこんさん来たー
 
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なんと真赤なテーブルかあなたは。
 
 
 
晩御飯おわったあたりから、なんだか色々とうまく話せなくなっちゃって、
うまく 二人が楽しいようなこともできんくって、
あうあうあ ってなったんだー。
 
後から思えば三人とも疲れていただけなんだけど!私はものすごい睡眠不足だったし。
でもなんかそれも、噛み合わないかんじで、言葉少なくなってしまって
楽しくないのかなあ どうしよう あうあうあ   ってなった。
 
二人をホテルまで送っていって(なんか不思議な気分だ)、
お父さんはすぐ寝るーってかんじで部屋に入ってって、
お母さんが「危ないからー」って一階まで送りにきて(笑 いつまでたっても過保護だなあ)、
すぐ帰りなさいよ 帰ったら電話しなさいよ、って言われて。
 
でも私はなんか、そのままかえられへんかった。
 
なんでうまいことできないんだろう、他人の喜ぶことができんのやろう、って
それが家族ですらかみあわないのだから
あわないのだから
あうあうあ…
 
それがとても悲しくって
人ごみと目をあわせるのが怖くって
でも下むくのは嫌だから わざと空をにらみつけたりなんかして、
気づいたら鴨川までたどり着いてて、
 
そしたらね!
 
鴨川でほら貝ふいてる人がいたの!な!
 
そして、川辺にすわってたたずむ人、手をつないで歩くカップル。
 
そんで何より、水辺にうつる、オレンジのあかり。街のあかり。
それらがぜんぶ、とてもとても綺麗で、綺麗で、
私はあふれてしまって、 座って、 しばらく泣いた。
 
泣いたら、すっきりした。
 
すっきりしたら、お母さんとお父さんとこの景色が見れたらいいのに、と思った。
心から思った。
そうしたら、すごくシンプルなことがわかった。
 
私は、お父さんとお母さんと、一緒にいたいだけなのだ。
そしてそれを、お父さんとお母さんにもわかってもらいたいのだ。
おいしいご飯とか楽しい観光地とかそんなん、
あなたたちと過ごすにあたって別にどーだっていいのだ。
 
それより、あなたたちにこのほら貝の音をきいてもらいたいのだ。
ほらほら!
そして、どうでもいい返事を返してほしいのだ。
 
私はいつも考えすぎる。
でも考えすぎずにいることがとてもむずかしいから考えてしまうみたいね。
 
離れているから、なんかきっと、家族なのに気をつかいすぎてしまったのかなって。
 
でも家族なんだから、わがままちょっとぐらい、いいのだ。
 
ほんで開き直って お母さんに電話した。
お母さんは「あんた何してんの!はよ帰りなさいよ!休みやしな、都会は怖いおっさんにさらわれるで!」
って、いつものお決まりのせりふを言うた。
 
 
もうお父さん寝ちゃったらしく、その景色は見れなかったけれど、
歌いながら 笑いながら まっすぐ、帰った。
 
 
このひとたちの愛が、わたしを生かしている。
そんなせりふを心から言うようなまっすぐさが、私にもあるとは思っていない。
 
でもシンプルに、
すごくもめても、ムカついても、しんどくても、合うところなんて全然なくっても、話すことなくっても、
わたしは 一緒に いたい。
 
家族にかぎらず、私にとっての「好き」って、それだけのことだ。
 
 
 

2011年8月11日 「しあわせ」
 
かなしいことを かなしいと言えるしあわせ。
 
うれしい を 言わなくても伝わっているしあわせ。
 
新しいことが始まっている。
この長い時間の中で、私はきっと久しぶりにそれを感じている。

ついかんばんば

写真とか整理したので 過去の日記にちょっと追加しといた。
 
 
追加したやつ
2012年6月15日
2012年6月22日

2012年6月22日

最悪の夢見。おかげで体がこのとうりです。
ただでさえ寝てなーのに
 
おにぎり買うて、お金払ったのにおにぎりもらうの忘れて引き止められる。
ああ
それ「買う」といわない。
なんというの?
 
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そしていつもの大阪城公園。
お昼ご飯はたまごボーロとむしパン。
ああ夏だなあ。お腹はすいてるんやけど食欲ないだなんて、矛盾しているだろう。
 
誰のうたか?
 
うたに おぼれたら?
 
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なぜひらがなにしか ならんのか。なぜそれしか、ふさわしいと思えないのか。
判断をかためたくないのか?
あなたの手でもって、ゆわいたくないのか?
こんなガチガチな言葉に化けさせて仕立てあげるくせにか?
 
受け取るあなたに、何を期待しているのでしょう。
 
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2011年8月9日 「あ帰宅」
 
がっかりされるのは嫌だけど、がっかりされるのを怖がって見送るほど 私の好奇心と何らかの自己主張の力は 死んではいないのです。
たぶん。
 
でもがっかりされたら死にそうになるんだと思います。
そして、そんなことばかりのような気がします
 
リバース!
 
思ったより見てないし
思ったより見ているきがする。自分でも。
 
スーパーで酢の物買ってきて食べるけど
あんまり酢っぱくないような気がする。
毎日少しずつ飲んでいた、今日で消費期限が3日切れた牛乳を、さすがに捨てる。
あとちょっとだったんだけどなジャバー
 
夏。
 
どんなに構われてても何かが足りない気がして
「欲張りだよ」 って言われたときに ああそうか、私は、
ほかの何もいらないのかもしれないな、
欲しいものは、もうとっくに、これだけだったのかもしれないな。
って、
そう、
思いました。
 
死んでしまいたい理由が1つあったとして、
その絶望を何とかするために、
生きる理由を、100、見つけたとしましょう。
それでも、やっぱり、その「1」を、ぬぐいきれない以上、
足りるとか、足りないとかじゃないと思う。
それは、違うんだと思う。
 
でも、その100が欲しくて生きてる人もいるんだから、
欲張りだっていうのは本当で、
ないものねだりなだけなんだろうな。
私は、十分、幸せなんだろうな。
 
だから、「ありがとう」っていうのは、
心から思っている言葉なのに、
最高の裏切りであり、最大限の侮辱であり、
最大級の無関心の証明と、最上級の終止符として、
相手の目の前につきつけられるんだ。
 
私だけじゃない。

2012年6月21日

どんな他人の ねたみも愚痴も、
あなたの幸せのまえには無意味でしょう。
そのために生きているのだから。
 
なんて不器用なんだわたしたちは。
なにを言っているんだ。
 
一人がこわくて、二人がうれしくて、
三人四人がたのしくて、
五人六人からさみしくなる。
 
 
雨にうたれて
息をあらげて
足がこれ以上前に出ない
自分を恥じた
 
 
フラッシュバックすすむ。
大丈夫、ちょっと調子が悪いだけじゃないか。
 
やりすごせたらいい。
この時間を、この動悸を、
なんとかやりすごすんだ。
 
 
 

2011年8月 9日 「めがたい」
 
絶望してしまうことがあります。
この世界に対して。
がっかりした諦めとか、そういうのじゃないんです。
私は生きてゆかれない気がすることが、よく、あります。
私は「違う」んです。
「違う」んです。
 
昨日は帰り道にバスを待ってようがバスに乗ってようがバスを降りようが家に帰って横になろうが両親にメールをしようが
涙が、止まりませんでした。
 
しゃくりあげるような、激しい涙じゃないんです。
ずるずる、拭いても拭いても流れ落ちるように少しずつ、ずるずる溢れるんです。
悲しいのか? と言われると、特に何が悲しいと考えて流している涙じゃあないのです。
何も考えていないわけじゃないと思います。
誰もかれもが、私は、幸せ者だと言うでしょう。
私も、自分が不幸だなんて思ったことないぐらい、
自分は強運の持ち主で、周りの人たちに愛されていて、
幸せ者だと思っています。
 
でも、フとした瞬間に、いつも見ないでいることが、見えてしまうことがあります。
それがあまりにも、深い溝で、
私は、永遠にその狭間を落ちていくような心地がするんです。
でも、それが悲しいとか、それをどうにかしたい、とかではないんです。
「違う」んです。

2012年6月20日

ご飯を食べる前に手と手を合わせてお祈りします。
まあ忘れることのが多いくらいですが、ささやかな私の宗教。
 
家に入ると靴をぬぐ。
好きな人と手をつなぐ。
 
そこかしこに、ささやかなあなたの宗教、
あなたがたの宗教、わたしたちの宗教。
 
思い込みだけで世界はかわる
 
少しの目の位置でなんにでもみえるっていうことを
 
 

2011年8月8日 「こえ」
 
今日のことをまた思い出すのかなあ
もうない ものなら なくなったほうが いいのになあ
そやって、ふわりと、君の、こえ