あなあく胃

直近で、大切だと思ってた人から投げられた、いわれのない悪意のある言葉が、
やっぱりわかってたけど、刺さっとって、
ふるい傷もまた 確かに残っとって、
 
でも消えればいいんは私のほうだから
みんな何も言わんのかなあ、とか
私がそんな悪いことしたっけかなあ、とか
 
いい悪いとかじゃないのかなあ、であれば必要かどうかなのかなあ、
じゃあまあ仕方ないけど必要じゃないってことで、
じゃあまあ残念だけど生きられないってことなのかなあ、
とか、
 
そんなことばっかり
考えてたよ。
 
もう私は他人がいなければ生きられないってことは
わかってしまっているから、
たとい自分が正しくとも
他人がちがうと言うなら 大事なところを折らなければならないだろうか。
 
でもね、そうしてまで、生きていたくないんです。
 

なぜ生きるか、なぜ必要とされるのか
生き方の美しさを他人がきめるのか?
その必要があるか?
 
わらける
 
やるならやれ、遠くでつるんでネチネチしか攻撃できない奴なんかに
私は負けない
 
こわすってことは、自分も、痛い思いをしているはずなんです。
それでも、止められないんです。止めてまで、生きていたくないんです。

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