2012年8月15日

なんだかうまくいかなくなった。
もう怖くて怖くてしかたないのだな、と思った。
それもまたしかたのないことだな、と思った。
 
心なんか開かなかったら楽なんだな。
信じることなんかしなかったら傷つくことも誰にも触れられることもないわな。
 
 
ちがう。
ちがうちがう。
か。
 
気づいたことがある。
 
私は、変わらないものを探している。
永遠のいっしゅんだけを切り取って、そこにとどまる。
過去ひきずってんじゃない、過去を大事にして生きてんだ。
そんなふうに言った人がいたけれど私の場合は別にどちらの言葉でもかまわない。
 
だから私は写真が好きなのだし、保存された言葉や、思い出や、
保存されたストーリー、そう動画とか「作品」として残っているものたち、が好きなのだな。
音楽だってそうだ。私がどうして音源をすごく欲しがるかっていったら、
音源は、変わらないでそこにいてくれるからだ。
好きな音源は、好きな音源である以上、何度でもそこで再生できるものだからだ。
 
ただ音楽の場合は… 時間の芸術だ。
言い出したら写真だって時間の芸術なのだけれど、
作品そのものがすでに時間、というのは面白いなと思う。
そして視覚をうばわない分にはそれはだいぶ
 
 
何を説明しているのか。
 
っていうのも、私は、説明したいわけじゃない はずなんだよな。
 
でもなんかもうそれを話すのもいちいち つかれた
 
 

2011年10月29日 「去らない日々」
 
起きたのは朝9時。書留郵便を受け取った。
洗濯機を三回ぐらい回した。気がする。
色々と服を着てみる。
わからなくなった。
欲しいものなんてもう無いのかもしれない。
 
お昼過ぎまでそうやって家のことを片付けたり、呆けたりして過ごしてから、
初めて聴く音楽を聴いてみた。
ら、思いのほか よいのに出会えて、嬉しかった。
とても悲しくて、綺麗な曲。
 
それを持って出かける。
 
そんなかすれきった、自分ではない何かを、
少しでも何かを、残したくて、残したくて、
人は生きちゃう のではないのでしょうか。
種なしぶどうの生まれてきた意味。
人間に騙されて 実をつける。
そのようなものではないのかなって。
 
神様の人生ゲームなんだもの。
ねえ、見ていますか?
わたし、あなたからいろいろなものを教わったわ。
わたし、鳥かごのなかから、放たれたわ。
でも自由になんてなりたくなかった。
 
 
色々なものから手を離したつもりになったら
やっぱりふわっと体が軽くなる。
必要な重さがなくなって、リアルな肉体がそこから離れて、
執着もない。愛憎もない。
くらげのように波間にただよう ただの価値のない、
つまり理由なんてない、しかし唯一のかけがえのない、
いのち一つになるんだわ。
 
 
愛したことが、
憎んだことが、
触れたことが、
関わったすべてが、
すれ違った事実が、
誰かの心のなかに残るならば 本望だと思ったから、
ここにあなた方への手紙をしたためてゆこうと、思ったのです。
 
去らない日々を片付けはじめる。
少しずつ風呂敷をたたんでゆくように。
 
月に一度か二度、わたしは、在りもしない何かがとても恐ろしくなって、ただ恐ろしくなって、
こういうふうにただ、息をするように、泣いてしまいます。
それを抱きしめてくれていた人は、もういません。
だからこんな私のことは、誰も知らないことになるでしょう。
そして何の記録にも残らない、誰の心の栄養にもならないたましいは、
道路に投げ捨てられた薄い紙くずが、雨にとけてどろどろになって流れていくように、
所在なく、理由も目的もなく、ただ「なる」ほうへ、渦を巻いて、ゆっくりと吸い込まれてゆく。