氏ごと そう人生のやくわり

2014年著文
 
僕は仕事というものが無ければいいのにと思ったことは(過去をさかのぼって一度もとはいわないが)なく、
バレンタインデーやクリスマスなどのイベントの日に予定が入っていなかったり仲間や恋人がいなかったことで焦るような気持ちには表面的にはなったことがなく、
生きることや日常や平日休日祝日、問わず、人生を退屈だと思ったことはないのだった。
 
なぜかというと僕は仕事がほしくても雇ってもらえなかった頃があり(アルバイト・契約社員・派遣社員などあらゆる形態において僕の社会的能力値、有用性はけっこう低かったと思う)、
イベントの日に限らず仲間がいない、本当の理解者がいない、と思う気持ちがずっとあって生きてきたものなので、別にイベントごとの時に限って仲間がいてくれなくても、普段いてくれるのがうれしいと思っているのであり、
(日常的に恋人がいなくてあせるという気持ちはもとよりないのでよくわからない、好きな人がいれば焦ってもよいだろーかと思う、でも焦らないほうがいいとも思う)
また人生を退屈、無意味、そのように考えるのであれば、僕のいるような社会のなかで莫大なエネルギーと資源を一人一人浪費しながら、人間様として君臨して生きる価値は自分にはないので、もはや一刻も早く死ぬ「べき」と思うのである。
 
まっとうな良識と、これら人間一人の生きるにあたって及ぼす破壊的な側面についてすこしでも知識がある人間であれば、とうてい「退屈だ」などといって、この世界(社会)には生きてなどいられないとぼくは思うのである。
およそ感情的には実際そうではないのだろうけれど、自分なりのふつうに、そう思っている。
 
だから、善悪でものごとを考えるのであれば、ぼくは死にたいっていう気持ちは、むしろふつうだと思っている。
そしてこの善悪という価値観は、およそ世界、世間というものがノーマルに環境、食糧事情などをとらえたときにむしろ推奨されている価値観をもとにするとそうなる、であるがために
みんな、よくぞそんなに矛盾して、しかし己の生活を肯定し、問題から目をそらして生きていけるものだ、と思う。
 
この観点から僕は本当に小説「人間失格」のある一節のごとく、
人間の悩みの重さというものがわからない のだった。
あまりにきみたちは、強いよ。
そのくせ、本気で悩んでいるとおっしゃるし、そのくせ、すぐにけろっと復活しているように思う。
あまりに矛盾しているのだった。
 
つまり、世間一般に多数いるらしい およそざっくり ふつう という(らしい、これは私の価値観から比較して経験してきた多数イメージなので違っていたらごめんね)価値観のなかにいる人びとというのは、
「足りている」ことを既に基本、基礎、ファウンデーションとして成立しているうえで、刺激が足りないのでもんくをたれていたりする。
これは批判ではないくって、
それは、むちゃくちゃ平和で、むちゃくちゃ幸せだなーと思う。
おそらく足りないのは、「足りてない側の人間 のことについて本気で親身になって考えられる程度の想像力」、
「おのれが 足りている側の人間 であるということについての自覚力」
なのだろう、か。
 
想像力、
そして、孤独力、つまりはひとりでものをじっくり考えるちから、ひとりでものをじっくり成し遂げるちから、
あと、「面倒くさい」という感情。
これらが最近の思考のなかで、もはや現代日本人類のかかえる色々なものごとの根源であり全ての根城であるのではなかろおかと僕は半ば確信的に想像している。
 
のが
 
まあ最近の
趣味です。
 
まあ、現代日本人類には僕は含まれますでしょう。
わかっています。僕の文句はいつだって、自分も含んだ「他者」への文句です。
己はある種の「他者」でもあるでしょう。
その認識はなかなかできません、自分は自分だからです。
でも自分は自分でしかない、という認識も、なかなか完全には、できますまい。
およそこの社会に生きるノーマルな人間ほとんどは、
自分の道の選択・決定において、他者の意見を求めたり その目を考慮に入れるものである。
僕はそれを知っています。
 
ところでテレビ番組とゆうものは、垂れ流すだけですと、想像力を著しく奪う側面があるなあと僕は思っています。
それの普及がどういうことか、と僕は思っています。
「一般化」
ぼくは自分自身に対して全くそれを望んでいません。
ぼくは歯車なりに、脇役なりに、
自分の生きる場所を自分で選びつづけたいというわがままを通すのが 何よりも楽しいのです。
ゆくべきみちを自分で見つけ、自分の過ちを自分で自覚し、自分でそれを反省し、
自分の心で一つ一つ人生の真理を悟っていく以上の快感がこの世にありましょうか。
 
ぼくは9歳ぐらいのころ、
「ものごとがどうできているか、にんげんがどうできているか。
 真理をひとつひとつ見つけて悟っていくことが、人生なのだろう」
そうおもったのを今でも覚えてます、
 
ぼくは、ゆくべき道を提示されてもうれしくないんです、
押し付けの幸福なんて、いらないんです。
自分のあしであるきたいんです、
自分だけのみちをゆきたいんです、

TASHI

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