(ex: 2011/02/21 「de fault」)
ハッカのキャンディーを食べきろうとしている。
いちご味チェルシーとか、トロリとした液体が中に入っているフルーツなキャンディとか、
色々なアメちゃんを、いつも手元にしのばせています。
はらへれひれはれー
しろうとしこうと
私は、何でも影響をうけやすい。
他人が簡単に自分のコア部分に侵略してくる。私はそれを大概楽しんでいたりする。
ただし、コアの大部分を他人任せにしているため、肝心の私の中身はスッカラカンで、安定しない。
潜在意識にひそむ既存物を、私が私の中に私の一部として取り込んだあと、私は、アウトプットをする。
よーするに一種のパクリで生きています。
パクリというと
商業のパクリはそりゃマズイと思うけど、思想としてのパクリをいけないとは全く思わないため、
そして可能なら商業のしがらみからできるだけ離れたいと思っているため、
パクリは本来、あたりまえで、普通で、たのしいものやと思っている。
でも、せっかくオリジナルを作ってくれた 人が、傷つくのなら、しちゃいけないと思う。
うわさ話も、隠しごとも、誘ったり誘わなかったりする人間関係の色々、「空気読む」ってやつも、
ようするに、一人一人されてヤなことの度合いも種類も違うから、全体のルールよりも、
その人が嫌ならしないであげるべき、っていうほら あの あれ です… えっと、うん。
思いやり? …私にとって心底、難しい、けど。
日本人の文化は、素晴らしいイイトコパクリの文化じゃないのかなって
まるまるコピーしがちなどっかの文化とはまた違う、外のものから、新しいものを、適切にリクリエーションする。
私はじつに日本人で、この国のそういう所が大好きだししっくりくる。
ただし私自信は想像力とアレンジ力があまりにも無いため、パクって何か作っても原作以下の個人趣味に落ち着いてしまうんですが…
バンドにしろ同人誌にしろ、版権か版権でないか、なんて、そもそもそんなに重要じゃないんじゃないか、と私は思うことがある。
本気か本気じゃないか、とか、受け手である客にとって素晴らしいかどうか、には直接関与するフラグではない気がする。
オリジナル曲をバンバンやってるバンドでも、見てて全然お金払う気にならないやつなんてごまんといるし、
コピーバンドしかやってない大学サークルの演奏で、うわコレ金払ってでももっと見たい!っていうレベルのやつもいるし。
だから、素晴らしいものをただ見たい!感じたい!と考えている私にとって、
いわゆる商業、マーケット、資本主義、的な概念が、けっこう邪魔だったりする。
いや、けっこう極論なのはわかっているんだけど…
コピーは最終的にもコピーやろうし。う”へ。
オリジナルやって盛り上がりにくいより、コピーやって盛り上がるほうがいい場合もあんじゃん!!
そのへんはあれだ、音楽のT・P・Oってやつっ!わかんないけど!
同人誌がどっかいった
マツオこーぷ
プレステ
へりりぼん ヌ
あ、そっか。
人と比べても意味はないけど、
あいた時間ぼーっとしてた人と、あいた時間で動いてた人に差がでなきゃ おかしいもんな。
ふーーーヌ
21時くらい。煮物を作った。
人生におけるあらかた全てのスピード勝負においてほぼ全面敗北の記録を持つ私なので、
得意料理は カレーなど、ゆっくりやっても失敗しにくい 煮込み系。(人はそれを得意料理とは言わない)
でも料理は好き!何度か書いた気もするけど、私にとって料理は趣味。楽しむもの。
料理が趣味 と言うといかにも料理が得意そうなイメージになってしまいますが、
むしろ、料理が生活の一部 節約の手段 と言ってる人のほうが、毎日ちゃんと料理して、効率とか色々考えているし、めちゃ上手いのですよ。
料理をふるまうのが好きな友達が言っていたけど、
「やっぱ料理って、時間めっちゃかけて作る気取ったやつもたまにはいいけどさ、おいしいけどさ、お腹すかせてる人に、チャチャッと作ってあげれて、それでおいしい!っていう、家庭料理だと思うんだよねー」
だっけ。私にはこんな雰囲気に 伝わりました。ましんた。すごい素敵!
私はもっとあくまで趣味やから、気が向いたときに、時間かけてウフフーってやるのが料理なんだよなー
だから手際が悪く、へたをする。
飲食店でバイトしてたときも、包丁借りてちょっと何か切ったりするとき、
「ちょ…何その持ち方!?こわい!やめて!」って言われたこと多々。
そんなにか。
さて、引っ越して二ヶ月、早くも死の海と化していたシンクを、やっと片付けた。
はぁはぁ
あと、生ゴミ放置してたら どこからともなくチンジャオロースーの匂いがただよっていた玄関も、なんとかキレイにした。
はぁはぁ
くたばれ!春の虫ども
春呼び 春帯び
風が私を通りすぎるとき、私が風を切って走りぬけるとき、
すれ違う風のなかから、実は色々なものを受けとっていることを知る。
明らかに今までと違うにおいと温度、湿り気を含んで、かれは私に、すれ違いざまに囁く。
「くるよ。
春が、くるよ。」
りんきん
堀川五条。
堀川通りは繋がっていると思ったらふしぎ。
歩くと色んなことがわかる。色んなことをわかるための時間が、持てる。
むっちゃ上手にスーパーの袋に買ったもの詰めてるおにーさん発見。ベテランということは何であっても素晴らしい。
五条通りをひたすら東へいって、帰る。
地下鉄の五条は、京阪 清水五条駅よりなかなか便利そう。
そういえば、京阪の五条 の駅名が、「清水五条」に変わったことを知らない人は意外と多い。これが阪急沿線パワーというやつだろうか。
京阪の四条は、「祇園四条」になっているよ。
てくてく歩いて、家から一番近いであろうツタヤを発見。引っ越してからまだ一度も来たことがない。
駅前によくある、撤去自転車の移送保管先の看板を見たところ、伏見あたりまでトバされる(京阪でいうと丹波橋あたり)ことがわかり、私は恐れおののいた。
いつも行くスーパー・フレスコ五条店と、マイナーそうな名前の薬局が並ぶ様子を、歩きながら、向かい側の歩道から眺めて、思い出した。
さっき堀川五条でも思ったことだけど、
私はむかし、ここに来たことがある。
ただ知らない土地として眺めていた風景と、いま、生活範囲としてよく見る風景が同じ場所であるというのは、かなりの違和感。
考えてみれば、そうか、清水五条 自体、清水寺を観光に来たことがあるんだから、そうだけど、
あの時とだいぶ、駅の様子は変わっていないのに、自分の中での駅の印象が がらりと変わっていて不思議。
もっと遡れば、京都駅なんて、大学受験しに来たときのこと、すごい覚えているなー。
それにしても鴨川はきれーなー!
…だめ。おセンチ。
な!!
今日は、ウッカリ、電車乗る方向を間違えたため(なかなかやらないよね?大阪方面と京都方面を間違えて乗るって、なかなかね?)、またも、全力疾走するはめになりました。
汗やっべえ
最近全力疾走しすぎや。小走りやない。全力のほうや。
でもすごい楽しかったです。全部が。
最後おセンチにはなっちゃったけど。
走ってる間が人間で、咲いている間が花なのかな。 って、帰り道に、思いかえした。
えへへ
人に言われて気づいたけど、完全に、バスで行けばよかった場所でした。
もうちょい慣れたい、京都。
でもなー、バス、普通に遅れたりするからなー こわいよー。 あたし電車がすき。
汗かいて生きる
まっくらなみちを走る、
胸を高ぶらせ走る。
私のために走ってくれる人はいないけれど、
誰かのために、私は、走る。
私が求めるから。シンプルにそれだけ。
私は、私が愛する何かのために、格好悪くても、しんどくても、走れる人でありたい。
誰かの「ために」とは言うが、
私が勝手に求めるという場合も含めて、ね。
求められたくないって思ってる人にぶつかっていくのは、誰かのために、と言っていいのか甚だ疑問ではあるけど、それもここで含めてみる。
結局は無駄になっても、自分のキャパオーバーでも、それでも走れる人でありたい。
泣いてもいいから、話してほしいよ。
誰もが、余分な体力、抱えきれないキャパシティのために、とじてしまっているなら、
なぜ人は生きる?
なぜ私は存在する?
困った。ひじょーに、困った。
必要最低限の関係なんて、嫌だ。私は、嫌だ。
今は誰も、私を求めて走ったりしない。私は追うばかり。
それでもいつか、互いに全力でぶつかりあえるくらいの誰かに、また出会えるし、またそういう関係を築いていけると思っている。今は。
追う・追われるの関係??
私が求めるのはそんなものじゃない。
追えば逃げる?逃げたら諦める?嫌われたらしょうがないもんね?
それでも求める心は止まらないよ、きっと。
違いと、間違いに、何回も絶望するけど。
私には今のところ、やめることができない。
人間は、面白い。 好きです。
とじた殻の世界を開かせるような、信じられないようなすごい力が、人間のおなかの底には宿っているはずだから。
人間の生命力は、願う力、だ。
諦めたところでまたいつか、ぶりかえしてくる、静かから生まれる、情熱の炎だろ。
叶うから、願うんじゃない。叶わないから、願っても仕方ないんじゃない。
あんた、死にたいんじゃないんだろう?
叶うかもしれないって、願いながら、生きていたいんだろう?
願うから、叶うことを望むんだ。願うから、生きられるんだ。
出会いの春
今日出会った好きな曲、
ファンキーガール/黒猫チェルシー
ベースラインが好き。
黒猫チェルシーの、6曲だけ持ってる音源を全部通しで聴いてみた。
今のところ6曲のなかではこれが一番で唯一かな。
音楽のてぃーぴーおー
そふ体(てい)
なんかいつまでたっても危機感が沸かなくて困っています。
で直前になると「やっべ!やっべ!」ってハンパなく焦ってます。
さて。こないだ(4/1)、ライブ会場にてCDをげっとした、
豊川座敷の猫敷「下から見た上」(曲) が頭のなかを爆音リピートしながら の 面接。
ヤッベ。
脳内リズムで体がカクる
肝っ玉小さいわりに余計なことに脳みそ使っとる我が身がにくい。
な!
しかし久しぶりになんか素敵!って思える会社だった。
私の面接はほんと、合う・合わないがはっきりわかってこわい。
そんなん関係なく、どんな状況でも言いたいことをアピールできるべきなんやろうなあーとは思う。
フラワーカンパニーズ「東京タワー」を聴きながら、懐かしい、御堂筋を歩いた。
今日はすごく晴れている。お花見日和で、かつイヤホン音楽日和だ。と思う
イヤホン音楽というのは、聴き手演り手のT・P・O※↓にたいへん全てを左右される時間の芸術・音楽 にふれる やりかたのうちでも最も現代人に多くなりがちな 音源をポータブルプレイヤーにて、たいてい外出先にて個人のイヤホンから聴く、という音楽との触れ合い方を定義する自分がわかりやすいために今 書いてみた言葉です。
イヤホン音楽に向かないと思われるジャンル…パンクロック…(超個人的意見)
イヤホン音楽は、その曲が流れるタイミングに、聴き手が「聴く」以外の行為として いったい何をしているか(何もしていないか)、どこにいるか その場所の状況 ということがたいへんその曲の印象に関わってくると思われます。
言ってしまえばライブハウスで聴く曲もそりゃあそうなんだけど
ライブハウスは もう聴く姿勢マンタンで行っているし目の前の視覚の関わり方、空間力、演り手側のオーラが全然違うので全然ちがーう!
例えばこんな日は 河原をチャリでキコキコやりながらイヤホン音楽するだけで、明るいポップな曲とかテンションあがる曲が心にいっぱい入ってきやすくなる気がするー。
こないだ日記に何となしに言葉の響きだけで ルック アライブ と書いたけれど、
今日、テンションあがってテンションあがる曲たちをシャッフルしていたら、
Incubus「ルック アライヴ」が流れて、
ああこれだったのか、と思った。
私はあまり記憶力が良くないため曲の名前が1、2回聴いたくらいでは覚えられない、から、曲名だったのかーってなった。
この曲はいいなあ テンションあがるー
私は影響を受けやすいので
ふと思いついたオリジナル造語っぽい単語とかも、組み合わせも、自分では全く覚えてなくっても、どこかで聴いた単語のパクリだったりすることがよーく よーくある
言葉にかぎらず、絵とか ぜんぶとか。
でもみんなけっこうそうよね、「あれこの言葉、どこで聞いたんだっけ!?」っていうあれ!
※T・P・O :てぃーぴーおー。
> Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)(注:Opportunityと使われることもある)の頭文字をとって、「時と場所、場合にあった方法(服装等も入る)」を意味する和製英語
(TPO – wikipedia より)
さて、今日登場したソングスの動画を以下につらつら。興味あったら、あれだよ。色々するんだよ。色々。
全部おすすめラーイ!(かけごえ)
豊川座敷の猫敷 「下から見た上」 H21.6.15 難波ベアーズ
http://www.youtube.com/embed/HbpxRfqmyZY
フラワーカンパニーズ 東京タワー
http://www.youtube.com/embed/EzQqO0yh2YU
Incubus. Look Alive (Look Alive DVD)
http://www.youtube.com/embed/TKJ0YrGhSaY
ところで初めてインキュバスのホームページとか見たけどすごいな。大物すごいな。わーいわーい