謎かけと種あかしを繰り返して、私たちはお互いをたくさん知る。
新しいことは過去になり、ふるい二人が思い出を重ねて繋がりになる。
世界は広くて、つぎの誰かを知れば、二人の声は遠ざかる。
でもね、すれ違う日々、君がいつも置いてくれていた小さな手紙。
あれを始まりにしたいんだ。
あれを、私が帰る場所にしたいんだ。
なんかうまく言えないんだけど、
つまりは単純に、私、きみのこと好きだったんだね。
ただ同じ時を生きている、今のきみ、過去のきみ、未来のきみを、ただ純粋に愛するために、
さようなら
妄想いんたねっと
インターネット開通!やった。便利。
普通にルータとか設定できた自分が嬉しい というかもっと何かごちゃごちゃ設定いらなかったっけ?まあいいや
晴れ。ぽかぽかぬくたーい。ねむたーい
太陽が明るいと私の気分も無条件で明るくなるからすごい。
これがきっと 神様 ってたぐいのやつなんだろうなと思う。だって無条件だぜ、無条件
人もおなじ気がするかな かなかな
そう考えると宗教って実はすごく直感的で本能的なんじゃないかとか とかとか
朝が来なかった日は今のところない。
私のなまえは 明日美。
あした、今日よりうつくしくなれますように。
と、両親がつけてくれた名前。 わたしも強くそう願う。
うまれる前は男の子だと思われていて、もしも男の子だったら 「健太郎」でした。けんたろー。
で、女の子ってわかってから 一回つけようと候補にあがってた名前は「レイ」(漢字は不明)だったそうですが、モリモト レイ って、学校でいじめられそうだからやめたそうです(たしか)。
<ヒント:レオ>
そんな話はどうでもいい!!!!
朝を待ってるんだ、いつもいつも、朝を待ってる。
朝が来ると、始まる気がする。それだけで救われる気がする。
朝はそんな他力本願な私を、かつて一度も裏切ったことがない。
そんな私は、朝を愛しているといえるだろうか?
ただ差し伸べられる救いにあまんじているだけではないのだろうか?
もしも朝がやってこなかったときが一度でもあっても、私は朝を今までと同じように信じることができるだろうか?
そして信じることができないのなら、それは、私が、無償の愛を、吸い取っていただけだっていう証明にほかならないのではないだろうか?
とかなんとか、いわゆるたとえ話。変に考えすぎるのはよくないくせだけど。
うーん いつもここに来てくれて、ありがとー
げんきなの?
きみはそれでいいの?むりしてない?
たまにはワガママいってさ、振り回してちょうだいよ。
それでもきみを、好きでいられたらいいなあ
(BGM: サイケな恋人/モーモールルギャバン)
一回くらいケーキにしょう油かけて食べたらいいかどうかについて
つまりね、
ケーキも、しょう油も、それぞれどっちもめたんこに好きやったら、
後先どうなるかなんて想像すりゃわかるのにもかかわらず、思わず、
一回はヤッちゃうよね。
ってことやわ!!!!
なので、いいかどうか?と聞かれると、
まあ当然やっちゃっても仕方ない勢いは既にあるんやけど、
よくよく冷静に考えたら、どうなるかは想像はついてたはずだよね
ってことやわ!!!!
結論
1回はかける
意外と乙女
思うのは自由、でも言うのはちがうんだなーって このごろ 感じます。
遅い?
お父さんとお母さんが新居まで来て、色々手伝ってくれましたーっ
やたっ、これでベランダで服が干せるーっ(だめハウス)
二人と話したあとは、いつも一人で少しだけ、泣いてしまいます、
理由は自分でもあんまりわからないけど、気持ちがあふれて、ぶわってなる。
血の繋がらない誰かにも、そんな気持ちになってみたい。
重い?
昨日のライブの後から、音楽を自主的には聴いてないです。
街のざわめき、隣にすわる他人の息づかいに耳をすませながら、私は考える。
好き ってまだよくわからないなと思う。
だって、君が他の娘と居るって考えたら、それだけで胸が くるしいです。
暗い?
NAGAI
忙しいとき、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、その前にそれを片付けて…
って思考をいっぱいいっぱい使って、ふう、って疲れたあと、
ふと電車の移動時に車窓から外を眺めると、見えるものがいつもより多くて、しかもたいへん興味ぶかく見えた。
でも忙しいので、思い立って近くの駅で降りてそこへ行って間近に眺める、ということができない。
しかし暇ができたらわざわざ行く気になるかといったら、行かないよねー
手が届かないから欲しくなる、人のものだから羨ましくなる。
自分にないものは輝いて見える。
大切なものは悲しいほど脆い 失えば何だって美しい!(実弾/syrup16gより)
多分私はずっとこんな具合に、ないものねだりで、なりたがりで、羨ましがりで、身の程知らずなんだろうな
まとまった時間を強制的にくれる、電車の移動タイムは、
私にとってかなり必要。
あ、引っ越しました、最寄は京阪 清水五条です。
スーパーが遠い。物価高い。業務スーパーないの??寒い!!
テンションだけはうなぎのぼっている。
愛すべきうまれたて
写真
いつも通りの、新しい一日。でも、新しい、って、やっぱなかなか思えなくて、
いつも通り、さむいので両手を上着のポッケにつっこんで、がすがす階段を、つまさき立ちで(最近の習慣)、登る。
するとなんということでしょう、
すんごい綺麗な青空が、枚方市駅のホームで迎えてくれた。
嬉しかった。ほんとに嬉しかった
空を見て、風の音をきけばいい。
そのときの写真。でもやっぱ私ていどの写真じゃあらわせない。というか空あんまり写ってないな
急に明るくなったのがね、たまらんかったんだ
高瀬川っていうの?
俺、好きなんだヨネ… (クオーターパウンダーなノリで)
京都です
バカップル誕生。
写真はわかりやすいし目を引くからいいですよね。
言葉で説明するのがすごく苦手な私は(でも説明する行為自体が好きすぎて人を困らせる)、
絵とか図とか身振り手振りとかを使います。
だから電話も苦手じゃー(でも電話の気楽感とか切れないかんじとか好きすぎて人を困らせる)
今日はここまで
ふぶき
五条にてふぶかれた。
たった10分程度、駅までの道を歩いただけなのに、傘も差してたのに(あわてて買った100均のやつやけど)、
体じゅうに雪がつもって白くなった。指の感覚がなくなって真っ赤になった。
それでも空を見上げたら、一面、視界を塞いで空中を舞う雪、雪。
風にみだれてスンゲーきれい。
いま見ている世界を空気のにおいごと閉じ込めたくなる。
せめてもと写真を撮りたかったけど、この吹雪では携帯壊れちゃうなー
こないだ会った友達が持ってた水中カメラが、急に羨ましくなった。
人は何らかの理由や根拠を持ちたがる生き物だけれど、
ただ美しい、シンプルにそれだけ。ってすごく大事なこと、だと思う。
そういう意味では私は直感的でありたい、
しかしこの直感って、あまり動物的ではなさそうだなー
なんか現実的じゃあないよね。ファンタジー
こんな日だからこそ、髪の毛をうしろでしばっていく。
実はけっこう、楽しいよね。
友達に会いにいく
友達に会いにいく。
どんなにクズでも、生きている以上は、
誰かに対して影響力を持てるはずなんだ。
その気さえあれば。なければ多分、ちょっと前までの私みたいになる。
つまり「その気」があるかどうかで生きるか死ぬかな気もしてくる
気合いという言葉と、25年間いっさい向き合ってこなかったため、
まだよくわかりません。
死んでも影響力ある人って、実際いるけど、それってマジすごいなあ。
ってなんとなく気付く。
それとも、それって私が今論じている意味での影響力とはまた違うものなのかなー
とかなんとか。
ひとつの愛が終わるとき
私は癒着er(ユチャカァー)なので、
癒着する以外の恋、または愛、を知りません。でした。
とりあえず今はこれをひっぺがす!!
ベリベリバリバリ… い…いたい! いたいいたい!
うんん。これに尽きます。
いつだって、新しく始まるものが何かあるはず。
今、私はワクワクしているって言いたい。
声を大にして言いたい。
別に、過去の根が全部なくなるわけじゃない。だから経験したことも、ゼロじゃない。
人の言葉を借りるなら、そうね、全部引きずっていくしかないんだろうなー
私の推進力は遅いので、けっこう後ろっかわに引っ張られてしまいそうやけど(笑)。
それでも前を見ていられたらいいな。
そして、その状況を楽しみたい。
何かを愛したい、愛したい、愛したい。
そんな心でいるとき、そこに生まれゆくものを、愛したい。
私は孤独なあいだ、ずっとそれをやってきたはず。
それを、しなくていいからって、楽だからって、し忘れてきた。
そのぶん誰よりもきっと後ろのほうーにいるんだろうけど、
うん、今も待ってくれてるあなた、今も気にかけてくれるあなた、ありがとう。
ミナモ モナミ
出町柳にて用事を済ませ、かなり余白の時間が発生したから、橋の上から鴨川をのぞいた。
水面がキラキラまぶしくて顔をあげたら、景色がすごく遠くのほうまで見通せて、視界が透き通ってる。
通行する車の振動で橋がゆれるのを、足で感じる。
何か、何か、ふわふわ落ち着かない、変な気分になった。
いや、最近ずっとこうだった気もする。認識できてなかっただけで。(認識できてなかったら気分とは言えない気もする
こんな景色を毎日見て生きられたなら、頭のコンディションはハッピーなのかしらと一瞬、憧れのような気持ちが芽生えたけど、
毎日見てたらそれはそれで当たり前になって、こんなにまぶしくは見えなくなるんだろうし。
他力本願な気もするし
今、ここ。それでしかない。そこから何をするか、できるか。
って、まえ働いてたバイト先のパートのおばちゃんが言ってた。
どんなひどい状況の中でも、これ後からみたら面白いなぁ、とか思える人は、楽しめるし。
つまり「単純だけど少しの目の位置で何にでも変われるって」ことなんだろう。と、ここ最近毎日のように考える。
あんまり実感はできてないかもしれないけど。
少しの目の位置が、自分でほんの少しでもコントロールできたらいいのになあ。
そしたらいつでも、同じ道のなかにも新しい何かを見つけていけるんじゃないのかしら
というか、コントロールしていくしかない気もする。むりくりでも。
文脈がいつもめちゃくちゃです、
とにかく、
生きてたら会えるんだなぁ、って昨日は思いました。
今もそう思うし、思っていたいし、思える。
気づけたなら、これからできることはある。
生きる理由なんてなくても生きる。
またね。またねまたね。
って好きな言葉なの