0140

ご飯作って、食べて、食器を洗った。
1:40
 
洗濯物を洗濯機で回すあいだにお風呂をいれる。
 
ベランダから駐輪場が見える。
おばあちゃんが、よっこいしょ、と言いながら自転車のカゴから荷物をおろし、歩きだしながら、そこにいた、ネコに話しかけてた。
 
私は別に慌てたいわけじゃないけど多分寝ないとこのままじゃ体調は悪化する一方で明日も起きれないというのが怖くておそらく無意識には焦っている、
なんかさっきも色々こぼしたし
窓で右手をすりむいた。
うす皮がむけた。
 
 
そのときなんだか全部があわさって、
 
何を普通として生きるかは
あなたのこころ次第なよ、
 
という言葉が、浮かんだ。
 
 
今日は妙に「ヤサシイワタシ」のシーン、言葉がつぎつぎ浮かぶなあーと
食器を洗いながら思った。
 
やえさんは皆にとって厄介者だったかもしれないけど、私にはそうは思われないのね。
それについて考えてた
私のまわりの人はやえさんをどう思うんだろうなあって
そしてそれを自分にも適用してみたかった、
 
 
なあ、あんた、死にたかったんじゃないだろ。
望む姿で、生きたかったんだろ。
 
望みって、
叶わなかったら
ダメなのか、

とぅたやたんで

帰宅したら日付が変わっていた。
まあ今日(27にち)は朝体調ひどくて夜もどちらにせよ遅くまでメールを見たりせねばならんことはわかっていたから、
昼過ぎから出たので実働9時間です。休憩はとってません!トイレすら惜しむ勢い!もうれつーう!

でもなんだか開き直りの境地というか、落とし所というか。
物理的な限界は仕方ないというのが見えたので
あとは対策と処理能力について整理整頓。報告、連絡、相談。
それは僕がやらねば誰もまったくやらないことだということに気づいてちょっと責任を感じた。いい意味で

昔のことを思うとずいぶん頭が良くなったものだなあと我ながら思うが
権力関係の図式の中においてこの状況をうまく手綱や手玉へ取れていない時点でまあ仕事は出来るほうではないのだろう。
混乱させられ続けているものなあ、、あー困った。無茶苦茶だ。
まあ何が起こっても仕事は結果が全てだしなあ。。

ただ、良いチームをつくりたいなあ、とは思う。

一人が無理なら、誰かに手伝ってもらう。誰かが埋れてたら、それを引き取ることを考える。
どうやれば終わるのか?
優先順位、目的達成のための、ラインをひく。
間に合わないなら、どこまでなら妥協できるのか。妥協できないならどうすればいいのか、改変を行うのか。アイデアはあるのか。それは納得いってもらえるのか?
そしてそのラインへ向かって、全員で、戦う。

まだまだだなー

ただ、自分の能力については生かされているところにはまってる気がしてちょっと面白い。笑
周りはどう思ってるかわからないが、いいと思うよ。
あとはねえー、、うーん、、やっぱ邪魔が多いなー。最初から全部自分がやりゃよかったなーなんて純粋にそう思うところが多い。

「意味」を元にデザインを行う、という行程において、いっちょかみというのはすげー邪魔なことは明白であった。。
何かを伝えるデザインとは、トータルデザインでなくてはならない。。
司令塔はデザイナー、もしくは企画者と同等レベルの理解者でなければならない。指示待ちのオペレーターは司令塔には、なれない。

あたり、やっぱ、知識不足と、経験不足が悔しい思いをする理由になってるというところに繋がってるなと思う。。

なんかわかった風なこと書いたけど
わたしなりにはわかったんですー。
何事もやってみなわからんでしょう、
そしてやってみたなら、わかることが必ずあるはずだ。。
それが経験されてるだけだ、えらいとかえらくないとかじゃない。。

誰に言ってる、、

お腹すいたからご飯を食べよう

TSUTAYAさんからCDいっぱい届いたからパソコンへ入れるが私の横着によりネットが切れていて曲名が表示されない、
まあそのほうがいいなと思って、
むかしのコンポでCDきくみたいに
曲名もわからないCD(あと知らないやつとかも借りたのもあってアーティストもジャケを見ない限り誰だかわからない)を部屋で通して流して聴いている、
アルバム名だけは袋に書いてあるのでわかった、
「イギー・ポップと賛美歌」だそうだ。

・・・

2012年11月02日

おはよう。
いただきます。
さむいね。
あついね。
だいすき。
もうしらない。
もうしない。
おかえり。
おやすみ。
いらっしゃい。
また会えたね。
どうして?
またね。
わすれないで。
言葉にださずに
さようなら。
さようなら。

えびぱン

鼻と喉と耳と頭と肺と腹をいかれてます
息がーーしんどいーー
座ってても脈拍が速いのをとても感じる、ずがいこつ響くーあたまがいたいー
 
理不尽と戦ってる、
うっとい、ずっとずっとずっと、うっとい、
くそ、でも正義を掲げたいわけじゃないのだ。周りは勘違いするが。
自分でいたいだけだ。
そしてその理解について別に他人に強制はしない。だから強制しないでほしいと思うが実際そうもいかぬ、なぜだ、理解に苦しむ、
 
仕事に関してはべつですが。お金もらうのが目的、そのために誰かの要望をかなえるよ。たとえ自分の感情を曲げてでも必要とあらば必要と思う。
くそ、でもそれは生活の全てではないぞ。周りは勘違いするが。
 
何をこんなにもがいてるんだろう、わたし、
何をこんなに、、
 
頭の中をヒョットコの曲がながれてる
たぶん一番すきなやつかな
ヒョットコは曲、というよりライブそのもの、なので
フレーズとかよりは視覚と聴覚の躍動、というか
でもCDいいと思うし、それは不思議だ、すごい、
 
でも珍しいな、脳内ヒョットコは
 
あたまいたい  おもい
お腹きてる、、
 
えびぱんは薬の名前ですが
私がちぎって食べてるのはえびパンなりましてピンクのモチモチでーーーす
 
昼の電車に乗ってたら
テニスのバッグを持ったおじさんがひとり、乗ってきて、私のとなりの席で同じようなセットを持ったおじさんと合流して、「ラケットどしたん?」て会話をはじめた。
「いやー張替えにいったんだけどさ、こいつ、寿命を宣告されちゃったよ。ちょっと悲しいよ、愛着あったのに」
 
おっさんテニス大会がどうのという話をはさんだのち、
「最後にやったんいつ?」となり、「全然ボールすら触ってないもんなあー、打つっていう感覚がないよ!」
て、二人は話してた。
 
どうも久しぶりに再会して、これからテニスをやりにいく、大学の部活時代の友人らしい。
なんかいいなと思ったりもするし
でも本当は  ずっと続けてたいよな  とも
 
…わからない
 
続ける、ということについて最近考えているが、
どうも、わからない、
 
わからないのだ、なんもかも。
 
ナンモカモってことは
 
ないでしょう?

・・・

2012年11月01日
時間をいっぱいかけたから、
なんとなくなら もう
わかるよ。
 
過ぎていったこと
どうやっても絶対に なくならないこと
繋がりが切れて腐ってゆく瞬間の 連続、
終わらない終わり
始まらない終わり。
 
 
キャベツをむしょうに食べたくなって、
鶏肉だんごを入れて、コンソメで煮て、スープした。
久しぶりの自炊だったと思う
おいしくておいしくて、すぐになくなった。
 
たとえばその心地良いスープのなかの、
口にふくまれて 飲みこまれるまでの、
私の舌にふれることなく 感じ取ることなく過ぎ去った、
拾い損ねた大切な 繊細な 成分ひとつぶ。
 
目にみえていたって 口にふくんでいたって
気づかなければ ないのと同じ。

すっとはまあゆかないおれたち

201403231757_IMG_3541
 
ずいぶん前から思ってたことなんだけど、言葉にできるようになったのは多分三ヶ月くらい前からぐらいなんだけど、
「なんでもお仕事」人種が増えすぎているように、思う。
 
形式、効率、立場を上に持っていくこと。相手を言い負かすこと。
仕事には大事かもしれない。最終的に自分側にも利益が出なきゃいけない、からね。
 
けど、個人のときはまったく別物だと思うのねー
合理的じゃない、感情だって個性だって人間性だって、必要なものだし大事なものだし、というか「ある」ものだから。
 
どうも頭がかたすぎる奴が増えすぎている感じがしてしまう、
それは今自分の周りに、働く人間 ばかりになっているからというのも関係あるんだろうなあ。
みんな、働くと 染まらざるをえない。
 
もちろん自分だって。まさか完全だなんて思ってないさ。
正しいとも思ってない
でも私がそう感じてそう思うこと、ぐらいは許してよね。
つづけますよ、
 
人と会話することというのが、「何か決まった形式で欲しい答えを聞き出すもの、望む方向へ誘導するもの」
という認識のやつがそのまま個人どうしの会話にもそのルールを持ち込むので、大変困るときがあるのだ。
こっちは仕事のつもりがない。着地点をわざわざ探す必要もないし、無理に会話を時間内に終わらせる必要もない。
 
「それを話すことって、なんかなんの?結論でないっしょ?」
とか
「え、どう返してほしいわけ?」
とか、言われてしまうとき、
私の答えはこうだ、
何になると思って言ってないし、どう返せばいいかは自分で好きにしてよ、決まってないし決めてないよ。
 
個人と個人の会話というものがそういうものなのであれば私はもう、何も言えなくなってしまう。
 
色々言いたいことはある
けれど「相手のことを思う」と
言わないほうがいいとなるので
私は何も言えなくなってしまう
 
 
まあちょっと色々あり
そんなわけで私は
言ったことの細かい補足をしたかったけど
するのを やめてしまうように
なりました
 
まあ、それがその時の相手の感じる「思いやり」であろう、という判断から、だけども。
 
 
仕事なら、まあ時間内に終わらせなければならない目的があるだろーから
そういうベクトルや速度のある会話も必要やろうと思う。
けど、仕事じゃないから、別に私はあなたがたをどうこうしたいわけじゃないし形式に縛られた望む答えを求めてるわけではない。
 
私が、言葉遊びをしてくれる人がすごい好きなのはそういうところだろうなと思う。
なんかやっと最近こういうりくつでつながったけど
 
よーするに、くだらないことを一緒に、一生、したいのだ。
何のためとかこういうメリットがあるからとかじゃなくて、
したいから!って言って、したいのだ。
 
そして一生それを続けることが、私の使命であり、運命であり、夢だ
と信じているのだと思う。
 
意味のあることに対する反抗であるつもりもなく(まあ一部あるかもしれんが)、
無意味なことも、いいと思うのだ。
自然界には、無意味や理不尽ばっかでしょう、
 
誰もに適用できるルールなんてどこにもない、
あなたの言う当たり前は、
あっちの世界では、マイノリティかもよ。
 
 
知らない世界に一人。
ひとり。ひとり。ひとり。
夜遅くまで、歩いた。
いろいろなことを 想像しようとした。
 
でもどれもリアルには想像できなかった。
 
きみの隣にいる自分を
うまく思い描けない
 
 
ああ、みちはとおきな、
 
つづく
 
・・・
 

2012年10月30日
起き上がれない。あんまり悲しい夢を見て。
ばかげている
 
仕事おわりに、引越し先の見学いっこ行った。
そう、引越しをします。今年じゅうには。
 
もともと、間取り図とか色々見るのが趣味みたいな時期があったので 自分の気に入る条件での家探しは 慣れてるほうやと思います。交渉とかはだめっぽいけど。
 
・・・
 
で、そのまま別の土地に一人で、とりあえず、行ってみることにした。
歩かないととわからないのでねえ。
 
電車にゆられて、
冷えきらない、窓の外。
オレンジ色の街灯り。
 
知らない世界に一人。
ひとり。ひとり。ひとり。
夜遅くまで、歩いた。
いろいろなことを 想像しようとした。
 
でもどれもリアルには想像できなかった。
 
きみの隣にいる自分を
うまく思い描けない

もがかない鴨

201403231743_IMG_3518
 
戻らないデータはそれはそれでOK
 
鼻水すげー
何事
 
鼻くると咳も同時に出てくる
調子が悪い
 
ただし案外、眠りは深い
睡眠8
 
冷静に、
合理的に喋らないと戦えない
合理的に喋らなくてはスイッチがほしー
合理的に喋らなくてはスイッチが
 
それ以上に何を望む?
それ以上に何を望まれることを望む?
それ以上に何を望まれることを望むことを望まれていることを望む?
 
恩着せがましい、
 
おまえが、望む姿で生き続けることを、誰が望んだ?
おまえだけだろ?
誰も望んでないだろ?
 
気づけよ、誰もそんなの気づいてないよ。
いらないのは、お前だよ。
 
 
 
・・・
 

2012年10月28日
逃げようとしても、逃げようとしても、
もうずっと聴いてもないのに、
頭の中 鳴り止まないうたがある。
 
どんなに疲れ果てていても
どんなに必死に何かべつのことやってても
新しいなにかでかき消されることがなくて
気づいたら、頭の中で、鳴っている。
 
それは私のすべてだった、
この人生ぜんぶをかけてやりたいことだった。
でも、もう、かなわない。
 
私はなくしてしまった、何もやってないうちに。
その後に残ったおまけの人生ってやつに
しがみついてるだけの気が 今でも していて。
 
つまり私は終わりを待っている、
ただただ目の前を、やってくる日常と、非日常をやっつけるようにして、
ぎりぎり乗り越えるようにして、
なだめすかすようにして、
なんとか、こえて、
終わりがくるのを待っている。
 
なりひびく うた に、
心を預けてしまったら気が狂う。
だからなるべく毎日という名前のもので誤魔化して、
耳を傾ける隙を与えないようにしている。
忙しさで 誤魔化して、
新しいものや 人や 場所で誤魔化して、
それをただただルーチンさせている。
 
のじゃないのか。
 
そんな気がしている。
 
やりたいことは、もう、おわったんだ。
この人生で、それが見つからなかったわけじゃないんだ。
それ、もう、終わったんだよ。
 
だったら私は幸せ者だろうか?
見つけたから、それが叶わなかったら、
叶えるためにすることも、何もどうにもできないのなら、
それ以外は、全部おまけやろ?
私は幸せ者だろうか?
 
もちろんこの世界には、美しいもの、
素晴らしいものがいっぱいある。
楽しいと思える瞬間も、何度も巡ってくる。
それを私は知ってる。
 
辛いこともあって、それに対しての不平や不満も湧いてきて、
それと何とか戦おうとか、何とかやっていく手段を見つけようとか、
そんなふうに思ったりもする。
 
それらの出来事がひとつひとつ、刺激になって、
私にいま、生きているんだということを実感させている。
けれど「それが何だというのだろう?」。
 
いつも思う、まだ、耐えられるのか?
おれは、なにを、耐えてるのか?
それが現実、だな。
 
願っても、叶わないよ。
 
ぜんぶ、終わったんだよ。
 
自分に酔ってる、って、またあんたは言うかい。
それとも誰もがみんな言うだろうか?
でもさ、よく思うよ。
自分が酔ってやらなきゃ、ほかに誰が
ぼくという人間に酔ってくれるっていうだろう?
 
 
エネルギーって 地球上をまわっていて
いのちも ぜんぶめぐってるように錯覚するけど、
それは違うんだよ。
 
もう 戻らないよ。
願っても、叶わないよ。
 
ぜんぶ、終わったんだよ。
 
巻き戻し、終わったねえ…
 
 
 
 
なあ、あの一年はどうだった?
地獄だったろ??つらかったろ??
 
なあ、この一年はどうだった?
無事生き長らえたじゃないか!
前より沢山、笑ったじゃないかい?
色んな場所へ、また行けるようになっただろ?
 
なあ!
それでも何を望む!
 
生きて、めし食って働いて、友だちと会って遊んで、
それ以上に何を望む!
 
あんた、死にたいんじゃないだろ??
望む姿で、生きたかったんだろ??
 
望みって、かなわなかったらダメなのか??

巻き戻しを繰り返す

201308241358_DSC03115
 

2012年4月16日「2012年4月16日」
話をした。
そうせずにはいられなかったから。

 

2011年2月5日「さようなら」
でもね、すれ違う日々、君がいつも置いてくれていた小さな手紙。
あれを始まりにしたいんだ。
あれを、私が帰る場所にしたいんだ。

 

2012年10月28日「2012年10月28日」
エネルギーって 地球上をまわっていて
いのちも ぜんぶめぐってるように錯覚するけど、
 
もう 戻らないよ。
願っても、叶わないよ。
ぜんぶ、終わったんだよ。
 
巻き戻し、終わったねえ…

 
・・・
 
 
ああ、巻き戻しが終わったねえ、
 
じゃあたたもうか、
うまくできるかな。
時間が必要だ、
ループしてループしてループして、
僕はそれを繰り返す
その中で変わっていったこと
早すぎる人の波
感情
干渉
環状の
感傷
 
じゃあたたもうか、
うまくできるかな。
 
重ねてきたすべてが僕のすべてさ。
イエス・オア・ノー、
僕にはもう振り返るべき過去も
新しく刻まなければならないシガラミも存在しない
生きるか死ぬかの決断は
全ての最善を尽くしたあとに
おまえが 自分で 決めな

おかえり

ああ、うん、いつ来るのかと思って まってたよ。
だから部屋は無音にしておくんだよ。
きみを待ってたよ。
 
みみのなかをうたはながれた
 
「言葉だけしんじてさ、
 安心してるのかい?
 嘘ぶくきみも好きさ、
 でも すぐにわかる」
 
おかえり、
 
言いたいことも言えることも
大して何にもないんだろう か?
ゆるされる、ことは
生きること、たりや
 
僕にはわからない、
けれど君が、ひつようさ、

空気温が体温にちかづく

新幹線の改札でなぎちゃんを見送ったあと、
ぼーっと、あー何すんだっけ、と、なんだかよくわからんくなって
おいしそうなチーズケーキ眺めて、でもホールしかないなーたかいなーとか思いつつフラっとしかけたとき、
ギターケース背負った少年が、目の前を通り過ぎた。

あー、いかなくちゃ、
なんだかそう思った、

自分の心や体が必要としている栄養素を、
本来、野生のたましいはナントナクでわかるものであるかなと思う、
僕はメリットやデメリットや時間の都合や合理的な理屈だけで
今日のことも、遠すぎる未来についても、
決めすぎることもないなと
いや、誰もがそうかとは思うが
決めすぎたくないなと、思ったりするのだった。

その時点で、今日、決めたことを、ぜんぶやめた。
そしてこの後についても、決めるのを、やめた。
そいで歩き出した。

自然治癒に任せるような感覚で
自分の生命力をためさなばならないときが私には何度もあって、
まあ言い口はなめらかで冷静であるが
全くもってフェータルな問題として直面している。

わたしにはおのれがわからぬ。
それを探して生きているところがある。
しかし実はそこにはおのれだけでなく、他人というものが非常に重要に絡まってくるものであることを最近知った私は、
その道のりがあまりに途方もなく、どうしようもなく思えてしまい、動けなくなる。ぜんぶわからなくなる。そんなとき、
おまえは生きたいのか?
わたしは自分で、自分に、それを証明しなければならない、

いつかのみちを、
ぐるぐると  あるきだす、

ながしたアルバムはなんとうなく
東京ビバーク/スネオヘアー
 
201403231820_IMG_3573
 
ふるい場所をぬけ
ナントナクでみちを選ぶ
まがる
くねる
すると新しい場所へでる
とても素敵な場所だった
新幹線がみえる  停車して何かをしているあかりの消えた電車もみえる  河があってトランペットをぷあぷあふいてる人がいる、
ピアニカやギターや太鼓がほしいなと思った

アルバムがおわったので次にする
なんとなく  下山DECO
 
河に降り  堤防をのぼり  堤防をくだった
少し危ない場所、というのはなんとのうでわかる
前の私はたぶん怖いなんて思わなかったが、今は避けたいと思えた。
広い通りへ、
またふるい場所へたどり着く、
あ、昨日も通った同じところだ、
結局そういうふうに何かの磁場がはたらいていることにうすうす気づきながら、
べつに避けようともしていないが避けられないでいる自分に、少し笑ってしまう、
 
陽が落ちた。
ひとまわしだけ聴いてスルーしてた「あぶら無知の涙」がひじょうに、きた。
何かが以前とちがうんだってやつだ

竹田街道でどうするか迷った
けれど、たたみかけるように脳みそを走る「癇癪する大脳たち」になにか体をつよく、押された、気がして
もう少し行こう、と思うた。

ただこの時点で自分の行き先の選択肢については実はもう少しで限界がきているということはすでに自分で判断がついていて、
ここいらで終わりにするか、それとも、なんて、考える、ようで考えるのをやめた。

十条大宮、「蒼白のとおく」。

何かの記憶がかすめるのだけど
何なのか思い出せない。
たぶんここへ来たことがあるのだろう。

人が生きる場所は、
どこか、距離がとても離れている場所でも、瓜二つのようにそっくりな空気感や景色がたくさん生まれているもので、
さっき通ったみちも、このみちも、まるで、昨年度さまよった大阪の、郊外の街の風景にそっくりだった。

繰り返される出来事は
私の意思ではどうしようもないから、
それでもおまえは生きたいのか?
私はそれを自分の身体で証明してゆかねばならない。

オレンジの帰りみち
夏がひとり、ブランコこいでる

ぽつりと、いつかの景色がうかんだ。

真っ直ぐ通りを下ってみたものの、まったくもっていいことがなく、
いつのことか覚えてなかったけど前にも来た道でものすごくがっかりした。

普通に下山が二周目していたのに気づくけれど、今のところ別の曲に変える気がおこらない。
たどる道に異様にいやな予感、
どこへもいかれん、これ以上とおくは、ない。
いやな感じだ。
残念、残念、残念だ。

わかっていたけれど、結局は、これ以上見たことのない何かを発掘していったとしても、見つけたものは、どこか、前にも見つけたものと類似していて、見たことがある、のだ。

帰ることにした。

わかったことはある、
ぼくは死ぬのが怖い。

ここでいう、死ぬというのは、心臓が止まったり脳みそが機能しなくなるという意味ではけしてない。

本屋で雑誌を買った。
次に誰かにたずねられた時に、答えをいくつか用意しようと思ったからだ。

わかったことはある、
ぼくは今のところ、生きていると思う。

ここでいう、生きるというのは、心臓が動いていて脳みそが正常に機能しているという意味ではけしてない。

いつかの自分のみちを歩く

201403231808_IMG_3564
 

混ざらない血のアカでマッチを擦って
今日を  焼く、
蝉も 歌も 抱いて、

君がぼくを疑いそうになったとき、
どうかこの歌を歌ってほしい

僕は忘れかけていたあの歌を、

東福寺でおりて、歩く。
なにもかもなつかしい
鬼門たりや、どこ連れてくんねん、
と言いたいが、人と場所には罪がありませんのや。
イヤホンミュージックは、女王蜂。

約束を、守らなきゃ。

川べり、対向車、橋、公園、工事現場、
あかん、あかん、
九条河原町、
もう覚えてないわ、なんつうのは嘘つきだわ。
でもそう強がらずにおのれを保てる気もしてないから、足元染み込んでくる、なにかに心をうばわれないように、

歯をくいしばれ、

七条通、コンビニ、
マザーシップスタジオ、
言葉、約束と、言葉、
看板、何もない、
川をわたる、
出町柳の楽器屋のバイト、面接受けてたのが決まって、でもWeb屋のバイト合格の連絡きたから断る電話入れた、
それはあの日の鴨川で、
自転車よせて、すわって、ピアニカふいて、
ガラケーの充電、きれて、
風にふかれて、
うたった、

何も、
何もなかった。

生きるすべも
日常も、友人も、愛するひとも、
だめで、だめで、
だめでだめでだめで、

食べ物がろくに食べられないくらいにはだめで、腹が減らなかった。
いらなかった。いらんなかった。
ただただ殺せと願った。心から祈った。
家でじっとしていたら気が狂いそうで、ああでもいい加減体を洗わなと思って、シャンプーしながら、気が狂いそうで、
ろくに洗い流しもせずに 家を飛び出して、
どこへ行くでもなく行ける場所もなく、

歩いて、歩いて、何も考えないくらいにくたびれ果てるくらいまで、地獄のように。歩いて、歩いて、ぎりぎり眠った日々のこと。
そこからの自分のこと、
変わって行った景色のこと、

…ちがうんだよな。景色自体、建物や、場所は、大体おなじなんだよ、空気感とか。
目の位置が変わっただけ、
大学生になって初めて聴いたゆらゆら帝国を純粋にかっこういいと思ったあの時に染み入った歌詞は私の芯に刻まれてるし私は今もそれを信じている。
「少しの目の位置で、なんにでも変われるって」

ぼくあいま、どこにいるんだろ、
あんた何をしてるんだ?だなんてよく思うよ。

まあ何せ、なにせあの頃よりかはマシだ。
お腹がちゃんと減るようになった。
生きろ、ってことだよ。
他の生き物から命を奪ってでも、自分勝手に、罪を背負ってまで、生きたいと、体は言ってるってことだよ。

それはきっと、誰かのおかげなのだ。
誰か一人のおかげではないけど、
私に真心をもって接してくれた、全ての人のおかげなのだ。

景色はふうっときえて
いまに自分をつなげた

目の前に初めて会う人。
あなたは、生きている、
いま、わたしが生きている以上に、
こうしておのれのことを誰かに話せているという現実、
これは奇跡的で すばらしく自分にとっては意味のあることだと
信じるよ。

ひつじとともに 昼〜夕暮

少し体を動かすたびに
ポシェット?ボディバッグ?のなかのひつじが、メメェ、というので
愉快だーる
だーる

思っていたより悲観的な状況でなくて少し安心したのはつかの間かもしれないけどとりあえず、なるようにしかならん、ただ自分以外のために、自分が努力はしなければでしているつもりの、15:20現在
 
少しの外出からの帰宅。
 
そういえば口座を作らねばならんことを忘れていたなとかなんとか。
めどい
 
からの
ものすごく考えて
腑に落ちた、16:40現在。
 
自分の言い分や納得いかないところはあるが、そりゃああるが
誰かを責めて解消したいわけではないのが大前提のもちろん、で
誰かには  誰かの立場や思いがあってそうなってるから、
その人にとっては
そうなのだと
知って
腑に落ちた、すごく納得した。
 
そして私も、相手にとっては悪かったのだ、と気づけた。思えた。
 
だから仕方がない
それぞれが決めて、
それぞれが行動して、
それぞれが思いどおりの結果、
 
最高にマーブルである。むしろわざとか!
 
私は、頭がわりい、でも生きている。
話をして理解したいと思うから、話のできる人が好きだ。
たとえ言葉の選びようは最悪でもまあ最近はそういう奴やと思えば許せる気もしてきた。言い方ひどかったら言い方が腹立ったから、てこちらもいうし
攻撃に対して攻撃が返ってくるなんて、大抵みんなわかっているから、
 
「なんでわかんないんすか?」って言葉も、言ってくれる人とは戦えるし、こっちも説明ができる。
攻撃されたら、反撃もできる。
 
そこを、自分が傷つきたくなくて黙って諦める人は、たいへん多い。
それは、無視だし、諦めだ。そしてそういう選択肢を結局は自分が選んだということになる、と、私は。思ってきている。
 
もちろん、戦う体力がないときも、調子が悪いときも人間にはある、日常的にある、
それを
わかっていれば。
なんとなく、わかっていれば。
 
そんな気になれた、17:00。現在。
 
やることはみえた
そしたらやるだけだ
やってだめでも
結果と、過程は、
残る
 
 
そして間のわるさも
いとしい
大事なひとからの阿呆なご報告で
あー私は こんな風に少しずつ、関わってくれる他人のおかげで、
なんとかやっと頑張ってるんだろうと
思えました。