声こえた朝

朝おきたら君のことを
考えてる僕がいた。
 
昨日はスタジオで 夜おそくなったので
せっかくだから 行ってみたかった、ゲストハウス タロカフェINN 京都へとまった。
前にも通りがかったとき、何のお店だろうとすっごくすっごく気になったぐらいの 愛おしい雰囲気。ちょう好みってやつだ。
中もやっぱりゆるーい良き空間であった
まえ、直前で予約取ろうとしたら たぶん桜のシーズンだったからかな、平日だのに満員で取れなかったのでどうかなーと思ってたけど
女性のドミトリーには女の子がひとり、くらいで とてもすいていて良かった。
 
朝はその女の子一人が先に起きているだけで スタッフの人もいなくてがらんとしていて、その雰囲気が、とても天気のよい晴れた空気のなか かぜとおしよく 澄んでた。
いいとこだった 普通にのーんびり 遊びにいきたい。。一日ギターでも弾いて 本を読んで 過ごしたい場所だなと思う。
 
コンビニでサンドイッチをかった、
ぼくらは何かたべたいなあと思えば、徒歩圏内にいくつも乱立するうちの手近なコンビニへいき、何を食べようかなあと迷う程度にはなんでも揃う豊富なラインナップの品物たちのなかからサンドイッチを、サンドイッチのなかでも好きな種類のものをチョイスできる。これが大抵24時間可能であるというコンビニエンスを受け入れている。
そのために、平和なまちの外ではなにが犠牲にされているんだろうか。どのぐらい…無理しているんだろう。
 
朝、JRはおくれてた。たかだか10分ほどではあるが、
ちゃんと時間通りに出たけれどこりゃあスネアをひきずりながら、会社にはちこくである。見た感じかんぜんにアカン奴である。
 
昨日は長いこと背中にスネアとペダルの入ったケースをかついでいたせいだと思う、
朝起きて、むねの骨が結構いかれていた
激痛
私にとっては背負うものではないな、と前も実は思ったことあるんだけど再確認、
ガラガラとはこぶことを前提に、ケースについて持ち運びもうちょっと何とかしたいな。今でも何とかはなってるけど。
 
それと同時に肺にローきている。
やっぱり、昨日スタジオ前の時間、ピアニカ練習するために いとしの堀川(高瀬川ちゃんのほうが好きだが堀川ちゃんは開放感がいいですね)にて小一時間座って、歌って吹いてしていたため、体を冷やした、
あと私は喉とか肺、粘膜系がもともとたいへん弱いと思うので
いっぱい歌ったせいで喉からきている、
なんか歌へたくそすぎてスパイラル
コツがつかめているときと、つかめていない時、もしくは湿度とか喉の適切な状態によってすごく左右されている気がする。
ベストの状態にもっていきかたがまだわからないなあ。
 
でも、そりゃあ、たのしい。たのしいという言葉は今の感じだとちょっとちがうのだけど、何を言われようと、生きてるかんじだ。
演奏は へたくそかもしれないけどそれでも好きだからやるだろう。
歌は へたくそかもしれないけど歌いたくって我慢ならないときには歌うものだろう。
 
素直に、
素直に生きられりゃあ、
どんなにいいだろう。
 
つまびくメロデーとともに、
きみのことを 考えてる僕がいた
 
 
 
・・・
 
 
 

2013/01/02 ただしきしあわせ
幸せです!
私はものすごくわかりやすいので。
別に手放しで ただハッピーなだけ では全くないのですが、
希望があると思えるのは、すごいことです。
 
たのしいことを、やらねばならん。
できることを、やるんだよ。
だからうまくいくんだよ。
 
そして、楽しいと、楽、はちがうのだな。
 
これまで、退化はしてない、と思うてる。
間違いじゃないとも思うてる。
いつだってそこから。

スラーの一夜

長めの一日がおわり  くたくたで 本日の自分の寝床へころがりこんだ。
 
りくつではさっぱりなぜなのだかわからないのだけれど、
なんとなく 何だかとても複雑なきもちだ
きもちがまざりすぎ、というよりかは
つよい感情が多種混在過ぎる、というかんじだ
不自由さ
頭がいたい フィジカル
何って聞かれるといえないが何かうまく行っていない感じである、
悪いことがあるわけではないがいい感じといいきれない
 
とはいえ、それは全体的なことでも自分以的なことでもなくって
たんじゅんに自分のなかの不自由さのようだ。
 
「リミッターを外す」という行為、
私にとっては「おりてくる」ということなのだと思っていたのだけど
そういうことだと思う。

それがとても下手くそになってる。
我が、最も辛いタイプの変化である
 
はずしたい
このままでは何にもなられない
ぼくは自分になりたい、自分のまわりにはまってる枷を、ひとつひとつ、外していきたい。
そうして、ぼくは自由なんだ、だからきみも自由なんだ、
そう言いたくてずっとやっている。
というと語弊があり 本当はものすごく個人的な感情とか感覚でやってきてるけど、
もし対外的なことを言うなれば確実にそれはあるといえる。
個人的なこと、それだけではやりきれないんだと最近思っているからだ。
他人、それは確実に、芯のちかくにある重要なマターである。
 
 
 
・・・

2013/01/01 あけました
年越したあとに一気に疲れがきて、お正月ダイヤの駅で20分正座して寝て電車を待った。

年末の三日間、ぜんぶライブを見に行ったなあ。
まあお金のかかる遊びですこと!と思うが
それでも行ってよかったな。
 
毎年1月1日、牧野駅へやってきてお寺でおみくじを引いて帰ります。
 
道場の跡は今年は駐車場になっていた。ぼくは知らなくていいことを知らせているだろーか?
この場所を愛している。
 
誰にいわれなくても、褒めてもらえなくても、あんたの体は、あんたが動かしてるんでしょう。
 
それが全部で、それでいいのでしょう。
 
去年もそのまえも、ここへ来た。景色はほとんど全然違う。うける意味も全部違う。
なぜなら、場所と居場所ってのは全くの別次元のはなしだから。
私がおもってることもきっと全然ちがう。
でも、変わってくなかに、変わらないものがあるってことはいつも信じていたくて、ここにいるんだと思う。
 
橋の上でじゃがバター食べて けえる。

想像上でかんがえて

今こうしていて、とても心配なことがある、
けれどそう疑うて心配だけしても 世界は何もかわらないから。
どうか変わらないで、
どうか変わらないでと願う、
そして僕は僕のやることを
できる限り尽くすのだ。
 
家のウェブブラウザーを開いたら
「セイモアダンカン」で検索してる画面が開いて
なんだか大人になったような気もちがしたのだった。
 
さっぱりわからん(真顔)
 
今日はおたんじょうびの昔のお友達のことを思い出して
Facebookで検索してみたら
どんどんむかし知ってた人たちが出てきて一人同窓会状態になって
ニヤニヤしました。
 
明日はゲストハウスというものに初めて泊まりにゆきます。
とはいっても特に 寝にいく しか時間はとれませんが
たのしみです
 
あと、ゴールデンウイークが
たのしみです。
 
あまりいろいろ決めてゆくと
うまくゆかないのが私のことなのですが
いろいろ決めたとしても
うまくゆくといいなあ というか 体調さえ崩しさえしなければ あと他になにかフィジカル or メンタルに事件が起きなければ 絶対にたのしいなと思うので
ともかくたのしみです
 
 
 
・・・
 

2012/12/31 表情の自覚
色んなものを、配置する前にていねいに磨くということをやってるのですが今日も時間切れっす。
でもなんか楽しいな。今までさぼってたものがこんなにたまってるとは。時間ってすごいな。
 
好きなひとが優しい。そんだけで、ものすごく元気になれてしまう自分がいるのだ。
しあわせだな。
 
世界や人間への不信っていうのをずっと私は持っていて、もちろん自分自身に対してもおなじように、つねに疑いの気持ちをもって接するかんじが基本なんですね。
それってまあ、いつでも、怖いからなんだけど。
期待して、がっかりしないように。ってことかな。
 
人間の欲望や、利益主義、損得勘定、そういうの知ってるから、本当のやさしさなんてどこにもないんじゃないか、
全部のことには裏があって、約束もすぐに破られて、ああそういうことだったのか、やっぱそーだよな。なーんだ。
そんなことが、この世界を構成してるすべてだと思って、
私はものすごく、がっかりというか、絶望してしまうのね。
 
でも、いい人やいいもの、よい関係や世界のめぐりを、目の当たりにして、自分が信じられるぐらいにそれが証明されているとき、
ああ、世界も捨てたものじゃないんだなあ。ここに生きてていいんかなあ。
 
そんな風に思えるのね、私は。
 
君が損得勘定ぬきで優しいのかどうかなんて、わからないけれど、
でも、損得勘定だけじゃ理屈が合わないような感じなんだ。わたしが感じているこのあったかい気持ちというのは。
君からもらったものだな。
 
君のような人間がいるなら、この世界、絶望ばかりじゃないって、今は思えるよ。
 
そばにいなくても、今は思えるよ。

しまくまじっく

久しぶりにシマクマガンホーズのHP とくにこのページを
http://homepage2.nifty.com/simagung/gung-ho’s.html
(現在もう該当ページありません、ざんねん! 2016/5/24追記)
 
じっと見ながら 自分のバンド音源とかを聴いていたんですが
見れば見るほどなんだかわからなくなってきたので
とじました。
 
イノウエさんから出ているのはなんなのだろうとか
 
シマクマくんってだれ!?
メンバーとゆう認識なかったー!
 
っていうそもそもと
 
あと左下 セレブーちゃんがシマクマくんのこと微妙にキライってゆってて
その横で実はシマクマくん泣いてる
 
もうきりがない
 
きりがなーい
 
 
 

2012/12/30 タンクトップまつり@京都アバンギルド 2012
自分の楽しいと思えることのほうへ 自分をもってゆかねばなあ。そんなことを思った。
楽しい、と思えることの感覚は人によって違う。笑いのツボがちがうってことさ。
 
タンクトップまつり@京都アバンギルド に行きました。
ほんとは別のイベントに行く予定だったのですが、ちょっと時間の都合で行けず、
となったときに、こっちはまだ間に合って、行けたのです。
 
・・・
  
トイレ行くまでにあった タテタカコさんのフライヤーがほんに素敵で 家に持って帰って飾る。
 
今年は、笑いというものがとても大切だと思った年だった。
ひとを笑顔にするために、ある世界。誰かを笑わせるために、つくられるもの。
 
私は自分の笑いのツボを もっとよく知り、たまにおさえてやらねばなあ と なんとのう思いました。
 
しあわせってこと。
自分が笑顔になれる場所。
そういうところに沢山行きたい。
 
ほいで、私は気が短い。ねばりがない。と、薄々わかっていたのですが
それが、なんとなく、ほんとに自分を苦しめてる原因に 自然に おもえたので、
気を長くもつこと 結果がでなくても、苦しいときがあっても、とりあえず続けてみること。
というのを 思いました。
 
たくさんの言葉を、たくさん端折った。
言葉にしないほうが、伝わることもあるから。
 
生きにくい、生きられない、って、私はこないだまで、ずーっと思っていた。
 
でも、きみと再会して、君の今やっていること、やってきたことに、何と言うか、ものすごく元気をもらい続けているのだ。
 
誰かを笑顔にするための生き方をきみはしてる、と思うねんな。
それがとても羨ましいし、とても嬉しい。
 
私が今ものすごく元気なのは、君のおかげがとても大きいのだ。
とか言うとプレッシャーかもしれないけど。。そんなことじゃなく。
 
うんん!元気を、ありがとう。やさしい自分でいられますよう。そいでもやっぱずっと、くやしいんだ。
いい夜だ!ねたくない

しにかけのメ

意味とか理由とか考えなくていい
考えんな、
自分の感情  体温  におい
そういうことだけ、覚えていて、

ここまで続けてきたらば、またそれだけ自由にできる技術があらば、あなたは音においてはプロフェッショナルだなあ、と思った。

私はどうだろか。

からだがスタジオのにおいで
このまま死にたいなあと思う
しあわせ

なんとなくで喋って
どうでもいい言葉ならべよう
言葉遊びの言葉遊びの言葉遊びを延長しつづけよう、
諦めも自分で選んだひとつの選択肢、
いつだってそうしてきたつもり
でも、それが、この頃わからなくなってきてもいるんだ。

自分が自分に、かえるんだ、
望んだすがたに、もどるんだ。

春は苦手だと思う、好きだけどね。
花がさけば  外で集まってお酒がのめれば
みんな笑顔なるでしょ。
それは純粋にうれしいよね

まあそういうことがなければ笑顔になられないのであれば皆さんつまらないな浅はかだナーと私は思うほうだけど、
最近、どう考えても、人間というのはそんなかっちりしてないし、風がぴゅうと、ひとつ吹くだけで、みちを変えてしまうようないい加減なものだというのもわかっているもので、
群体というのはすごいなと

思います。

ああ、
人間は、私がこれまで観察してきた経過からいいますと、確実に、個体ではありやしません。群体です。

あーなんといいますか、
ぼくはもう、
半ば死んでいる気がします。

それをどうにかしたい、とか、行動しよう、という気持ちに
ならない。

というかもう結構、満足なんです、
未完成や不満なことも含めて、結構、満足なんです。
完璧なんて望むべくもありませんので。
ぼくは、生きました。
ぼくを大事にしてくれる人もいます。
しあわせ

なぜなんだろう、
自分にとっていいことを、
いいって言って
はじめるしかないのに、

今日はたくさん笑った
笑わせてくれる誰かのおかげで。
わらって過ごせたら
昨日よりましな飯が食えたなら
今日はいい日だったと、

ああ、芽が出そう。
明日じゃだめなんだ。
いまじゃなきゃ、だめなんだ。
 
 
 
・・・
 

2012/12/27 なくなくなくはないこと
フードのついたパーカーに
やわらかめの黒のジャケットをはおったら
とても着ぶくれた
それだけじゃ寒いから上にコートも着てしまうので
やっぱりぷっくぷくになる
気分は悪くない。
マフラーわすれた。
 
言えることは何にもないけど
あなたの楽しみになりたい。
どうでもよくなく なくないことは、
ほとんどないでしょ、そうでしょう。
 
 
うん!
いこう。

アーカイヴ

ときどき見失いそうになる
いろんなこと
大事なこと
さっきまでつかんでた、瞬間が
気づいたら指の隙間からこぼれ落ちていたってことに
すら気づけない
ああ、これが、
みなの見ている、世界か、
あたりまえか、
ふつうのことか、
そんな風に
思った
僕は
少しあふつうに、なれたのだろうか、
そしてそれは、
喜ばしいことだろうか、

感情の起伏よりも
安定安心を選んで
荷物をまとめ
流れの速い未来へ飛び込み
その渦のなかで過去を忘れ
そぎおとされ
当たり前 を育て
変わっていく
僕にはわからない、
わからなかった、
でも、
少したぶん、わかってしまった、

そうした瞬間に、
あいだの瞬間に、
最近ぼくがわかったこと
ときどき見失いそうになる
いろんなこと、
はっと気づいて
その糸を見つけたらば
なんとかして掴もうとする、
思い出そうとする、
でも、もう、腕がのびない
それは風のなかに消えてしまって
思い出せない、

大事な、
こと、
僕にとって、
大事だった、
こと、

みんな、
そうなのか、

痛みも悲しみも
 
慣れてしまえば「ふつう」だろうか、
 
そしてそれは「強くなった」ということなのだろうか、
 
誰かを失うことも、
そのあらわせない感情も、
ふと思い出して泣いたきもちも、
このなみだの温度も、
 
忘れるんだろう、
 
忘れるんだろう、
 
 
 
・・・
 

2012/12/25 新しいお家
引越しました。
京都から大阪へ。
  
前のおうち、色々なことがありました。
悲しいこと、辛いこと そーとーありました。
でも、それだけじゃなかったと思うから、
忘れたくありません。
なかったことには したくありません。
  
これからは新しいお家と、新しい街を愛するよ。

僕はここにいたい

久しぶりにバンドの練習音源を聴いてみた
最近はずっと新しい音楽を聴いてみていたので、もしくは無音の境地
 

まあ
やっぱり
 
どの音楽よりも、おれのやってる音楽が
一番よかったです。いや、一番曲がいい。
 
そりゃあそおさあ~
 
やりましょう、
 
わるかったねえ、出来た音楽家や面白いバンドメンバーではなくてね、
でもね、
 
愛しているのよ。
 
 
BGM:鬼/四星球 にて。
 
 
 
・・・

2012/12/24 吉凶飛んぶ
頭の向こうのほうで、さっきから
かすかな風鈴のような
金属を棒でつついたような音が
 
・・・ 
 
十月。すべてをなくした。それはそれは全てのはじまり。
二月。悲しいことが起きた。嘘と、現実と、嘘と、まがいものの愛情、まがいものの殺意。どいつもこいつも従いきれず、かつ捨てきれず。
四月。切り捨てられるように全てを諦めた。諦めざるをえなかった。生き延ばしのはじまり。何度も何度も死のうと思った。
五月。いぬさんに連れられて、やさしいうたと新しい世界に出会った。それが私のいのちをつないだ。
 
・・・
 
六月。新しいものと、過去の自分がいりまじり交錯。けっきょく。苦しくなるのだ。
 
・・・
 
七月。連れられて、たくさんの新しい場所に出会った。ひとは、変われる。気持ちひとつだって言っていたそれを、私は信じられなかった。だれもかれも、言いたいだけで、甘えてばかりで、嘘ばかりだと思った。
八月。何度も何度も説得されて、半信半疑で、はじめてみよう、と思った。信念、こころの力。愛情の力。なんども私は疑って、なんども私は終わりにしたがった。
 
・・・
 
九月。富山県 おわら風の盆に行った。祭りというものの力。ただそこに、つながり、続いてゆくもの。それらのみせる、蓄えられた力。うねりと旋律と爆発。私にとって大切な、不可欠な、それは一体、何なのだろうか。
十月。めまぐるしく、なにかを考える暇も与えないで、過ぎる日々だった。その中で大事なものが変わっていった。引越しせねばな、となってから、日々がとても速かった。出ていかねばならない。現在と、過去。晴れないもやを消し飛ばすために、とてもたくさんの力が必要だった。目まぐるしさの中で、大事なものが変わっていった気がした。それはそれは、それは、恐ろしかった!
十一月。引越し先が決まる。手続きやら色々なことを、ひとつずつ整える。いらないものを、捨てた。あのとき、あのころ、確かに手に入れたものを、捨てた。捨てた。捨てた。自分の身を、皮を剥いで、削りとって、一枚、一枚、捨てていくようだった。
 
・・・
 
十二月。ひどい風邪をひいた。咳が止まらない。医者に行っても薬が効かない。息をするな、と言われているようだった。何かの罰を一身に受けているようだった。もうやめておくれ。もう何もいらん。やるならやれ。そう思った。思い続けた。

なゆなうわゆわなへいみー

新しいあさがきたー
 
いつもよりかは余裕をもち家を出た。よし、いい具合である。
 
えーっさーらほいさー♪やいのやいのー♪
というフレーズ(歌)が浮かんだので歌いながら通勤道を歩きますが
やはり私はおばあちゃんの血を引き継いでいるな、と思うのでした。
ばあちゃんはとてもユルイ自作の歌のセンスがございました。
なんか大体お料理中とかは歌ってました。
 
戦時中とはどんな時代だったのでしょう。
ばあちゃん、この国はいま、どうでしょうか?
 
春ですなあ
むしろ軽く初夏きてますなあ
軽装めの春・秋用の上着が 衣替えする暇もなくお蔵入りするうー!
 
久しぶりに頭ながれて聴きたくなった
LIMP BIZKIT 「Take A Look Around」
 
Now I Know Why You Wanna Hate Me,
 
めきめき楽しい。
お仕事おえてかえりまーす
 
僕のいつも行く会社近くのスパーマーケットにはー
僕のいつも欲しい スゴイダイズ とゆう豆乳飲料がー
置いてなーいー
 
なゆなうわゆわなへいみー
 
 
どうか動いてくれ、僕のバンド、僕の音楽、僕の運命、僕の体、僕の心、感情、かぜよ、かぜよ、ふけ。どうかとまらないで。
 
 
 
・・・
 

2012/12/23 少量る
きのう。
荷物が運ばれてくる前、新居の床で、
引越し業者さんの到着を待って、
つめたいフローリングの床の上、転がった。
つめたい。
 
言い忘れたことがいっぱいある。
話すタイミングは結構あったはずなのにな。
 
もらったチロルチョコレート
左のポケット入れてた。
すぐ食べようと思って
でも、いざ取り出してみると、なんだか食べられなくて
そのまま またポケット戻す。
何回か繰り返して
お守りみたいになっちゃって
ポケット手つっこむたびに気づいて
あーこれ、溶けちゃうな、食べないとなーとか
頭ん中がまわりだしたら そこから色々考えたり 思い出したりもする。
 
よなよなエールを買うと決めてたのに、いつも追いてたコンビニに無くなっててがっかりしたこと。
そのうたを少し、作ったこと。
君の言葉が今になって色々とわかったかもしれないなということ。
 
大きな声で歌ってても
遠すぎるよ、まるで。

私のいのち

Flickrに絵をまとめはじめました。
https://www.flickr.com/photos/nsgphoto/
 
もともと、私の人生の楽しみは、描くことでした。
別に何のためでもないです、自分の表現のために描きました。
そして、コミュニケーションのために描きました。
 
そして、それを公開できる場が、インターネット、WEBでした。
 
絵と音楽が、私の表現だったかなあと思います。
 
誰にも褒めてもらえなくても、というと多分うそになると思います、
褒めてくれる誰かがいたからこそ、嬉しかったし、
多分、褒めの言葉じゃなくてもよかったと思います。
リ・アクションがほしかった。
無視しないでほしかった。
 
私にとって大切なことは、
そういうことでした。
 
絵も、うたも、私にとって、生活でした。
当たり前にそばにあって、でも必須ではない、
必須ではないからこそ、することに、意味がうまれます。
続けること、そのものが、情熱です。
 
特別なことなんかしなくていいです。
誰かに勝つこともしなくていいんです。
 
好きなことを、好きなように、好きなだけ、
つづけたかったなあと、
思います、
 
ここで思ったけど
あれ、なんで続けられないのか?
 
なんでなんだろ、
 
よくわかんないです、
 
 
 
・・・
 

2012/12/20 無恥なる幸福
幸せなやつらは、安全な場所からデリカシーのない言葉を平気で吐き逃げするからきらいやわー。
私もそのたちやな。
 
いかに人間、自分さえ幸せやったらいいかゆうことですかね。
私もそのたちです よ。
 
たまにそれを微塵も感じさせない人もいるんだけどね。
なんなんだろうな、あれは。
天使か何かかな。
うらやましー
 
CD買うた。とても緊張した。
初めて会うひとが、私の大切な漫画を持ってきた。
そんな感じで不思議やった。
 
大阪へ帰ってくるひと。
東京へ出て行くひと。
 
わたしは京都をはなれます。

だいイチびるだいニビる

ただ、そこにあるからある。
でも、それを続けることが情熱なのだと、いまも思っている。
 
そう、頭の中に何度か思い出すことを、書きます。そうしてひとつの着地点、落とし込みといたします。
ぼくはそれを繰り返して生きてきた。

むかし美しいと私が思い込んでた、いまはすげえきらいな奴の顔が、
はからず全くの不可抗力で久しぶりに写真で見たときに、
すげえ意地の悪い人間の顔になっとって、
びっくりした。思いがけなかった。

でもなんだか、本当にそこで胸がすっとした、納得いってしまった。
それも私は自分も根性がわりいなとは思うし、本当にくだらないけど、まあ、そんなしょうもないことだったのだ。

僕の新しい街にも、二度目のはるがくる。
いまはまだちょっとさみいが、
きっともうすぐだ。

とある友達のバンドの話題に、なったかどうか覚えてないがそのとき、
「あー、そーいえばさぁ、●●(バンド名)、さいきんどーしちゃったの?ジェイポップになっちゃったん?」
て、かんぜんに人を見下して馬鹿にしたいつもの笑いかたを浮かべるその人を私は、
言葉でもいいので殴ってあげられなかったことを、思い出すたびほんのすこしだけ後悔しているけど
すこしっていうぐらいで、私にすらどうでもいいと思われてるのは結構かわいそうだなあとは思う。

あとで気づいたけどYouTubeで一曲ぐらい最近のやつを聴いただけなんだろーなって思った
CDアルバム買うか借りるかでちゃんと聴いてみたら、そんなコメントにはならない、
なさけないし、本気で恥ずかしい、

こういう風にしか生きられない人って、変わらないんだなーってつくづく思う。
自分を守るだけ守って正当化することだけは力を注いでぬかりなく。
損をするとあったときだけ、主張激しく正論をならべて口先だけで何とかそれを逃れようとする。

いまは結構どうでも良くなってるんで
もう私はどうともしませんが、
私はね、あの強さ、美しさと、戦いたいと思ってさえいたよ。戦えるとさえ。

いまはとてもじゃないけどもう、それを思うてたことすら恥ずかしい。。。

情けない。。
恥ずかしい。。

っと気づいたら天満橋に着いていた。
谷9からご飯休憩とかをはさんで散歩しながらぶらぶらと北上したのだった。

帰ろう、
ぼくはもう誰かに期待するのはやめたんだ。

変わってくれることを期待するくらいなら、何もしてあげないほうがいいのだ。
人を変えることはほぼ不可能だ。
自分が変わるしか、ないんだよ。
 
何度も何度も考えて、ひらめいて、
へたくそでも、遅くてもそれを 少しずつ 育ててきた。
自分なりに、愛してきた。
 
ぼくはそれを、なかったことには したくありませんでした。
 
ぼくは動いた、と思う。
少なくとも逃げない。
それをただ、ふつうに誇ろうと思います。
 
帰ろう、
戻るべきところへ、
帰ろう、
 
 
 
 
・・・
 

2012/12/13 死にぞこないのおんがく
ロックンロールが定義するところが何なのか、ぼくには全くわからないが
どこにいても咳が止まらなくて、どこにいても息がしづらくて苦しかったけど、
ロックンロールの間だけは、嘘みたいに咳が止まった。
煙草の煙っぱいの場所で、
人がおおぜい詰まった換気の悪い空間で、
思い切り、息をしていられた。
そいで私は叫ばずにいられなかった。
 
ロックンロールのなかでなら、私は呼吸ができた。
ロックンロールが私に、息をしろ、と言った。
 
なあ。
ずっと、生きづらかったんだ。
 
あの頃、私はお金が今よりもっとなくって、
ライブももっと、どれ行くか絞りこまなきゃいけなかったし、
ライブハウスに行けたとしても、CDなんか買えやしなかった。
 
でも、あの頃私は、確かに、ドラマーだった。
そして、守るべく生活があった。
愛する、キャバーンクラブのコミュニティがあった。
貧乏だったし、ものすごく不安だったけれど、しあわせだった。
 
・・・気がする。
 
自分たちのバンドの音源を、バイトの通勤時間に何度も何度も聴いて。
心が踊った。どんな音楽も、自分たちの鳴らしたおとには、かなわなかった。
 
音楽とは。
 
何気ない散歩中の鼻歌だったり、春の風にふかれたときの木のざわめき、
葉っぱが落ちる音、何だかわからないけど生き物がうごめく音の集合だったり、
冬の地下鉄でみみが冷えてきーんってなってるときに響いてくる、
コツコツいうヒールの音だったり、
ただ、そこにあるからある。
でも、それを続けることが情熱なのだと、いまも思っている。
 
何度も何度も考えて、ひらめいて、
へたくそでも、遅くてもそれを 少しずつ 育ててきた。
自分なりに、愛してきた。
 
ぼくはそれを、なかったことには したくありませんでした。