スラーの一夜

長めの一日がおわり  くたくたで 本日の自分の寝床へころがりこんだ。
 
りくつではさっぱりなぜなのだかわからないのだけれど、
なんとなく 何だかとても複雑なきもちだ
きもちがまざりすぎ、というよりかは
つよい感情が多種混在過ぎる、というかんじだ
不自由さ
頭がいたい フィジカル
何って聞かれるといえないが何かうまく行っていない感じである、
悪いことがあるわけではないがいい感じといいきれない
 
とはいえ、それは全体的なことでも自分以的なことでもなくって
たんじゅんに自分のなかの不自由さのようだ。
 
「リミッターを外す」という行為、
私にとっては「おりてくる」ということなのだと思っていたのだけど
そういうことだと思う。

それがとても下手くそになってる。
我が、最も辛いタイプの変化である
 
はずしたい
このままでは何にもなられない
ぼくは自分になりたい、自分のまわりにはまってる枷を、ひとつひとつ、外していきたい。
そうして、ぼくは自由なんだ、だからきみも自由なんだ、
そう言いたくてずっとやっている。
というと語弊があり 本当はものすごく個人的な感情とか感覚でやってきてるけど、
もし対外的なことを言うなれば確実にそれはあるといえる。
個人的なこと、それだけではやりきれないんだと最近思っているからだ。
他人、それは確実に、芯のちかくにある重要なマターである。
 
 
 
・・・

2013/01/01 あけました
年越したあとに一気に疲れがきて、お正月ダイヤの駅で20分正座して寝て電車を待った。

年末の三日間、ぜんぶライブを見に行ったなあ。
まあお金のかかる遊びですこと!と思うが
それでも行ってよかったな。
 
毎年1月1日、牧野駅へやってきてお寺でおみくじを引いて帰ります。
 
道場の跡は今年は駐車場になっていた。ぼくは知らなくていいことを知らせているだろーか?
この場所を愛している。
 
誰にいわれなくても、褒めてもらえなくても、あんたの体は、あんたが動かしてるんでしょう。
 
それが全部で、それでいいのでしょう。
 
去年もそのまえも、ここへ来た。景色はほとんど全然違う。うける意味も全部違う。
なぜなら、場所と居場所ってのは全くの別次元のはなしだから。
私がおもってることもきっと全然ちがう。
でも、変わってくなかに、変わらないものがあるってことはいつも信じていたくて、ここにいるんだと思う。
 
橋の上でじゃがバター食べて けえる。

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