きみを想うと今日もねむれない
あーあーあー
あかん、ほんまに生活だめになってる。
ぜんっぜん起きれないし。
クマひどいし。泣ける
あたりまえで透明なもの
なるほど、失うときに愛おしさが爆発的に輝くというのなら、
それこそ人生、終わる時にすべてが愛おしくてしかたなくなるのかなあ
捨てられないもの たくさんあるけど、あの世までは持ってけるもんは なんもない。
ってチャボさんが歌ってたその歌詞だけは印象に残った。 「清掃の歌」だそうです。
だとすれば「俺は死ぬまで完成なんかしない」 かぎりなく真
のような。そうでもないような。なんかちがうかな
愛おしいものを持っていけないからって、悔いが残るって意味じゃないけど。
ちゃんと愛さずに最後を迎えてしまったら、目の前の愛おしさをちゃんと愛さずにいたことに 後悔するかなあ。
どうなの?死んだひと。
ちゃんと愛して悔いがなかったら、目の前のものを愛してきて本当によかった、って言って、ゆけますか?
ん?ちゃんと愛する ってなんだ?
あめ あめ
久しぶりに雨。にびいろ、の一言では言い表せない何かをいっぱいに含んだ空の色。
街あかりが、一面にひろがった雲に投射されているようで せつなくて。
ヒールはいた女性にすんなりと追い越される私の歩くスピード。
あるてぃめっとレイザー聴いてる
なにをそんなに
雨、って、ただ単に鬱陶しいとか、テンション下がるとかそういう観点からではなく、
雨、
をただ感じようとすればするほど、ふしぎで、すごくて、感動する。
つよくて、たくましい自然の力に、ただ平伏するだけ。
人間の力でもまだコントロールなんてできやしないんだ。
ちゃちい傘で自分ひとり守るだけでせいいっぱいだぜ。
傘のない日は ちょうどいいって言い訳して、雨にうたれる 背いっぱい。
額をつたう雫が体温をうばって、皮膚感覚を通して、私が生きているって教えてくれる
美しくて、憂うつ。
あの人みたいで
また私を切なくさせた
あるてぃめっとレイザー!
が、好きすぎてつい一曲だけ、iTunes Storeで購入してしまいました。
神聖かまってちゃん の曲です。
かっこよすぎる。タワレコで試聴したとき、この曲を聴いたときの衝撃
こんなんあるんだなーって
うん、まだまだある、っていうのがすごい 私ぜんぜん音楽知らないし堀りすすんでもない、けど 単純にうれしい。
以上
スマイル
終わりなき今は 光にあふれて
君を悲しませるなと 僕に呼びかける
すれ違う日々を 君と追いかける
「明日は晴れるといいな」僕は君と話す
(おとぎ話「SMILE」より)
歌詞違ってたらごめんちゃい。
おとぎ話、なんか誰かが好きやって知ってて、
ある日ピンときて借りてきたCDからこの曲に出会って、
から、一ヶ月くらいずっと、ずっと、歌ったり、聴いたりしている。
すっ ごい、いい曲。
興味わいたら聴いてみてください
まだ一回しか
聴いたことないけど(しかも試聴)、
神聖かまってちゃん の 「あるてぃめっとレイザー!」って曲がすごい好きです。
あれ聴いて すごいCD欲しくなった でも買うてない。
欲しいものは
寝癖まみれの髪の毛はボサボサ、寝不足全開の顔は化粧どころか洗顔もしてない状態で黒ずんでいる。
膨らんだリュックを背負い、サンタクロースを思わせるくらいの大きなビニル袋を担ぎながら、手元にはずり落ちそうな手提げふたつ。
毛玉まみれの上着を着て、安物の厚底ブーツをごつごつ言わせながら、坂を下る。
建物のガラスに映った自分の姿を確認すると、髪の毛長いくせに何か女子に見えない、ひどい。マヒトのほうがよっぽど可愛いじゃないかと思う
「何をやっているんだ私は?」、
と一瞬思うが、ぽかぽか降り注ぐ太陽と、すれ違う人々からのほんの少しの好奇の目にあてられて、何かテンションだけは うなぎのぼる。
するとこうなる。
「ああ 何やってるんだろっ、私っ!!」。
坂の途中に工事現場。交通整理する人が道沿いに3人、配置されていて、真ん中二人目のおっちゃんが大荷物の私に、
「あらら、これからどっか引っ越しかいな!」
と満面の笑顔で言うから、
私も満面の笑みで「京都に!」と答えた。
ほんとに引っ越しだと思って言ってたのかどうか分からないけど(多分違う)、おっちゃんはまたナハハと笑って見送ってくれた。
素敵な人。
私ってたいしたことない。たいしたことないんだけど。
それを特別だと思える人たちと私。その間にある、平和で、変で、なんともない日常。
(BGM:クラムボン「おだやかな暮らし」)
妄想いんたねっと
インターネット開通!やった。便利。
普通にルータとか設定できた自分が嬉しい というかもっと何かごちゃごちゃ設定いらなかったっけ?まあいいや
晴れ。ぽかぽかぬくたーい。ねむたーい
太陽が明るいと私の気分も無条件で明るくなるからすごい。
これがきっと 神様 ってたぐいのやつなんだろうなと思う。だって無条件だぜ、無条件
人もおなじ気がするかな かなかな
そう考えると宗教って実はすごく直感的で本能的なんじゃないかとか とかとか
朝が来なかった日は今のところない。
私のなまえは 明日美。
あした、今日よりうつくしくなれますように。
と、両親がつけてくれた名前。 わたしも強くそう願う。
うまれる前は男の子だと思われていて、もしも男の子だったら 「健太郎」でした。けんたろー。
で、女の子ってわかってから 一回つけようと候補にあがってた名前は「レイ」(漢字は不明)だったそうですが、モリモト レイ って、学校でいじめられそうだからやめたそうです(たしか)。
<ヒント:レオ>
そんな話はどうでもいい!!!!
朝を待ってるんだ、いつもいつも、朝を待ってる。
朝が来ると、始まる気がする。それだけで救われる気がする。
朝はそんな他力本願な私を、かつて一度も裏切ったことがない。
そんな私は、朝を愛しているといえるだろうか?
ただ差し伸べられる救いにあまんじているだけではないのだろうか?
もしも朝がやってこなかったときが一度でもあっても、私は朝を今までと同じように信じることができるだろうか?
そして信じることができないのなら、それは、私が、無償の愛を、吸い取っていただけだっていう証明にほかならないのではないだろうか?
とかなんとか、いわゆるたとえ話。変に考えすぎるのはよくないくせだけど。
うーん いつもここに来てくれて、ありがとー
げんきなの?
きみはそれでいいの?むりしてない?
たまにはワガママいってさ、振り回してちょうだいよ。
それでもきみを、好きでいられたらいいなあ
(BGM: サイケな恋人/モーモールルギャバン)
NAGAI
忙しいとき、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、その前にそれを片付けて…
って思考をいっぱいいっぱい使って、ふう、って疲れたあと、
ふと電車の移動時に車窓から外を眺めると、見えるものがいつもより多くて、しかもたいへん興味ぶかく見えた。
でも忙しいので、思い立って近くの駅で降りてそこへ行って間近に眺める、ということができない。
しかし暇ができたらわざわざ行く気になるかといったら、行かないよねー
手が届かないから欲しくなる、人のものだから羨ましくなる。
自分にないものは輝いて見える。
大切なものは悲しいほど脆い 失えば何だって美しい!(実弾/syrup16gより)
多分私はずっとこんな具合に、ないものねだりで、なりたがりで、羨ましがりで、身の程知らずなんだろうな
まとまった時間を強制的にくれる、電車の移動タイムは、
私にとってかなり必要。
あ、引っ越しました、最寄は京阪 清水五条です。
スーパーが遠い。物価高い。業務スーパーないの??寒い!!
テンションだけはうなぎのぼっている。
コミュニケーション・ブレイクダンスー
目と目で通じあえたら こんなこたぁないのに!
ツタヤに行ってノートを買った。
レジの娘さんが可愛いすぎて、
おつりだけもらって、「あ、あ、ありがとう!」って言いながら
袋に入れてくれてるノートをあやうく貰わず帰るところだった。
「あ、あの、あの…可愛いっすね!!」
って、言える勇気が私にあったなら…。って思う。
チャンスはできていたのに。
バカ!バカバカ!
こんなんじゃまだまだ肉食系になんてなれないよ!
同じツタヤで、絵本コーナーに「まくらのせんにん」っていう面白い絵本があったので、
ほんとに面白いと思うので、おすすめ。 お金に余裕があったならシリーズ買いしてた。
「まくらのせんにん」ね。
まんま
足首に、ひねったような痛みが、一昨日あたりからじょじょに強くなってきている。
何?なに?何かしたっけ。あれかな、チャリのチェーンが外れたときかな