俺は世の中が嫌いじゃない
ふさぎこむ理由はどこにもない
頭の中の夢こそ現実
笑って生きるのさ それの何が悪い!(社会生活不適合者/斉藤和義)
鹿児島営業所の方が飲み会の時に、ドラムやってるんですよね!僕もやってたんですよ!って話をしにきてくれて(嬉しかった)でもやっぱりSyrup16gは知らないというので、じゃあ有名なアーティストでいうと斉藤和義とか好きです〜って言った(斉藤和義はだいたい誰でも通じるから嬉しいなあ)
有名なやつけっこう好きなはずなんだけど、ゆらゆら帝国を知らない人がいる、っていうよくわからない現実があるので、なにが有名でなにが有名じゃないかなんて知ってるか知ってないかぐらいの違いだから確率の問題かなって思う。
漫画も絵も音楽もゲームも小説も、それを体験したずっと後になって、もう一度思い返したりあらためて体験しなおしたときに、まえと違う事がわかる、ような作品が自分は好きで、
映画とか、2周目だとわかることが違うことってけっこうあるじゃん。あれです。音楽も、時間の芸術だから性格上、結構そういう体験できる率が高くて、だから好きなんだろうなぁーって
何年もあとになって読み返した小説や漫画が、そういう意味だったのか!!って思えるのって、やっぱ自分の脳みその変化とかあるじゃないすか、
自分で言うと浪人時代とか、大学時代、そこをスタートラインに考えると、あまりに色んなことが脳の中で育ったな〜って思えることばかりだから、その頃にであった音楽とか漫画とか小説は今も一生ものであって、読み返すとやっぱ、ぜんぜん違うんすよ。
それが最高に面白い。
ひぐちアサの「ヤサシイワタシ」っていう漫画は本当にその代表格で、ずっと持っている漫画のひとつなんだけど、読み返すたびに、気づくこととか、人物について新しく思うことがある。全然意味不明に思えたせりふとか行動とかが織り込まれてあって、それが、あ!そっか!ってわかる瞬間がある。
永遠だなーって
最近は、どんな種類の作品でも「ファストだなー」って頭の中で言葉になることが多くて、
自分も生き方が雑だから、ファストなものに食いつく傾向っていうところがあって、そういうのについて考える。
そういうの考える。というだけであり、オチはない。
なよ
今日は京都で御ライブ。
ひさぶりのゲストハウスにチェックインした。なんと、銭湯とセットになってるところ!
まえから気になってた銭湯、のところだった…すごいきれい〜。そして今日は他にお客がおらず貸し切り〜、うれしい……
リハーサル前に、だらり とした。
ウーララ ありがとおございました。
おもしーかったです。でも限界。ライブ終わって速攻眠気に襲われまくっていたし、もりもとゎ、頑張った…
その後深夜まで酔っぱらい二人に囲まれてヘトヘトとなり、貸し切りゲストハウスへ帰ってきて、寝る。
あいつらまぢ長話。もりもとゎ、ねる…
neo japaneseは最高だった。一等賞〜
またみたい。
秀右(エンペラー)のマブ(と認識)、しょうぞう君はステージいかつかったけど話すと笑顔がおちゃめでいい人だった。
というかこの日の出演者だいたいステージ上がると空気感ばり変わるひとばっかだった
しょうぞう君は実は したっぱ親分 とか 魚雷魚 とかでわたし、けっこう見たことあったし話しかけたこともあったらしい。
私が覚えてなくて向こうが覚えてくれていたという現象、なかなかない、
本当に最近の自分の記憶の死に方すげえなーって思った。忘れる方はいつだってらくだなー
自分が酔っぱらいになれたらバッチリかな?もうぜんぶ無責任になっちゃってさ、何もかもを忘れてるぐらいで丁度いいんじゃないのかなーって最近思う。
考え疲れる。
すべてを〜裏切って〜あげた〜い
このゲストハウス気に入ったなあ。ドミトリーのベッドにカーテンちゃんと付いてるのって、必須だと思ってる!ないところ、案外ある。
音と光が完全に直で筒抜けになっちゃうから、ちょっとトイレに起きるとかも結構影響ある。着替とかもできない。プライベート空間が仕切れるって、だいじ~
だいじ~というだけであり。
オチはない。