ココイチでグランドマザーカレー食べたら、
ダルシムスプーンがあたったよ。
スプーンは欲しかったから うれしい。
エアコンつけてても寒くて、あんまし眠れなかった。
でも眠いから、ふるえながら目をとじていた
こういう日に限って、なんと明日は7時出勤(年に一度らしいけど)で、
朝5時半に家を出ないとならなかったりします。
バリアッツー!
いつ止められてもおかしくないガス、あやうし生活それ自体がおっきな趣味ですー
ココイチでグランドマザーカレー食べたら、
ダルシムスプーンがあたったよ。
スプーンは欲しかったから うれしい。
エアコンつけてても寒くて、あんまし眠れなかった。
でも眠いから、ふるえながら目をとじていた
こういう日に限って、なんと明日は7時出勤(年に一度らしいけど)で、
朝5時半に家を出ないとならなかったりします。
バリアッツー!
ポンパドウルという 色んなところにある(関西圏で見た)パン屋さんのパンがうまかとです。
でも、高いです。
ついつい通勤路にあるから 腹へりすぎて買ってまうねんけど…
朝からピザパンとか食べる うへへへ これあまずいぜ。ふとる。
そしてお仕事。
今は谷町四丁目で働いてます。
楽しいよ!
でもお仕事については色々と黙っておこうと思いました…
人に会ったらはなすけど!
で、で、壊れた洗濯機が全く脱水してくれないので
脱水してくれないまま びたぬれで 部屋干ししてたら、
夜中に ポタ… ポタ… って水滴がたれる音が
うわあああ!やめてえええ カビる!
そういうわけで 最近私の着ている服がくさいのは
洗濯機が壊れたため 生乾きだということでひとつ
許してほしいと思います。
ぼけ防止に謀計防止とはこれはいかに
昨日はAM1時に寝た。最近、睡眠不足で、風邪をひきかけているので体調がよろしくない。
というわけで、すーごく眠かったけど、なんだか、眠りたくなかった。
ベッドに向かうのを先延ばし先延ばしにして、片付けやら洗濯やら(部屋干しスペースが超足りない)したのち、お香をたいた。
ユーカリプタスって名前の ずいぶん前、まだ枚方に住んでいた頃に、
イズミヤで20個100円で買ってきたお香で(今も100円である可能性は高い、オススメ)、
ドレひとつ火をつけたあと、ベッドにもぐりこんだ。
なんだか 何かが燃えてる感 のにおいが部屋に充満。
けむ… けぶたい… なんかあんまりイイ匂いはしない…洗濯物がそまるうー
でも、なんだか落ち着く匂いだった。
けむり。何かが燃えているにおい。するするのぼって部屋を満たす灰色の空気。
たぶん、火は大昔からの人間のパワーだから、燃えるのはうれしいことなのだろう。
IHクッキングヒーターを使って肉や野菜を炒め、炊飯器でお米を炊いて、
オーブンレンジでパンを焼く私にとって、それは、なんだかとても遠くて古臭くて、なつかしいもののような。
なんだろう。
どこへ来てしまったのだろうなあ。
ねむいので、適当な頭はそんなふうに考えた。
なにか大事なことを忘れているような気がする 気がした。
ロンT二枚重ねして、その上にどてらを着込んで、
毛布二枚重ねして、その上に羽毛布団かぶせたベッドに
潜り込んで、丸まって、何かが燃えてる感の けぶたい匂いのなか、目をとじた。
起きている状態と眠っている状態の境目はどこなのか、眠りに落ちるとはどういうことなのか、一度考え出すとそのタイミングばかり見計らってしまって眠れなかった、中学校〜高校の頃のことを思うと不思議なくらい
一瞬で
晩御飯
うどんを茹でる。→ かまたま・ベーコン・うどん にして食べる。
ベーコンは正直なんでもいいから乗っけてみたというジャンク発想だけやけど案外おいしかった。
→ うどんの茹で汁でにんじんを茹でる
お母さんが送ってくれたにんじんがそろそろヤバかったので 何も考えずに煮てみた。
→ うどんを食べ終わったけど満たされなかったのでもう一玉、にんじん茹でてる鍋に投入
→ にんじん・鮭フレーク・うどん にして食べる。
とっても雑に生きている人がここに。
かといって別にまずいわけはなく おいしかったですのよ。
コンビニで買ったブリトーがおいしかったので
ブリトーのレシピを調べてみた。
簡単そうなこと書いてあるが本当にできるのだろうか
料理はセンスやと思う、私にはそのセンスがある日とない日の差がひどい(ある日は人並み程度)ので困っている、いや、べつに困っていない。
仕事終わってからクリスマスパーティー。
たこ焼きの具がちょこなんとか
たこ焼きの具がタコなんとか
食べさせてもろうた。
あとケーキとお酒いっぽんとあとあとプライスレス・電子ドラムセッション!
iPadエゲツかった 時代じゃ…これが時代じゃー
会費1000円 払い忘れた。ただ食い・ただ寝泊まり状態
ほんま… …
あかんで
知らない人と喋ることがなさすぎて 話題も私は知らないことだらけすぎて
困った!
別にほんとうは 知らない相手どうし、喋ることが無いのが普通だから
黙ったままの空気で正解なんだとか思っているんだけど
へんに気にしてしまってねえ
相手がかわいそうだから。
でも無理するのもうまくいかないからなあ、結局
こんなことで焦ってる私が小心者すぎてこまい
名前も顔もなかなか覚えらんないな
でも 長く付き合っていたら名前や顔くらいは自然と覚えるし
長く付き合わないのなら 覚えてもしょうがないんだよなあ
うまくやれないけど
誰もかれもが見知らぬ私に優しかったこと
注目されたとき おもろいこと言うとか みんなを盛り上げるとか
そういうことは私にはできんけれども
きっと私の役目はそこにはないのだと思って
おいてと。
大国町駅 初めて降りた。大阪だよ。
いい街や。玉造よりかは都会で 便利そうな印象。
考え方のちがいで議論。
というと どうもニュアンスが違って聞こえてしまうような
なんだかんだで、別に自分の考えは曲げないけど、
自分の考えを聴いてくれる人がいるっていうだけでけっこう、幸せよ。
ありがとねー
へんな人やなあ あなたたちは。
起きて仕事いって、
すー と帰宅して、
晩御飯は豚肉ヤキソバにしたんす。
われながら
なんっっにも考えずにごく自然に作る料理はおいしくできますね。
ふつうに
なんだか眠いけど 寝たくない夜やった。
や、すぐ寝たけど。
少しだけ、考え事をした気がしないでもない
例えば水たまりが怖くって、汚れたくないからまわり道を考えたりもするけど
そのむこうに君がいるなら、ばしゃばしゃ最短距離を行くことぐらいも
するだろ。
そんなことを
晩御飯はカップやきそば・塩 なんだぜ。
お腹が減りすぎて一気に食べてしまったうえに 昨日買いだめてきたパンをたいらげる。
満腹。すごくねむうなる。
横になる。
たくさんの時間が過ぎた。
ああ、かみさま。
足りることを知ることは、
幸せである。
あなたは欲しいものが何であるかほんとうはよく知っているんではないか。
コンビニにて、目のすんだお兄さんが、笑いかけてくれた。
店員さんではなく、たんにレジに並んでいただけのお客さんやと思う。
目がきらきらしていた。
私は恥ずかしうなって 一瞬で目をそらし逃亡。
あんなふうな目をした人と一緒にいられる人は幸せだろう。
か。
逃亡した先のパン屋さんにて、シュトレン という、
ドイツのクリスマスのパンが売っていた。
シュトレンとは、いわゆる「菓子パン」に分類されるらしいが、
1300円もする菓子パンはなかなか出会えない気がする。
このパンを知ったのは 今ドイツに行っている中山双葉ちゃん(ファンっす 好きデス…)の
ブログに書いてあったから なんやー。(なんか私きもいな、気のせいかな)
で、で、ここのパン屋さんはもう 私のお気に入りで、
今まで生きてきたなかで1番うまいパンをつぎつぎと繰り出してくるお店なので、
私はシュトレン全く食べたこともないしドイツも別に好きじゃないけど
買っちゃったよ!シュトレン!1300円だよ!わー
しかしDEKAI。重い。
家族ぐるみでやってるパン屋さんらしく
おじーちゃんとおばーちゃんが、二人一組でレジをやってくれるんやけど
それがもう それもまた 好きすぎて…もう 好きすぎて…。。
ほんっっとうに すばい(素晴らしい)す。
で、「変わったパンですねー」って言ったら、おばあちゃんが、
「そうでしょうー クリスマスには毎年、とくべつで焼くんですよー。
クリスマスまで日持ちもしますので ぜひおいしく食べてあげてくださいね」
ってなことを言ってくれた。
らぶりー おばーやん…。。
ええなあ
えかった。
お母さんがむかしにくれた ババくさいけどあったかいインナーを着込んで、
ケダマだらけやけどモコモコしてあったかい チェック柄の外套羽織って、
小さくてもいっぱい入る丈夫なかばんに、シュトレンをつめた。
で、家帰って、わくわくしている。
多分すぐ食べるけど、今年のクリスマスはケーキのかわりにこいつにします。
どんな味すんのかなー ふつーのパンなのかなー それともー
作り置きしといた おしる が
おかずにしては薄味やったから
ちょっと塩こしょうふったら
舌にビリビリきてしもうた。
喉ごしすごかった
でも刺激物は好きで もともと。
麻薬みたいに
酒はいらな 心のタガはずせんやつには なりとうない。
って言いながら最近 酔っ払ったノリにかこつけて電話かけてる気がする。
ざざざざんねん
しょうみ 全然酔ってはないのよ。意識はしっかりよ。
でもねエ.. ざんねんねエ…。。
「たまに」だから楽しいのも わかるの。
そりゃーそうなの、珍しいものが 刺激だからね。
でも、「たまに」をわざわざ作りださんと楽しめない、なんて
勿体無いじゃあないかいの
日常が好き。ひとがくらす、その風景が好き。
それを大切にできない私も確かにわたし。
だからこそ日常は、日常たりえるのだが。
喧騒、誰も知らない場所、遠い風のはこぶ場所。
決められたレールと、与えられたルール。
生活があって、いのちがあって、
それはつながっていて、
そこには必ずしも、ドラマがある。
生きることは、それ自体、劇薬だ。
与えられた以上、「いのちをかけて」生きねばならぬ。
そう思いたい。たとえそうでなくっとも。