2012年8月26日

2012年5月あたま
 
もう何も見たくない。
もう何も知りたくない。
何も信じられない。
何もわからないし、わかりたくない。
 
 
僕は。しにかけていた。
涙が出るぶんには、近くはないんだと思うけれど。
 
仕事おわって、帰る電車にどうしても乗れなくて、
大阪で、駅を通りすぎて、公園を通りすぎて、道端にへたって、
おきあがれなかった
風の音だけがびゅうびゅう耳をこすって
 
消えたかった
だれにも会いたくなかった
人に会えば愚痴のような、自虐的な言葉しかでなかった、
だれの言葉もききたくなかった
それでも誰かにすがらなきゃ生きてる気がしなかった
たくさん迷惑をかけた
ただ生きる価値のない自分だけそこにいて
ひとの邪魔になることしかできない自分だけそこにいて
それは誰がどうみたってそうなのだろうと思った
 
どうしようもないことを
でも、じゃあ、いや、でも、もしかしたら、いや、でも。
ずっと堂々巡りして 疲れ果ててねむる、のにも飽きて、
どうしようもなくからっぽで、
終わらせることにむかって、そのためにすることを考えて、むりやり日々を先延ばしにした。 どうでもいい夜がつづいた。
 
 
ある晩。やさしい音楽にであった。
 
ああ、こんなふうなものにまだ心をひらける、出会える自分があるんだ、と思った。
こんなふうに嬉しい気持ちになれる感覚が、まだ残ってるんだ、と思った。
生きようかなあ、と思った。
というか、それしかできないんだな、と思った。
 
友だちにしかられた。
それでもようやっと笑って、つかれて、眠れるようになった。
 
何かにつけて、色々な場所にでかけた。
たくさんライブハウスに行った たくさんの素晴らしいものに出会った。
とても感動したし、とてもワクワクした。
 
山ほど人の助けをかりた。さんざん色々押しかけたし電話もした。
そのくせろくに喋れなくて、目もあわせられなくて困った。
口からはでまかせばかり出る
どれが本当の気持ちだとか どれが本当に思ってることだとか
思うべきとか
もはやごちゃまぜで わからなかったから
 
ひとりで見る景色が輝きだしたのはいつからだろう?
それが当たり前になっていく瞬間ひとつひとつに、はっきりとした自覚があった。
それはうれしいでも かなしいでもなく
不思議な感覚だった。
 
誰も責任をとらなくて
それでも自分は立っている。
それがとてもへんてこなことに思えた。
一人では生きられないのに。
考えたら、それが当たり前のことだっていうことも、ふつうにわかるはずなのに。
 
 
 
新しい場所に出会った。
そこは私がむかしいた場所に少しにていた。
 
もっといたい と思って
でも、どこかでそれが、いけないことのような気がしていた。
 
人は過去には生きない。というのが当たり前らしいけれど、
私はそうは思っていないらしい。
私から見ると、みんな、過去をなかったことにしすぎに思えてしまう。
そうでもないのかな。
 
やってきたことが全てで、それって過去にしかないわけだから、
そこからしかわからないこと、そこからしか証明されないものがある。
私はきっと、それしか信用できないんだと思うんだな
 
もちろん、未来に望むことがなければ生きてゆかれないけれど
過去を大事に生きている、
そういうのがもうちょっと欲しいって思うときもある
でもそれって私の話だからな
 
だから、すこし私のルーツにふれる その場所は、
なつかしくって うれしくって
でも、むかしのその場所とは確かにちがうもので
それがなんとなくいけないことって思っていたというのは
その場所が、すごく、とじて見えたから。
そこに入ってしまったら、外のものと出会えなくなるような気がしたから。
 
過去にしばられるのと
過去を大事にするっていうのはちがう。
 
どうしても縛られてしまうものだし
でも、忘れたくないこと 忘れられないこと って、ある。あってほしいと願う。
 
私は、変わってしまうすべてが恐ろしい、
なかったことになる、無意味さが、
約束したことが、感じたことぜんぶが、
ここにいるっていうことも、誰かと関わったこと、
証拠も何ものこさずに、なかった、と言ってしまえば本当になかったことになる無慈悲さが、
すべてのことが、変わって、きえて、そんできえたことすらわからなくて、
そしてそれを当たり前だと、自分の都合で言えてしまう人間が、こわくて、つめたくて。
 
 
合理的に、一般的な幸福論で、なにもかもを選んでゆけたらそりゃあいいだろうな。
 
 
傷つくのが怖いなら傷つかないほうへまわれ
負けるのがいやなら勝つほうにまわれ
 
そんなつめたい人間に私もなってしまったやろか。
そんなつめたいこと。
そんなかなしいこと。
 
いうて僕は何かをえらぶ。
 
何かをえらぶということは、
何かをすてるということなんだな。
 
 
僕はすっかり平気になった。
僕はすっかりまともになった。
それともこれが一時的な非日常だったろうか?
あとになってみないとわからない
あとになってみて笑えたらいい
 
笑えたらいいか?
 
よくわからない、
でも私はここにいる。
 
ここにいるから、ここにいる。
 
 
うれしいとき、
君にあいたい
 

蝉時雨と午後の光
まだ生きて果てぬこの身なら
罪も悪も
我とともにありて

 
 

2011年11月25日 「ゆうさん SO うんどー」
 
わくわくしたり
どきどきしたり
ぎすぎすしたり
いらいらしたり
めそめそしたり
頼ったり
頼られたり
疑ったり
不安になったり
確かめてみたり
 
ああ、かわいいなあ って思ったかとおもえば
急にキリリとした表情みせて落ち着いたようす。
 
生きていくために必要な目くばせや、
自分を守るために、必要なずるさや、
思い通りにやるために他人を騙すウソや、
そういうものが見えたり隠れたりで
いやで、かなしくて、切なくって、苦しくって、
それでも愛おしいというだけで、
何もかも許してしまえることもある
感情論。
 
ひどいめにあっても、やり返すやつも、やり返さないやつもいる。
 
人間は面白い。
生きることは、騒ぎだね。

“2012年8月26日” への3件の返信

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