まっくらなみちを走る、
胸を高ぶらせ走る。
私のために走ってくれる人はいないけれど、
誰かのために、私は、走る。
私が求めるから。シンプルにそれだけ。
私は、私が愛する何かのために、格好悪くても、しんどくても、走れる人でありたい。
誰かの「ために」とは言うが、
私が勝手に求めるという場合も含めて、ね。
求められたくないって思ってる人にぶつかっていくのは、誰かのために、と言っていいのか甚だ疑問ではあるけど、それもここで含めてみる。
結局は無駄になっても、自分のキャパオーバーでも、それでも走れる人でありたい。
泣いてもいいから、話してほしいよ。
誰もが、余分な体力、抱えきれないキャパシティのために、とじてしまっているなら、
なぜ人は生きる?
なぜ私は存在する?
困った。ひじょーに、困った。
必要最低限の関係なんて、嫌だ。私は、嫌だ。
今は誰も、私を求めて走ったりしない。私は追うばかり。
それでもいつか、互いに全力でぶつかりあえるくらいの誰かに、また出会えるし、またそういう関係を築いていけると思っている。今は。
追う・追われるの関係??
私が求めるのはそんなものじゃない。
追えば逃げる?逃げたら諦める?嫌われたらしょうがないもんね?
それでも求める心は止まらないよ、きっと。
違いと、間違いに、何回も絶望するけど。
私には今のところ、やめることができない。
人間は、面白い。 好きです。
とじた殻の世界を開かせるような、信じられないようなすごい力が、人間のおなかの底には宿っているはずだから。
人間の生命力は、願う力、だ。
諦めたところでまたいつか、ぶりかえしてくる、静かから生まれる、情熱の炎だろ。
叶うから、願うんじゃない。叶わないから、願っても仕方ないんじゃない。
あんた、死にたいんじゃないんだろう?
叶うかもしれないって、願いながら、生きていたいんだろう?
願うから、叶うことを望むんだ。願うから、生きられるんだ。
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