しろうとしこうと

私は、何でも影響をうけやすい。
他人が簡単に自分のコア部分に侵略してくる。私はそれを大概楽しんでいたりする。
ただし、コアの大部分を他人任せにしているため、肝心の私の中身はスッカラカンで、安定しない。
潜在意識にひそむ既存物を、私が私の中に私の一部として取り込んだあと、私は、アウトプットをする。
よーするに一種のパクリで生きています。
 
パクリというと
商業のパクリはそりゃマズイと思うけど、思想としてのパクリをいけないとは全く思わないため、
そして可能なら商業のしがらみからできるだけ離れたいと思っているため、
パクリは本来、あたりまえで、普通で、たのしいものやと思っている。
 
でも、せっかくオリジナルを作ってくれた 人が、傷つくのなら、しちゃいけないと思う。
うわさ話も、隠しごとも、誘ったり誘わなかったりする人間関係の色々、「空気読む」ってやつも、
ようするに、一人一人されてヤなことの度合いも種類も違うから、全体のルールよりも、
その人が嫌ならしないであげるべき、っていうほら あの あれ です… えっと、うん。
思いやり? …私にとって心底、難しい、けど。
 
日本人の文化は、素晴らしいイイトコパクリの文化じゃないのかなって
まるまるコピーしがちなどっかの文化とはまた違う、外のものから、新しいものを、適切にリクリエーションする。
私はじつに日本人で、この国のそういう所が大好きだししっくりくる。
 
ただし私自信は想像力とアレンジ力があまりにも無いため、パクって何か作っても原作以下の個人趣味に落ち着いてしまうんですが…
 
バンドにしろ同人誌にしろ、版権か版権でないか、なんて、そもそもそんなに重要じゃないんじゃないか、と私は思うことがある。
本気か本気じゃないか、とか、受け手である客にとって素晴らしいかどうか、には直接関与するフラグではない気がする。
 
オリジナル曲をバンバンやってるバンドでも、見てて全然お金払う気にならないやつなんてごまんといるし、
コピーバンドしかやってない大学サークルの演奏で、うわコレ金払ってでももっと見たい!っていうレベルのやつもいるし。
 
だから、素晴らしいものをただ見たい!感じたい!と考えている私にとって、
いわゆる商業、マーケット、資本主義、的な概念が、けっこう邪魔だったりする。
 
いや、けっこう極論なのはわかっているんだけど…
コピーは最終的にもコピーやろうし。う”へ。
 
オリジナルやって盛り上がりにくいより、コピーやって盛り上がるほうがいい場合もあんじゃん!!
そのへんはあれだ、音楽のT・P・Oってやつっ!わかんないけど!
 
同人誌がどっかいった

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