花火をした。
ブランコに乗った。
苦しくなって泣いた。
それは、私にとっては、とても自然なことで
他の誰かにとっては、とても不自然なことだ。
ただ君を想い
幸せを願い
暮れゆく黄昏の中にいた
生きてる、それだけが
代わりのいないストーリー
いつまでも
君の横顔見てた
(二人のストーリー/YUKI)
食物連鎖についてのお話。
それにつきましては、噛み砕いてまた後日。
いつ止められてもおかしくないガス、あやうし生活それ自体がおっきな趣味ですー
嫉妬っていうキョーレツな感情の爆発と重さに、
心がたわんで、折れそうになるときにね、
私に一体どれだけの価値が、
…他人に対してそんな風に振る舞えるくらいの価値が…
あるのか?
ってことを考えるとね、
私は、楽になれるのね。
それは、自分がこの世界に生きていくにあたって持つべき、
何かしらの価値… 優秀さや、他人にとって役に立てたり、
存在意義のある利用価値のことや、
私はこれを持ってるぞ、私は誰に何を言われようとこれをやりきるんだぞ、
って胸を張って言える「芯」の部分、
そういうものを 自分のなかに、見出して やれない、からなんだと思うのね。
自分に対して客観的になればなるほど、
誰もあんたなんかいらないよね。
って、私は思う。
別にいてもいいけどね。
邪魔しないでよね。って。
迷惑かけるぐらいなら、誰もあんたになんか関わらないわよ、って。
メリットないから。って。
そうやって、やってきたし、そうやって、やっていくしかなかった。
私には、ひとが解らない。
何度間違えても、何回パターンを覚えても、
理解できていなければ、事例が増えていくだけだ。
みんな私を、怖いという。
私は自分のままでは、この世に生きていられないんだと思った。
捨てよう。捨てよう。
しかし自分は自分でしかない、
いつもその地点に戻ってきてしまうんだ。
小さい頃いつだったか、
「生きてゆくことは、世界のしくみや、おのれの中に生まれた
何かしらの”真理”を悟っていくこと、そしてそれを、繰り返していくこと」
だと、私は、思ったのね。
それを今でも、信じるときはある。
ただ、真理なんてどこにもないという真理に気づきつつもある。
無条件でぜんぶ、ぜんぶ、持っていかれるぐらいのすごい力を、
信じたいし、瞬間的に信じられることもある、
んだけど、
私ね、
他のみんなが、「我こそは」って、いのちを奪い合ってるときに、
前には、出れないと思うのね。
ようするに、それっていうのは..、
生きる資格ナシ、残る権利なし、
ってことだって、私にもわかるよ。
ただ、誰も認めてあげないなら、
私は認めてあげようと思います。
それだけ、思う。最高に自分勝手に、そう思う。
もとよりそれしか私には無かったっけか。