「世間」ってなに?
「世間」って、あなたのことだろう?
いつもお母さんに言われてきたのは
「恥ずかしいことばっかりしないで」って。
「立派で、誰にも文句言われないような、偉い人になってよ」って。
あれをああやりなさい、これをこうやりなさい。
でも、それがどうしてだか、わからなかったのね。
今もわからないでいる。
どれもこれも、他人が当たり前にやっていくようなことは、私にはちっともうまくできないのね。
でも仕方ないから、真似っこで、となりのやつがやってることを一緒にやってみたりする。
たまにうまく真似できたりすると、褒めてもらえる。
でも、やっぱり劣化コピーばかりにしかならなくて、
「どうしてそれができないの」
「どうして頑張らないの」
って。
わからないし、できない。
どうしてやるのかが、わからないから。
どうして頑張らなきゃならないのかが、わからない。
頑張るって何かが、わからない。
頑張る理由を、私は、持ってないからだね。
わたし、お父さんもお母さんもいて、幸せだよ。
わたしは、私だよ。
ただ、褒めてほしい。
私が私であることを、
認めてほしい。
私は、ここにいるって。
何もできなくても、私は生きているって。
証明したくて、されたくて。
いつも、いつも、
いつもいつもいつも、そうだった。
だから私は、家を出たがったし、
だから私は、いつも、自分とは何かを、自分の価値を、
他人のなかに、世界のなかに、探してしまうんだろうなと思う。
穴を掘っている。
うん、その通り、その通りだよ。
壁をこえようとするでもなく、
道を戻るでもない。
おかあさん、
生まれることも死ぬことも、
私にはさっぱりわからないけれど、
愛することは
勝利することじゃないと思うの。
愛することは
他の誰かの価値観のなかに
自分をねじ込むことじゃないと思うの。
愛することは、いつも命がけ。
愛することは、自分ひとりでは成り立たない。
愛することは、ときに自分を殺す毒にもなりうる。
愛することは、だから、私にはとても難しい。
おかあさん、
愛することは、ある種の恥を、
自分のなかに深く、受け止めてしまえる、
そういうことでもあるんじゃないかなと、私は思うのね。
「世間」ってなに?
生きるって、なに?
私はどうして生まれたのかな?
私はどうして、生きていかなきゃならないのかな?
それを、あなたが決めるの?
それを、あなたがくれるの?
全部の責任を、あなたが負ってくれるの?
私はねえ、
そんな人生は、いやだと思ったんだ。
確かにあなたが必要で、確かにあなたが支えてくれている、
でも、私は、私以外になれないと、思ったんだ。
あなたのやってきたことの価値を、あなたが大切に持っている愛のかたちを、
他の誰かが決めたり、奪ったり、貶めることが、一体どうしてできる?
一番怖いのは、
自分の価値や可能性や愛するもの、生きるための理由を、
自分の中にどうしても、自分が、見出してやれないことだよ。
何も望むことがないことだよ。
何も悔しいと思わなくて、
何も嬉しいと思わなくて、
涙ひとつぶも流れない。
幸せも、不幸せもなくて、
ただ一切が、過ぎてゆく。
死ぬってそういうことだと思うんだ。
つなぐ るぐる
祭りじゃ
レーン差
京都駅から歩いて帰る。
途中、かなり激しい通り雨をくらった。
もうすぐ家に着こうというところで、
建物の下に雨宿りして、困っているふうの家族が3人いて、
お母さんは一本だけ傘を持ってるけど、お父さんと子供の傘が無いみたいで、
2本持っていたうちの一本、傘をあげた。
いらないやつなんでよかったらどうぞ、って渡したんだけど、
なんかオロオロして喋らないでいたから、
外人さんだったか、はた迷惑だったか。
受け取ってくれたから、まあいいか。
雨はすぐやんだ。
長いこと大事にできるような 可愛い長傘が欲しいなーって思っていたんだけど、
それを他人に差し出すのはなかなかできないと思うから、
100均のビニル傘でよかったと思う。
誰かが私に関わるのが嬉しかったから、
私も、誰かに関わりたいと思う。
うまくやれなくてもいい
お片づけ
明け方まで部屋の片付けをやった。
でも結局あんまり片付いてなかった!
一般にいう 人が住んでる部屋 のレベルになかなかなりません!
え… それってだめですか?? っていう話がいっぱい。
これはもうあれですね、性格っすね。
で、ずっとダンボール入っちゃってた必要な本とか、持ってきた漫画とか小説とかを
本棚におさめた。
その過程で、私のいちばんの核にふれる大事な漫画
ひぐちアサ「ヤサシイワタシ」が出てきたので、2時間ぐらいかけて 読んだ。
朝が来たとき、また新しく違う意味と理解を持って目の前に現れるその世界が、
私に、時間を越えたこの場所に立っていることを、自覚させる。
その漫画のなかのセリフ。
「キズって自分でつけてるのにね
ムシすればいーのにさ 悲しいと思ってるのは自分なのに
なんで 止められないんだろう
思うんだけど 地球のエネルギーってほとんど太陽の力でしょ
生きものが生きてるのもその一つでしょ
食べたり出したり生まれたり死んだりして
物質をめぐらせてて
命もめぐってるように錯覚するけど
めぐってるのは物質だけで
エネルギーは 使ったらなくなるものでしょ
いくら願っても かなわないわよ
死んだって会えないよ
全部 終わったんだよ」
いいことを、いいって言っちゃって、
やり始めるしか、
ないです。
そう思ったから私は、走り始めようと思った。
ささくれんのも ねたむのも、望むからだ。
そんな感情ヌキの話したってさあ。
夢持つなって話になるじゃん。
うん、そうも 思った。思ったよ。
「死にたいのは 不安だからだけど
不安なのは 願うからだろ
世界に 自分に 願う姿が大きく見えると
足がすくんで動けなくなったり
動いても望みを持てなかったりするんだろ
あんた
死にたいんじゃなくて
願う姿で生きたかったんだろ
願いって
かなわなかったらダメなのか?」
この問いに対する答えを
私は持ったつもりでいた。
持ったつもりでいたけど、
いまは その答えがわからなく
なる 時も あるよ。
望みなかったら 続けられないのよ。
それはおなじなんだ。
「やりたいことなんて
とっくになくしてるんじゃないのか
オレは なんで耐えてるんだ
もう やめてもいいのか
まだ 耐えられるのか―――…」
乞うる、足アる
コア・ る・ 耐うる。
限りなく黒に近いお色となっております。
そのこころは歴史と、混沌。
今既にある存在価値をかなぐり捨て
欲するものは此れであると言い切れるのであれば、
傷つくことも、恐れることも、
全ておのれのために用意された
クサレ一ッ編の昔話の舞台のうち、
序章のまえの、
幕開け以前の、
準備段階の準備段階の準備段階の準備段階に
ただただ過ぎないのであるということを
痴るに至るに限られてくるのである。
核に孤独、
耐うることは歌うることであるか。
歩を捕られればもう戻れまい。
さあ螺子巻きは終了した。さあ始めたまい。
死ぬときは独り、踊り狂うて真赤赤、
火の中げらげら大嗤いでさあ。
<call / tall>
脳と能とノート
なす
過去の記事にいっこ写真を追加しときました。なすびおいる
・2011/07/10 ポスト-ゼロナイン
それだけ
りんじモルター りんじオルター
職場をでたとたん、なんだこの祭りムードは。
祇園祭って行ったことない、はず。
なんか地元の方の噂によると、天神祭より人ごみがヤバイらしい。
なぜなら道がはるかに狭いから、とのこと。
ふむ!
困ったんは、いつものバス停が移動していたこと。
普段、私の乗るバスがやって来る四条通りのド真ん中が、あきらかに、人が歩いていいゾーン になっとる。
だからバスがいつもと違う変な道順から走りだす。
ああ途中で降りればよかったな、と、
タクシーだらけ 人まみれの四条通りにバスが帰ってきたときに、思うた。
ぐーるぐる。
今朝、5時ごろなぜだか目が覚めた。
電気をつけっぱなしでいつの間にか寝ていたらしく、
何時だかわからず、仕事さぼって寝過ごしてしまった気もして、
びっくりして携帯を開いて時間を確認する。
めずらしい人から、ことばが届いた。
最近夢を見たので、なんだか不思議な感じ。
きみ悪くないよ。
きみは私を、嫌ってくれたらいいよ。
夜は、私の天敵のはずなのに、理解ならないはずなのに、
どうしてこんなに優しいのか、どうしてこんなに吸い込みたくなるのか、
わかりません。
それは、君を見ているときのようです。
だから私は、私もその闇色を食べることができたらどんなにいいかと思ったものでした。
やっと来た市バス、今日は乱暴な運転手にあたってしまったようで
グワングワン揺れるバスの中から、いつもの二倍は人が歩いている通りを眺めた。
浴衣の人たち、家族連れ、はしゃぐ外人ら、風船くくりつけた子供、団体で歩く若者たち。
見慣れない屋台、ド派手なやぐら、歩道に出張った飲食店のテーブル。
その景色のなかに何かを探そうとした。
本当はいつも、探そうとしてしまうけれど、やめることにしている。
探すのやめて、睨みつける。
ただ、睨みつけてみるだけだけどね。
ここに引っ越してきてから、私の生活や視界のなかに、みずから望まなくても、足を運ばなくても、
ひとびとの非日常が、ひとびとの望みが、勝手に入ってくる。
そんな土地に引っ越すのは初めてかもしれないね。
ただ単に度合いの差、ってことなのかな。
近所の、異様に料金が高くて 普段全く車が停まってないパーキングに、今夜は車が一台みえる。
うん。ただいま。
今日の四条堀川。
ふうせん。