ごみ出して家を出る。
なんだか色々のバランスとれてないなあと思う
目の前のことをとりあえずやるけれど
目の前のことだけでも やれてないことが
こぼれることが沢山でてきてあせる
それでも生きていることがずっとましか。
日常が日常たるものになってきた。
へいわだ
携帯電話がいよいよイカレてきたので
ちょうどよい機会にスマートフォンとゆうやつに変えようと思います。
自分にとっては 車とかと同じで まったく関わりたくないというかそういう代物なのですが
なんとなく
ちょっとぐらい勢いにまかせてのってみるなら、この部分であって、
それは今かな、と思ったので。やってみよう
まったく関わりたくない、というのは、
贅沢を知ると 贅沢しかできんくなるなあと思って
私はお金持ちでもないし やりたいことをやるための必要最低限のお金は欲しいとおもうけれども
お金持ちになりたいとは思わない(でも色々うまくやりくりとか 交渉とかはできないので お金でゴリ押しできるものならそれはそれで面倒がなくていいなあとは思ったりもする)
今、インターネットがちょっとでもなくなったらすごく困るようにさ
昔はそんなん無くても なんとかなってたことなのになー
ガラケー(ガラパゴスケータイ。スマホじゃないタイプの携帯のことをこう言うらしい)でも別に生活できていたし、特にそのままで、慣れてるものが一番のツールなんじゃないかなあと思うんです
手に負えないものを、欲しいとおもうことは いいけれど
踊らされてるだけなんじゃないかなって思う
ほんとうは近くにある十分な幸せを
じゅうぶん大事にできたらええのにねー
ふんふー
2011年11月28日 「やくしマる」
作り置きしといた おしる が
おかずにしては薄味やったから
ちょっと塩こしょうふったら
舌にビリビリきてしもうた。
喉ごしすごかった
でも刺激物は好きで もともと。
麻薬みたいに
酒はいらな 心のタガはずせんやつには なりとうない。
って言いながら最近 酔っ払ったノリにかこつけて電話かけてる気がする。
ざざざざんねん
しょうみ 全然酔ってはないのよ。意識はしっかりよ。
でもねエ.. ざんねんねエ…。。
「たまに」だから楽しいのも わかるの。
そりゃーそうなの、珍しいものが 刺激だからね。
でも、「たまに」をわざわざ作りださんと楽しめない、なんて
勿体無いじゃあないかいの
日常が好き。ひとがくらす、その風景が好き。
それを大切にできない私も確かにわたし。
だからこそ日常は、日常たりえるのだが。
喧騒、誰も知らない場所、遠い風のはこぶ場所。
決められたレールと、与えられたルール。
生活があって、いのちがあって、
それはつながっていて、
そこには必ずしも、ドラマがある。
生きることは、それ自体、劇薬だ。
与えられた以上、「いのちをかけて」生きねばならぬ。
そう思いたい。たとえそうでなくっとも。