まともがわからない

むう、今気づいたけど、太陽は見張り番じゃないか。ごめんなさいは青空じゃないか。
 
まともって何なのか?
ごくふつーに望みをかなえるために、まともであるために、言えないことが沢山ふえた。言わないことも積もっていった。
みんながどーやって生きてどーしてそんな風なのかが少しわかった。
私には、言わないでいること、出さない感情なんて、つい最近のある時期まで、なかった。必ずどこかへはアウトプットされていた。だからずっと、悩みというものがなかったし、ストレスに苦しむということが意味不明だった。
 
なぜ溜め込む必要があるのか、溜め込むのを選んでんのは自分じゃねえか。うまくやろうとして、目先のことばっか選んで、怖がってるのは自分じゃねえか。抱え込むストレスを他人のせいにすんな。いやなら抱え込まなきゃいいだけ。そう思ってた。
 
社会ってなんだろー 他人ってなんだろ
最近自分がわからない
やりたいようにやればいい
言いたいことを言えばいい
それだけのことがかなわないのは、どうしてだろー
思いやりってなんだろー
じゃあ自分ってどこにいるのだろー
わからなんなった
 
当たり前に受け取ってきたひとの笑顔が
ほんとうは笑顔じゃないことを知ったとき。
自分で嘘をついてみて初めて、相手がずっと、嘘をついてくれていたことを知ったとき。
目の前のものを、そのままには受け取れなくなった。よく、みえなくなった。
そしてそれが、みんなの当たり前。
 
わかったつもりでわかってない
わかってないつもりで実は知ってるかもね。

曖昧なものは曖昧なままで。
大切なものは、やっぱそのままで。
 
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帰りに駅前のたこ焼きやさんあいてたけん、たべた。ふるい歌謡曲が流れていて、ロン毛で白髪のイカした店のおっちゃんはノリノリで歌い踊ってた。
たこ焼きもタコ判も塩マヨがいっちゃんすき。

まいしゅうまい

床に落としたしゅーまいを、「そんなん捨てなさい」って言えてしまうことを豊かさとはおもわない