喜びも叱り 悲しみも叱り

走ってきました。
ちょっぴりだけやけど。その三倍ぐらい歩いて きたく。

すごくよい景色を見つけた、たいこ叩いて歌ってる人がいた。すごくええ声やった。
城北公園 からの、淀川。
きれえかった。またいこー

なんだかずっともやもやしてる気がする、どうした?
って 言われたのだった。
驚いたのだ。

よく私のことを知ってくれてる人が、いる。
あー、わたし、生きてんだな。
と思った。

いい意味で変わったってさ。
前の私はもっと、まっさらで、何もかもをぜんぶ取り込もうとしてるところがあるみたいだった、って。
それはけしてよいことじゃないから、って。

今はもうちょっとはっきりしてるらしい。
ほんとかな。

私はまっさらな方が、よかったんだけどな。

何も知らずに、何も選ばずに
いられたら。

長いこと、そういられたから。
悩みなんてほんとになかった。
自分でいさえすればよかった、

目の前広がるながい広い川 ながめて、そう思った。

水のよに、痛みも喜びも受け取り、
水のよに、注いでかえす。
染まり、溶けて、かたちを変える。

なあ、ずっと息がしづらかったんだ。
水中は苦しいから。
でも、注ぐさきがあればこそ、
と、
思うた。

ぼくの小さな
忘れたいこと
壊したいこと

忘れてしまうひと。
忘れないひと。

なぜ悲しくなったのんかわからない。
記憶のなかみを押し殺した
背徳感。
積んだ罪はなくならない、
選んだみちは引き返せない。
なかった事にも しとうない。

けれど望むのは、繰り返しでは決してないから、
私はもうくらげには 戻らない。

きれいすぎる水では
生きられない。
それでも君と泳いでたいから、
のぞんだよ。

原点はどこだろか。
いっぺん、始めにもどれと、そう言うたね。
それはどこだったんだっけか。

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