さんがついたちごっこ

予定してたことを全部うっちゃって、長い長い夢のなかにいた。

喉の風邪が完治していないのもある。

暫くバンドでの練習がない

正直、音楽をやっていないときの自分は何をやっているのかわからない

気がしているのは今だけか

友達がやさしい
ごめんね

声をかけてくれる。だいじょうぶ、って。
それにこたえられない自分がもどかしい

何がこんなに不満なんだろう
何がこんなにしんどいんだろう
こたえたい
嬉しいけど、心配されとうない

自信もって  あなたと楽しく、一緒にいたい、
あなたを楽しませられるくらいに

でもいま、できる気がしない

距離感 虚無感

勝手に勘違いして、
・・・まあそれはいいや、なぜって私が超絶勝手に勘違いやろうだから。
 
勝手に勘違いして、勝手にがっかりして、それをぶつけてくる。
迷惑極まりない
ちゃんと知ろうとしてくれて、人間関係を育ててくれる人ばっかりだったらいいのにね。そうはいかんもんね。
 
二月、おわりますね
 
わたしねー
頑張ってるのに なぜスゴイと言わないのよ、って、言うデショ。
それってガンバッテナイってことだよなあ、
 
自分の動機なんて  好きだから  に決まってるからあんま考えたことなかったんだけど、
わたしはもしかして、好きなひとに  認められたいだけなんかもしれないなあ  て
最近うたがいます。
 
少しずつ少しずつ、うたがいます。
 
そういうのがバチンと
ゴムがはじけるみたいになる時があります
今、どーしても、今、って、
 
でもそうすることで、
私は自分に自分のことを証明できることが多いです。
みんな、自分の気持ち、自分のしたいこと、わかってるって思ってますか?
つねには、思わないですよね。
 
私は自分のしたいことを、いつも疑ってます。
例えば、人がいうからやってるのんだろうかなあ、とか、思うてしまうと、
どうもうまくいかんのです。自分らしく、できんくなるのです。
 
だから、一回何らかの方法で、「やめて」みる。
 
それでも自分がやりたいと思って、行動できたならば、
それが自分の気持ち、証明なんです。
 
うーんうまく説明できた気がしないけど
そういう感じのこと、が、とても多い。
 
私は感情と感覚の人間ですから、
こうやってコチャコチャうるせいのもですね、
大事なのはりくつじゃないんです、プロセスなんです。
私にとっては 大事なことなんすよね。

快適くうかんの内的けつじょ

おいおい、まさかそのうち天気まで操るとか言い出すつもりじゃあないだろうねえ。
ほどほどにしとけよ、にんげんさまよ。
 
ぼくらの自由は所詮、家畜の自由やとゆうことを忘れてはならない
のではなかろおか

日付のところに2013や01と打ち込む自分がいる
AM3時だとか5時だとかに何度か定期的に目覚めた記憶がある

やっぱりそうとうに消耗が激しい
そんなに移動や活動をしていないので 何とかやっているけれど
少しでだいぶ、疲れる

体調はそんなに悪くないのだけれど
喉がつぶれました、
会社出てきて挨拶したところで気がついた
こういう日に限って電話がかかってくる
何度も聞き返される
ぼええん

気づいて

ずいぶん前に自分と同じだったもの
そこから引き剥がされた私は 死ぬほどの苦しみのなかで もがいたあと、
また歩き出した
 
またこの極論者は大げさに言うなあー とおもうでしょうか、
死ぬつもりだったよ、
毎日毎日、いっそ殺せと思って泣いてたよ、
何も食べられない日がつづいたよ、
頭がはたらかないから むりやり食べても
一口でいらなくなった
何もなかった
何もしたくなかった
 
ちがう方へいった君が体験してないだろう とは
言いきりはしないけど
 
引き剥がされて 遠くへいったきみが
それでも悔しいと思ってること
私にはわかるつもりなんだ
なにせ分身のようなものだったから
 
ねえ、その感情から何も学べなかったら
何も動けないあの日のままだよ
 
安全なところから そとへ 手を伸ばさなきゃ
何も得られないんだよ
 
気づいてよ

ちのせい

am5:10目が覚める、
鼻血がたれた?
焦ってぬぐうけど
きのせいだった

ちゅう2秒

2秒さきをつねに感じていきたいと
脳みそ半分停止状態  で思った

2秒先で死んでもしかたねえなと思える生き方のことさ。

なんか「思える」とか、ポジティブふうに書いたけど
別にポジティブだともネガティブだとも思わない シャープかつフラットでプレーン
ただそう望んでいたい、向かっていたいという自分の思いが言葉えらびに反映されただろうか

んっもうぐだぐだうるせいな

船頭-a-滅入る

滅入るぐらい自分の文章が長い

ちゃんと誤解ないように説明するためにすげー長くなるんだけど
読み物が得意でない相手だと逆に一切伝わらないかんじ(経験上、体験済み)

めいるが長くてまいる

1:35

きーん  としずまりかえった部屋のなか、身体の左側をしたにして
よこたわっている
自分の体に血液が押し出されて流れており、熱がある
ことを知る
心臓のおとが、きこえる
それをずうっと聴いている
頭蓋骨と脇腹を少しずつ、その圧でおしあげている振動
骨のきしむ音
たとえばこの血流ポンプの拍動がいまより3秒ずつ遅くなってしまったら?
この支柱骨の角度が、1度でも曲がってしまったら?
少しでもバランスを崩せば  いとも簡単に壊れてしまう、
曖昧に曖昧をかさねて
嘘をもやの中にかくして
生かされているぼくらの構造はどうだ
生きることはいつだってぎりぎりだ
気づけないまま
死ぬまでいけたら
ラッキーだろうな

どうでもよくなくなくないこと

言いたいことがたくさんあるけど
どれだけ言葉をかさねても 伝えたいことこれっぽっちも伝わらないのわかってるけど
言いたくて 言いたくてわかってほしくて、
 
なんだか、一日中泣いていた
誰かの言動にちょっとずつ あるいは大きく傷ついてた そういう傷が重なって、膿んで、悪化してた
そんなイメージ
悲しくてさびしくて辛くて
もうだめなのかなあって思うと、怖くて、しくしく、ぐずぐず泣いた。
でもそのあと 大事なひとたちの優しいことば、
あったかくて、うれしくて
おのれがくやしかった
くしゃくしゃなって、えんえん泣いた、
いっぱい泣いた
 
全てのことがプラスマイナス ゼロならいいのにと思った
 
 
とても簡単なことで、まだ頑張れる、とおもった。

逆にとても簡単なことで どうしようもなく突き落とされるタイミングだってあるのだ、と思うた。

わたしの立ってる場所はそのくらいギリギリで脆いものだと、まあ知ってたけど、やっぱそーなんだなと 改めて思い知った。

まあ知ってたけど、弱い。

強うなりたい、いつも助けて声かけてくれるひとを、まもれるくらいに、助けられるくらいに、

わたし、他人がわからない、とずっと思ってきた人間なのですが、

だから、ずっと誰を信用することもできなかったし、誰かに頼ったりすることが うまくできないし、そういう関係をつくるのが難しかった。

違いすぎてて、みんな私から離れていった気がしたから。

最近、もっと人に頼ってもいいのかなあと思えてきて、

それは私のまわりで 声かけてくれる友達(人のことを、躊躇なしに「友達」といえることはこれまですごく少なかった、うれしい)がくれたもの、

大切な人たちがくれたもの。

いつも一緒にいてくれて、ありがとお。

私のような人にとって、一人じゃないっていうことは、はなから思えるもんではなくって、

一人では生きてゆけない、て気づいてから、誰かのやさしさにはって気づいたとき、それを素直に受け取れたとき、

やっと自分はもう一人じゃないって思えるんだなあっておもいました。

もー一人じゃないのかなあ、
そんなふうに今日は思えた

少しずつ力をもらった、
ほんとなよ

ありがとう。

あなあく胃

直近で、大切だと思ってた人から投げられた、いわれのない悪意のある言葉が、
やっぱりわかってたけど、刺さっとって、
ふるい傷もまた 確かに残っとって、
 
でも消えればいいんは私のほうだから
みんな何も言わんのかなあ、とか
私がそんな悪いことしたっけかなあ、とか
 
いい悪いとかじゃないのかなあ、であれば必要かどうかなのかなあ、
じゃあまあ仕方ないけど必要じゃないってことで、
じゃあまあ残念だけど生きられないってことなのかなあ、
とか、
 
そんなことばっかり
考えてたよ。
 
もう私は他人がいなければ生きられないってことは
わかってしまっているから、
たとい自分が正しくとも
他人がちがうと言うなら 大事なところを折らなければならないだろうか。
 
でもね、そうしてまで、生きていたくないんです。
 

なぜ生きるか、なぜ必要とされるのか
生き方の美しさを他人がきめるのか?
その必要があるか?
 
わらける
 
やるならやれ、遠くでつるんでネチネチしか攻撃できない奴なんかに
私は負けない
 
こわすってことは、自分も、痛い思いをしているはずなんです。
それでも、止められないんです。止めてまで、生きていたくないんです。