少し前のこと。
とはいってももう去年の話し。
デジカメを買いました。2011年12月。
私は、ひとりで、
ひとりで、ひとりで、
どうしようもないくらい、ひとりで、
それがとても、くるしかった覚えがある。
たまにもちなおすけど、それも瞬間的なもので、すぐだめんなった。
交わらない 点と 点を つないだ。
そしてひとつひとつを、ゆるやかに思い出す。
一人なんかじゃなかった、んだと思う。ほんとうは。
私は、それに少しずつ、少しずつ助けられて、今やっとここにいれてるんだと思う。
いつもぎりぎりで、
いつも限界で、
ああ、だめなんだったら もうやめたいって、
そんなふうに思って いまも、生きているけれど、
それでも私は昨日を、笑って生きていた。
考えたくないこと、考えなくちゃいけないこと、
守りたいもの、守らなくちゃいけないこと、
そのうえで、自分のやりたいこと。さからえない気持ち。
正直ずっと、生きづらかったんだ。
あなたもそうだろう?
別に状況は何も変わっちゃないんだけど。
いや…変わったのかな?
どう思うかな。
あの頃のわたしが、今の私を見たら、どう言うだろかな。
悲しくてしかたない 言うやろうか。
まだ生きてるじゃない、よかったね って、言うやろうか。
あの頃と同じ場所に立っている。
毎日のように、立っている。
にらたま しこたま作った。
卵3いった それでもニラがはみ出てしもうた。
その次の日、職場でひとまわり上のおにーさんに、会話上、
「昨日何食べたん?」って聞かれて、
「はい、にらたま、しこたま食べました」
って言ったら、
「にらたましこたまかあ〜 韻ふんでんな〜」
みたいな 変な会話になった。
2011年7月17日 「お片づけ」
明け方まで部屋の片付けをやった。
でも結局あんまり片付いてなかった!
一般にいう 人が住んでる部屋 のレベルになかなかなりません!
え… それってだめですか?? っていう話がいっぱい。
これはもうあれですね、性格っすね。
で、ずっとダンボール入っちゃってた必要な本とか、持ってきた漫画とか小説とかを
本棚におさめた。
その過程で、私のいちばんの核にふれる大事な漫画
ひぐちアサ「ヤサシイワタシ」が出てきたので、2時間ぐらいかけて 読んだ。
朝が来たとき、また新しく違う意味と理解を持って目の前に現れるその世界が、
私に、時間を越えたこの場所に立っていることを、自覚させる。
その漫画のなかのセリフ。
「キズって自分でつけてるのにね
ムシすればいーのにさ 悲しいと思ってるのは自分なのに
なんで 止められないんだろう
思うんだけど 地球のエネルギーってほとんど太陽の力でしょ
生きものが生きてるのもその一つでしょ
食べたり出したり生まれたり死んだりして
物質をめぐらせてて
命もめぐってるように錯覚するけど
めぐってるのは物質だけで
エネルギーは 使ったらなくなるものでしょ
いくら願っても かなわないわよ
死んだって会えないよ
全部 終わったんだよ」
いいことを、いいって言っちゃって、
やり始めるしか、
ないです。
そう思ったから私は、走り始めようと思った。
ささくれんのも ねたむのも、望むからだ。
そんな感情ヌキの話したってさあ。
夢持つなって話になるじゃん。
うん、そうも 思った。思ったよ。
「死にたいのは 不安だからだけど
不安なのは 願うからだろ
世界に 自分に 願う姿が大きく見えると
足がすくんで動けなくなったり
動いても望みを持てなかったりするんだろ
あんた
死にたいんじゃなくて
願う姿で生きたかったんだろ
願いって
かなわなかったらダメなのか?」
この問いに対する答えを
私は持ったつもりでいた。
持ったつもりでいたけど、
いまは その答えがわからなく
なる 時も あるよ。
望みなかったら 続けられないのよ。
それはおなじなんだ。
「やりたいことなんて
とっくになくしてるんじゃないのか
オレは なんで耐えてるんだ
もう やめてもいいのか
まだ 耐えられるのか―――…」