焦る、と、焦れる、は、意味が違うなあ。
夏がきます!
街中の女性たちがかがやきをはなちはじめましたわよ。
背中まるめて歩ってる場合でないのです。
なのにこの恐怖感はなんだろう。
もっと見たい!でも、見るためにおのれがそとに出なければならぬのは、とても怖いことです。
もうやなのです。
ああ、私はくたびれているのか。
やーなのですよ。
太陽がちかづく。
太陽のような、きみにふたたび、会いましょう。
…平気 平気だよ
君にキスをすれば
きっと平気 平気だよ
君を抱きしめていれば
僕は僕を とりもどす
…
コントラスト/クラムボン
http://www.youtube.com/watch?v=wnVvGmvD42U
2012年6月7日
先週、神戸三ノ宮に行ったとき 帰りについつい本を買ったのだけれど
適当に選んだ2冊、
「男と女のキビ団子/林真理子」
「みんな邪魔/真梨幸子」
なのですが、
どっちも、読んでてめちゃめちゃ辛いです。
のでどっちも、すこし読んでは 精神状態が限界になって閉じて、
また元気になってきたらすこし読んで、のくり返し中です。
ぜーはー
活字ってさ、頭の中で自分で集中して描いて読むものじゃないかー。
だから、視覚とかいうわかりやすい感覚よりも、ずっとずっと入り込んでしまって、
抜け出せてこれないところが 私は あって、
小説読むともう暫くその世界の住人になってしまっていて、ぐらいに。
本当に、しばらく出てこれなくなる。
それはたびたび怖い。
本を読み終えて、顔をあげた瞬間、
自分は誰だったか?
ってことを少しずつ思い出す感覚。
あれは不思議だ
というわけで
まず帰りの電車で、「男と女のキビ団子」から読み始めたのですが、
うええー
男と女こわいよー
男も 女も こわいよー
うえええ
大人なんてきらいやー
ってなってしまって、仕方ないから中断。
音楽で半ばむりやり気分を上げながら、阪急河原町から、歩いて帰る。
鴨川とってもきれーなー
したら、祇園四条あたりでギターのめちゃめちゃうまいお兄さんを見る。
なにそれー!
ついついイヤホン外してじっと見た。
その時、お客さん私しかおらんかったので見放題だった。
ら、お兄さん もう店じまいのようすで、
ギターとアンプ片付けながら、お話してくれた。
で、路上パフォーマンスする人の資格みたいのがあるらしい!
マジンガー
彼が持っていたのは大阪の路上パフォーマンスの資格で、京都で認められてるわけではないけど、
実際そういうので認められてるってことは証明できるから しやすいよーって言っていた。
そうだよな、路上で何やってもいいってわけじゃないからな!
路上でチ●チ●出すのも、パフォーマンスって言い切ってしまえば犯罪じゃなくなっちゃうからな!
例えが悪かったな!
そのお兄さんは、ゆあさまさや って人でした。
さて、家に帰って、もう一冊の本を読む。
タイトルは 「みんな邪魔」。
ああ、タイトルからしてちょっと買わないタイプのやつだからいっちゃお!って思って買ったけど…
どうしよー
ほんとに落ちてきた…
ほんまに読み始めて一日目の吐き気のひどさにびっくりした。
きたないよーきたないよー
人間きたないよー
これを好んで読む気がしれないよー もう、沼に沈んで戻ってこれない気がする感じよー
それともここから面白くなるのかー!
うえええ。 とにかく うえええ
ほんまキツイ
いや、作品があかんとか、言ってるわけじゃないですよ。
読んで、お話の中身がもう 私 すごい ツライねんな
なので私が今めちゃめちゃにネガティブで究極に人に会いたくないのは
活字の魔力がとても大きいせいだ。
活字こわい
2011年7月20日 「立派ってなんだろう、恥ずかしいってなんだろう」
「世間」ってなに?
「世間」って、あなたのことだろう?
いつもお母さんに言われてきたのは
「恥ずかしいことばっかりしないで」って。
「立派で、誰にも文句言われないような、偉い人になってよ」って。
あれをああやりなさい、これをこうやりなさい。
でも、それがどうしてだか、わからなかったのね。
今もわからないでいる。
どれもこれも、他人が当たり前にやっていくようなことは、私にはちっともうまくできないのね。
でも仕方ないから、真似っこで、となりのやつがやってることを一緒にやってみたりする。
たまにうまく真似できたりすると、褒めてもらえる。
でも、やっぱり劣化コピーばかりにしかならなくて、
「どうしてそれができないの」
「どうして頑張らないの」
って。
わからないし、できない。
どうしてやるのかが、わからないから。
どうして頑張らなきゃならないのかが、わからない。
頑張るって何かが、わからない。
頑張る理由を、私は、持ってないからだね。
わたし、お父さんもお母さんもいて、幸せだよ。
わたしは、私だよ。
ただ、褒めてほしい。
私が私であることを、
認めてほしい。
私は、ここにいるって。
何もできなくても、私は生きているって。
証明したくて、されたくて。
いつも、いつも、
いつもいつもいつも、そうだった。
だから私は、家を出たがったし、
だから私は、いつも、自分とは何かを、自分の価値を、
他人のなかに、世界のなかに、探してしまうんだろうなと思う。
穴を掘っている。
うん、その通り、その通りだよ。
壁をこえようとするでもなく、
道を戻るでもない。
おかあさん、
生まれることも死ぬことも、
私にはさっぱりわからないけれど、
愛することは
勝利することじゃないと思うの。
愛することは
他の誰かの価値観のなかに
自分をねじ込むことじゃないと思うの。
愛することは、いつも命がけ。
愛することは、自分ひとりでは成り立たない。
愛することは、ときに自分を殺す毒にもなりうる。
愛することは、だから、私にはとても難しい。
おかあさん、
愛することは、ある種の恥を、
自分のなかに深く、受け止めてしまえる、
そういうことでもあるんじゃないかなと、私は思うのね。
「世間」ってなに?
生きるって、なに?
私はどうして生まれたのかな?
私はどうして、生きていかなきゃならないのかな?
それを、あなたが決めるの?
それを、あなたがくれるの?
全部の責任を、あなたが負ってくれるの?
私はねえ、
そんな人生は、いやだと思ったんだ。
確かにあなたが必要で、確かにあなたが支えてくれている、
でも、私は、私以外になれないと、思ったんだ。
あなたのやってきたことの価値を、あなたが大切に持っている愛のかたちを、
他の誰かが決めたり、奪ったり、貶めることが、一体どうしてできる?
一番怖いのは、
自分の価値や可能性や愛するもの、生きるための理由を、
自分の中にどうしても、自分が、見出してやれないことだよ。
何も望むことがないことだよ。
何も悔しいと思わなくて、
何も嬉しいと思わなくて、
涙ひとつぶも流れない。
幸せも、不幸せもなくて、
ただ一切が、過ぎてゆく。
死ぬってそういうことだと思うんだ。