おわら風の盆 という祭りを みにきました。
この祭りは、一年前の私はいっさい名前も聞いたことがなかった祭りでした。
地方が違うと、知らない方はほんとに「なにそれ?地元のマイナー祭り?」って感じで
全く知らないと思われます。
しかし、いざ祭りに繰り出してみるとえらい人!このおわらを見に来るために沢山の観光客が訪れるもよう。
富山駅から、会場の越中八尾駅に向かうJRはこのとうり。整理券が配られているー!
観光事業感をバリバリに感じた私は でもこれはこれで 地域をうるおしているのだよなあ。
とか なんというか 複雑な気持ちになったりしたけど
(というのも 地域おこしのために、お客さんのことも考えて祭りを行うということは、
元々やってないような祭りの姿になってしまうということで、
地域の人たちが習慣で続けている「祭り」ではなく、外の人に観せて、見返りにお金をいただく フェスとかと同じようなノリになってしまって 「地域の祭り」とはなんか違うよなーと思ってしまうので)
でも、そないにこの祭りの原初の姿を楽しみたいとか そういう気持ちの根拠もなく
地元の人でもなければ この祭りについて深い知識があるわけでもなし、な私は
とにかくいち観光客なのだ!
というわけで ぷらぷら自由に楽しんできまんた。
さて
おわら風の盆は、毎年9/1〜9/3の三日間、行われます。
雨になると、演奏する楽器がいたむので 小雨でも中止になることがあるとのこと。
そしてこの三日間は(私が行ったのは最初の二日間だけですが)、
毎日、夕立がすごかった! その間は中止んなった。
しかし大抵そっから雨は止んで、しばらくしてから再開された。
沢山歩いた。とても楽しんだ。
一日目。
富山駅の改札をくぐった所で、さっそくおわらを踊っていた。
初めて生で見るおわらに 私はほんとーにゾクゾクうれしくなった
何でこんなにおわらを見たくなったかというと色々あるんだけども
縁というのが大きくて、そこからの「祭り」というものへの好奇心と
あとは十文字美信のムービー。
Canon EOS Movie スペシャルサイト
↑ の、「EOS 7D」 → 「おわら風の盆 十文字美信」 から見ることができます。
めちゃめちゃ素晴らしい作品です。
これを見て鳥肌がたってしゃーなくて。
ドキドキして、どうしようもなく、涙が出そうになって、何かがうごく。
私は最近、仕事で 祭り というものに少しだけども関わることがあって、
その中に生きている人たちの、祭りという非日常の空間でみせる表情、
生き生きとした全力の姿、そういう感覚は 私も触れたことがあるもののはずなんだけれど、
その中にはまるでみたことがないような世界もまじっていて、
私はそのひとたちの姿を見るたびに涙が出そうに感動してしまって、
つまり、 どうしてだろ?なんでそんな風に? って思ってしまう。
けれども、それは私の中にもあるはずだ。はずだった。
それでなんかよくわからない感覚になる。
会場、越中八尾の駅についた。
会場とはいっても、おわらは街じゅうで行われるため、
一番奥の地区までは ここからけっこう歩く。
「けっこう歩く」という感覚が人それぞれすぎて よくわかんないんだけど
運動不足の私にはちょうどいいぐらいの距離 と思った。
越中八尾は…
きれいなまちだ。
のどかで しずかで 夕方には人があまり歩いていないような田舎の町 におもう。
若者にとっては不便かもしれない。車がないと大変かもしれない。
富山は道が広くて綺麗な土地だと、市内ぐらいしか行ったことない私はそう思っている。
でもそのぶん人がちょっとのびのびしているような印象を受ける。
なにせ街並がきれえだ
雨の夜の街なかも、早朝の誰もいないアーケード街も 空気が澄んでいて、
ほかにすいこむ人がいないから その空気のたくさんが私の体めがけ、
染み渡っていくような、吸い込み吸い込まれる感覚。
流れるように歩いて行く人達についていって、ゆるやかな坂をのぼる。
坂のまち、と聞いていたけど、前に住んでいたところがもっとキツイ坂の町だったから、あまり坂というふうに感じなかった。
でも、けっこう年配のお客さん層が多くて、登り下りがつらそうだったな。
ぼんぼりがたくさん設置されていて、雰囲気をつくりだしている。きれーなー
大きなお寺 聞名寺(ぶんみょうじ)でおわらのステージが行われていた。
これはとても見やすくってよい。
踊りもすこぶる好きだけれど、私は何より唄がすきだ。三味線と胡弓の音、歌い手、歌詞(すごい沢山の種類があるそうだ)がとてもよい。
うたわれようー わしゃはやす。
この日は夕方になっていよいよ本番だなーって雰囲気の時間に、えらい雨が降ってきた。
バタバターッ!って豪雨にみまわれた。
祭りが再開されるかどうかわからない、待ちの時間が長かった。
雨を避けて、民家の軒下をちょっとお借りしていたら、
中からおばちゃんが出てきて どうぞどうぞ、と、扉をあけて、
私を含む、10人ぐらいの観光客たちを、その中のガレージに雨宿りさせてくれた。
ガレージ内には、人が座って休めるように椅子が用意されていた。。
まるでこの祭りのためにこういう造りにした家のようだな、と、私はこの町の数々の家を見て思ったのだけれど。まさにそんな感じ。
この土地に住んでる人にとって、おわらはものすごく中心にあるものなのだろうなあ、ということが何となく感じられた。
それは私にとっては不思議でたまらんことだった。
小雨になって、歩き出した。
一番奥の町まで行ったけれど、なかなか祭りが再開されるかどうかわからなくて、
じっとしてても面白くないので ぶらーっと町のはずれまで散歩しにいった。
家と家の間から、町の景色が眺められた。
いつの間にかこんなに高いところへきてたのか、と思った。
観光客は一人もいなくて、近所のおっちゃんおばちゃんが会話してた。
こういうのを近所づきあいというのだなー
毎日顔をあわせるわけじゃないのだろう、こないだは、、みたいな会話をしてた。
そういうのとは縁遠くなっている自分にとっては、とてもうらやましいものに思えた。
おばちゃんの方が家へと入っていき、
おじちゃんは道端で、そのまま、歯磨きをしていた。。。
私がその隣を通りすぎようとしたら、おっちゃんが、
「ねえちゃん、カッパとか折りたたみ傘、持ってるがか?」って聞いてくれた。
うれしかった
おっちゃんとちょっとだけ喋ったのち、道をもどった。
観光客は相変わらず おわらが中止かどうかでざわめいていて、
近くでは地元の若い兄ちゃんたちが集まって、
「ほれ、お前が観光客を盛り上げてまとめてこいよ!」ってふざけあっていた。
なんかよかった
この町が好きになったので、暫く散歩を続けて、中止なら中止で、帰ろうかな、と思った。
お陰で、じっくり町を見て回ることができた。
富山は、大きな家が多いそうだ。
確かに、1軒1軒、もしこれが私の地元に建っていたらどこの地主さんかしら、と思うくらい大きくて立派な家が並んでいる。
なんでも土地が安いから、そのぶん立派に建てるとの噂だけれど、
やっぱり人が住んでいる家を見ると、その土地ごとに違いがあったり でも共通してる「人間の暮らし」というのがあったり、すごく面白いのだ。
住宅地を散歩するのが大好きな私は、立派な街並みのなかに風情があって、坂の上と下の家々の段差があって、
道はずーっと見通せる一本道、そこにぼんぼりが並んでいて、
その景色のはずれで雷が光るのを、風がさわぐのを、ゆっくり眺めた。
色んな人の声がきこえてくる。
それぞれに、それぞれのいのちがあって、道のりがあって、幸せがあって、
それが自分の計り知れないところにあって、
それは とても不思議だ。
少しして、祭りが再開されました。
とにかくすっっごい人で、
町流し といって、町の中を列になって歩きながら踊るのですが、
それを見るのにも 通る道のまわりにお客がうじゃうじゃと待っていて
たいへんした
このパパラッチの数!
やっぱり、夜22時ぐらいからが、どの地区も活発に踊る感じなので、
夜〜深夜にかけて歩きまわる、ということが、楽しめるコツかなーと思った。
富山駅まで帰らなければならないので、終電で帰る。
耳から、印象的なおわら節が離れなかった。
おわらの恋歌 身についてならない!