みんな自分がまともだと思っている。
みんな自分の世界がぜんぶで、
それぞれの範囲を、生きている。
その中の、ひとつひとつの嬉しいこと悲しいことの平均が、
その人の世界の常識的振れ幅になり、日常になる。
それを越えることが全然起きないと、退屈だと思うだろうし、
それを越えることがたまに起きると、驚いて、
その感動を誰かに伝えて自慢したり、あるいは不満を言いたくなったりする。
つまり、人は自分の予想の範囲を生きている。
自分の脳みそが想像しうる範囲を、自分の持ち世界として持っている。
なにが当たり前で、なにが失礼で、なにがアリエナイことだとか、
人によって癖が違うのは、
それぞれの生きる日常が違うからだし、
それが「価値観」ということばになって、
人の考え方生き方を名付けている。
当たり前のことが起き続けても、当たり前だとしか思わない。
でも、その人以外の他人からしたら、
それはありえないほど特別で、贅沢な「範疇外」の出来事…
かもしれないね。
なにが幸せで、なにが欲しいか、
なにならずっと大事にし続けられそうなのか。
どういうキャパで、どういう自分として生きていたいか。
当たり前を大切に続けることも、
たまにしか出会えない特別に酔いしれるのも、
どっちも大事だと思うけど、
ただ、当たり前の事は、大事だってことを忘れられてしまいがちだから、
そっちも大事なんだってことを、意識しておかないと、
バランスはとれないんだろうな、
って思う。
2012年4月6日 「無礼くあうと」
スーパーで買物。
晩御飯 :ほうれんそうじゃこ卵+鳥肉いため
まあそこそこうまい。めしめし。