デイパス

こないだのライブのMCを、今、思いついたぞーーーーーーーーー!!!
やったぞーーーーーーーーーーーーーーー

これで同じ状況になっても少しは話すことがあるぞーーーーーーーーー

ライブにおいてぼくが喋るタイミングなどないほうがいいがーーーー!!
あるときはあるだろーーーーーー!!!

じっけん、じっけん、またじっけんで
前人未到のステップへたどりつけるのでしょう。
ぼくは練習はきらい(にがて)だが、少しずつ何かを自分のものにすること、自分の能力もふくめ少しずつ何かをつくっていくこと、が好きなのだろうと思う
できることが増えるのは単純に生きる快感であろー
そゆうことさ。

エンペラーめだかN.S.G. Office ネクストギグ(この言い方ぎっくりする)は6月なりや。
楽しみなりや
 
 
さて、(ひとつの記事に複数の話題を書くといつも切り替えが必要で困ってしまうな、ブログの性質上そりゃあ当たり前といえば当たり前だし気にしなくていいといえば気にしなくていいとは思うのだけれど)

「お忙しいところすみません」などという言葉を、実際に「思いやり」として使っているやつが何人いるだろうか、ということを今朝は駅までの道のりで考えた、
べつに自分がそう言われて疑問に思ったタイミングがあったわけではなく
むしろ自分が、通りがかる人びとに対して話しかけるときにその言葉を使うとして、その定型句を使うことでどれだけ意味があるのだろおか逆効果ではなかろおかとすればこの言葉の本来の意味とは…
ムニャ・・・

ネムーソン

かくかくしかじか
今日はなに食べようか考えている。
5月はいよいよ家計簿を本気でつけることに集中している(とはいえまずしょっぱなから旅をしたのでかなりざっくり減っているのはあるけど)ので、なるほど、やはり月に2回ライブにいくと赤字だし、週に2回外食をすれば赤字なのである。

世のライブハウスがもうからないわけである。
ある程度以上のお金持ちでなければ、そう何回もライブハウスへ足を運ぶことがまずかなわないのである。
必然的に行くライブは限られ、自分の好きなアーティストのライブですら、毎回行くかどうかと言われると難しい状況になるのである。
限られたライブ体験であればあるほど、その一回は、いいやつを見に行きたい!ということになる。
~そしてフェスへ~

つまり私は、平日の、全く知らないアーティストだらけのライブハウスへ、好きなバンドを発掘するためになんとなくふらっと出かけるということをぜひしたいと思っていたし 音楽好きなら皆もきっとそうであろう!とずっと思ってやってきたくらいなのだけれど、、
そういう人種がさっぱり少ないのは まあほかにも色々あるだろうが そういうこともあるのだろう!
しかし、ぼくがもしお金持ちだったらば毎日でもふらっとライブハウスへいくだろうか??
うーん、、
でもライブハウスで真剣に働きたいなあとは思っていた時もあったので
やったらやったで たのしだろなー いや飽きるかなー 思ったより世の中にくそバンド多くてびびるとかあるのかなー ぐちぐちしちゃうかしらん。
 
話それた
ぼくの所得はまあ、月に2ライブハウスへいけばアウトなレベルだという話でした。
ただぼくの今の所得は年々上がっており、完全に過去最高のものなので 少ないと思わないです。
つまりは身分をわきまえ、変な買い物はひかえ、かつそれに傾倒しすぎてケチくさい つまらん人間にならぬよう 豊かに過ごしよし、ということかしらん。

とはいえがんばって引き続き、お金をためてみようと思う。たまるかなー!
しかし、あると色々、したいと思ってることに使いたいもんなあ。
イベントしたり楽器買ったりカメラ買ったり旅にでたりしたいよーーー!
バイトすべきなのかーーー!
いやでも、家で何もしない時間やゆっくり暮らしをととのえる時間は必要だとおもうしなあ。´ `

まえにも書いたことなのですが
ぼくは人生でこれほどお金が欲しいとかんがえたことがなかったのです。。
時間も、ちょっと違うけど、まあおなじです。

休日の予定を埋めたいといっている人たちの気持ちが僕には一生わからん(想像はできます)気がするし一生わからなかったらいいな、と思います。

たいへんにフィジカルな意味で、人間はそれぞれに、生まれ持ったうつわがあると思ってます、
それを鍛えるもよし、ですが、
自分の身丈にあった生活というものがあるはずです。
誰かに合わせることもときには必要ですが、背伸びばっかり、屈んでばっかりいてはつまんないししんどいですよね

ところで自分のかたちや背丈にあった生き方をするには、自分のかたちや背丈を知る必要があります。

ぼくは物心ついてからこれまでずっと、自分について知りたいと思って生きてきた、そんな気がします。

ものの真理をひとつひとつ、知って行って自分のなかで解いてゆくのが、人生における命題やと、小さいときにおもったのです。僕はそれを、これが悟りかしらん、と出来の悪い頭なりに思いました。

そして昨年ぐらいでしょうか、ぼくは、自分の命の使い方を知ったのだと思います。
これだ、このためにおれは生きてるぜ!このために生涯を捧げるぜ!
だなんてうそ臭く決めつけて突っ走るような情熱家を気取るつもりはさらさらないのですが、
僕は自分の、いのちの使い道を、知ったんだと思います。

ここからは違うフェイズになってゆくでしょう。
そおか、僕にとっては、悟ることこそが人生の命題であると信じている僕にとっては、
ここが全てのゴールであとは、おまけなのかもしれませんね。
 
 
torottoゆうチョコレート菓子がひさびさにヒットでおいしい。むちゃすき。
腹が減っているからだろーか
コンビニのおまけで まどかマギカのまじょストラップもろうた
ストラップのなかで一番ほしい魔女のやつが いっぱい残っていてよかった。

自分の、頭と間の悪さにはほとほと困ったもんだと思っていて、
もうずーっと銭湯へ行きたいと思っていて、まず、四月のなかばに手術があった、そのせいでしばらくシャワー生活と、抜糸がなかなかできなかったのとで五月に突入、五月は頭は旅にでたりしていてなかなか落ち着かず、
今日はもうなんとしても銭湯へいくぞと思っておふろセットをがっつりかばんへ入れて朝から晩まで意気込んでいたものの、そういえばライブへいけばお風呂やいってる時間はなかろうなあ、とかなんとか今更思ったりしている。
バスはひとびとをのせてゆく
おもいおもいに おもいどうりに
われわれはゆくのだ、

ところで、Googleマップで調べて出た結果によると、職場から十三クラブウォーターまではバスを乗り継げば35分ほどで着くとのことで、まあ仕事を終えて19時ごろに職場を出た。19:30ごろに着けば上出来であろうと思っていた。
しかし、最初のバスがまず10分は遅れていて来なかった。とりあえず大阪駅まで出る。こんなに遅れているなら歩いたほうがよかったなと思うがまあバスは遅れるものだ、しかたない。
次のバスに乗りつごうとして改めて調べ直し、出た結果のものに大阪駅から乗るが、まず大阪駅のまわりをぐるぐるしていて20時を過ぎてもいっこうに着かない。どころかどんどん十三から遠ざかって西へ西へ向かっていっている。
十三まで直接歩いたほうが早かったんではなかったろおかとか思ってしまうが実際に最初からそれはしないだろう。
困ったぜ。
まあいいか。これもまたよろし。

そんなこんなで
バスにゆられて着いたは見知らぬ街
酉島(とりしま)。
いい名前なね。
バスの車庫まで行ってしまったのでおりざるをえなかった、はて、私の降りたいバス停はいったいどこへいったのだろう。まあいっか。

すこし歩いたらば、海へとつづくような登り坂なみちがみえたので、吸い込まれるようにそっちへむかった。

夜のウォーキングのおっちゃんの後についてゆくように、わくわくしながらひらけた景色は、
淀川だった。
とてもひらけていて、水面が近く、なんというか「ひらたい」という言葉がしっくりくるのだけれどきれえだった。
この雰囲気は、家の近所の城北公園というところでも味わえてそっちのほうが田舎と自然の景色でよいのだが、こっちはこっちでアーバンとの混合、ギャップでもないけどそういったかんじ、
とてもうつくしかった。

ぼくは梅田から十三へわたる際の淀川の景色が大好きだ。
あんなドラマはないと思う。

それでいて、一番好きな川はと聞かれればやはり僕の心の中に浮かぶのはいつだってそう、京都の高瀬川ちゃんなのだった。
愛している

目がはなせぬほどの速さで
川がながれておいてゆく
先回りはできぬ、いつかまた
同じところへたどり着く

しばし住宅街を歩いたのち、
近くに、ちょうど友達たちに少し前教えてもらっていたスーパー銭湯てきなスポットがあったので行ってみた。
750円もしてなかなか高かったけど
塩サウナもあったし
ひろくてゆったり浸かれたのはよかった
なにせお風呂やさんにここ最近ずーっと行けてなかったのだから
しあわせでならない
ドライヤーも無料だったし
髪の毛かわかしながら、自分のほっぺの染まってつやつや加減にうれしうなった

元気になった

どーでもいいことだが
誰かが自分のどーでもいいことを
気にかけてくれたりすることはうれしい。

お腹が空いてる感覚が全然なかったのだけど、何か食べたいとは思っていた。ただ、いってみたいお店の類はだいたい22:30には閉まっているというていたらくであった。
帰りに家の近くの居酒屋へ久しぶりにいって、少しご飯を食べて帰った。

隣の席に座った常連らしい男性が、一人でいる私が珍しいのだろか、かなりこちらを意識していろいろと気を遣ってくれ、話しかけたりしてくれて嬉しかったが、私には、この出会いを面白いと思い、せっかくなのでできるだけ仲良くなって深く知り合いたいと思う気持ちを少しでも表面へ出して歓迎の意を表せるほど、男性や、酔っぱらいや、いわゆる他人というものが恐ろしい という感情、経験を、まだ乗り越えられる気持ちには到底なれなかったのだった。

お酒についてや、お連れさんについて、適当に当たり障りのない会話を少しして、一杯くらいのみなよ、おごるのに!というその人の提案を丁重にことわり、
お会計をすませて家に帰るのだった。

また!
というかれの言葉が、何より有難かった。

少しずつ、
少しずつなら、多分仲良くなれるだろう。
僕はそうしたい。
もしもこれからまた、心をそんな風にひらくことがあるとすれば、
少しずつがいい。

ぼくを、人間としてみておくれ。

もう、誰かに好かれて 嫌われるのは、
つかれたんなよ。
 
人生でそんなに多くはきっと 望めないもんだし選べないものではないかしらと思う。
まず僕には、もう命のつかいかたがあるのだし、
それで十分なのではなかろおか。
というよりかは、それ以外はきっと選べないのではないかしら。

欲張ったら、ばちがあたる。
ぜんぶうまくいかず だめになるのが怖いのだ。
そんなふうに思っているのはこれまでの経験則からなのであまり訝しがらないでいただけるとありがたい。

誰かの人生をうらやんだりしない。
ねたんだりもできればしたくない。
そんなくだらないことはしない。
ぼくはぼくの道があり、きみにはきみの道があるだろう。
もう多くは望みませんから、どうか、どうかこれだけは奪わんとってくださいな。

そんなふうに願うのだ、
けれどこれは「守り」ではない。
ぼくはぼくの命を使って、
攻めていこうと思ってる。
戦いの場所へ、どうしても出てゆかねばならないのではないかと思ってる。

与えられしいのち
与えられし運命
かなしきも、また、よろし
 
 
 
・・・

2014/02/04 うたがい合戦
人の言ってることが本当かどーか疑って、やきもきしたところで、
結局うわべから見てたって確かめようなんてないのやから、
確かめるために踏み込んだところで、
なーんだ、嘘だったのか、なーんだ、本当だったのか。
のどちらでしょう。
 
そんなん見なくても、自分でやりたいこと、わかるよ。
褒められて嬉しいっていうのは、あるけど、
誰かに褒めてもらうためにっていうのは、
似ててもちがうよ。
 
だから合理的には、だけど、
自分がどうしたいか、やりたいことのために、
時間さいて向かっちゃったほうがいいよな。
 
っていうのを
 
最近
ようやっと
 
やろうとしてるとこ。
 
感情ヌキの世界に生きてるわけじゃあないから疲れるけど。
どっちにせよ疲れるもんな。
 
自分にいいことは、
周りにも、いいです。

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