これは自分でちゃんとコントロールできてない自分の責任なのだから何のせいにしたいわけでもないのだけど
時間がぜんぜん足らんぜ、
ことわっておくが今の職場に就いてからとても早く帰れているので全くもって仕事のせいではない。
りゃく
なんというか、もう残された時間がないんだなーと思う。思いませんか?みんなそうでもないのかしら。
ぼくはもともと、眠らずに元気に動いて前向きに考えられる、ような人間では全くないゆえに、寝なければならない。
でもそれをすると、確かに、毎日というものは仕事と家の往復だけになってしまう気がする。
どうしたらいいかわからないけど、
やりたいことをやるために、もっと捨てなければならないのだろう。
選べるものはそんなに多くない。
しかしまあ、ひとの欲しがるような「当たり前」はもうとっくに捨てつくしてしまった気がする、こう言うと語弊があるだろうけど、、
なので何をどう捨てようかは困ってはいる。
今朝、目の不自由そうなひとが同じ電車に乗ろうとしていて、杖をついていたが電車の入口がわからない雰囲気のようで、入口と座席の場所をほんのり案内してあげた。
目が不自由というのはどんなにか、結果として「捨てている」ことだろおか、と思った。
僕の目がみえなかったら、いまやりたいと言ってたことはほぼ全て、できなくなるだろおな。
いまの仕事は到底できなくなるし、バンドも難しくなるだろうし、そもそも出かけることが億劫になるだろうな。
誰かに頼らなければ少しのこともできなくなるだろうからそもそも実家へ帰るだろう。みんなに当たり前にできていることが自分にはとても難しいことになるだろう。価値観が根本的にずれる。
それはつまり、生きてることが億劫になるだろうな。
僕のふつうに立ってる場所は、たとえ心臓が動いていて息ができていたとしても、
明日、目が見えなくなったら、耳が聴こえなくなったら何もかも終しまい、
そういうぎりぎりのところに成立しているんだな。
だからやりたいことをやらずに一日を終えることは やっぱりむずかしいだろう。
清水五条
から七条へあるく
京都のいえへ、かえりたいなと思った
だから、かえりたくないな、と思った。
でも、それは、なしなんだ。
なんだか、わからなくなった。
寝ればなおるだろうか。
近頃まったくよく眠れない。
夢ばかりみるし
完全に風邪をひいた
どうにもならなかった
どうにもできない
どうもこういう時はむつかしい
・・・
2013/02/12 滑々ぶーつ
お気に入りの、歩くとかつかつ言うブーツが、いつかの戦国大統領で踏まれまくって真っ黒っけになっててんけど、やっと洗ってきれーにできたので、履いたら、
なんか、かかとがツルッツルに擦れすぎてて、すごく すべる。
何度かあぶないツイストを踊っている。
あぶない。
この滑り方は、後頭部を打ち付ける系のすべり方や。
あぶない。